白日 Ⅹ

文字数 2,857文字

 ガウェインのいる幕舎まで辿り着いた時、ゲッツは思わず足を止めた。幕舎の前でゲッツを待ち構えていたのは、ランスロットであった。
「来ると思っていた」
 ゲッツは小さく頷いた。ランスロットがいるということを、何故かゲッツは知っていたような気持ちになった。
「ガウェインはしばらく戦いから離れて、自分と向き合う時間を作ったほうがいい。犯した罪も、家族を喪った傷も、何も癒えていない。もとに戻ることがあるのかはわからないけど、時が解決することもある」
「わかっている。あいつの身の振りは考えているよ」
 ランスロットが思っていた以上にガウェインを気に掛けていたのが、ゲッツには意外だった。自分の目的と違うものには、一切の興味を示さないと思っていたからだ。
「ガウェインにあのことは話すなよ。あんたとガウェインのことはまた別の問題で、お互いに時間が必要だ」
「それもわかっている」
 本当にガウェインと同年代の少年なのだろうか。ゲッツはそう思った。まるで自分よりも多くの物事を経験してきている年長者のように感じていた。
「罪は、消えはしない。決してな」
 それだけ言い残して、ランスロットは去っていった。それが、誰に向けられた言葉であるのか。恐らく自分に向けられた言葉だろうと、ゲッツは受け取った。
 幕舎に足を踏み入れる。輝石のランタンが、中央に置かれた丸い卓に置いてあった。白い光を淡く放ち、幕舎の中を照らしている。
 隅に設えられた寝台の上で、ガウェインが膝を抱えていた。首を垂れた格好のため、表情は窺えない。それでも呼吸と共に上下する体が、ガウェインが生きていることを証明していた。
「よぉ、ガウェイン」
 ガウェインの体がぴくりと反応する。いつもベイオルフとデュマリオが声を掛けても無反応だと言っていたが、この時は反応があった。自分の声にも力がない、とゲッツは思った。やはり、罪の意識が先に浮かんでしまうのだろう。
 今、届けられるありったけの想いを込めて、ゲッツはガウェインの頭にそっと手を置いた。
「辛かったな。苦しかっただろう。だがな、人の命を奪うということは、それだけ重いことなんだ。戦争じゃ、誰しも感覚が麻痺してしまっているから、その事実に向き合うことがない。本来ならば、誰の命であっても、軽んじていいものじゃない」
 何を伝えたいのか、何を受け止めてほしいのか。ゲッツはわからなくなった。本当に伝えたいことは別にある。過去を、自分の罪を告白することだ。しかし、今、それをするのは、ただ自分が楽になりたいだけなのだろう。
「罪は消えない。決して。いつまでも背中に纏わりついてきやがる。だがな、だからこそお前は生きなきゃならねぇ。自分のためにも、家族のためにも、お前だけは生き抜くべきなんだ。そして見つけるんだ。答をな」
 ゲッツの呼びかけに応えるかのように、ガウェインがゆっくりとに顔をあげた。光が失われた眼。その瞳には、もうなんの意思も宿されていない。その光を灯すことは、ゲッツにも不可能であった。ガウェイン自身が、自分で灯すしかないのだ。
「ったく、ちゃんと洗ってんのか? あとで顔を洗ってこい。そして外の空気を吸え。深呼吸すれば、少し心が晴れる」
 ガウェインがゲッツを見る。初めて会った時と今で、ガウェインの容貌が変わっていた。多くの者を見て、そして経験してきた証だ。その年齢にはそぐわないものでもあった。
「ヘイムダル傭兵団は、砦に帰還してまた次の戦いに向かう。しかし、お前を連れていくことはできない。戦いを拒絶する者を置いておく決まりはないからな。ガウェイン、お前はルウェーズ州国に行け」
「ルウェーズ、州国…?」
 ここへ来て初めてガウェインが声を発した。完全に気力を失った訳ではない。それをゲッツは確信した。
「イングリッドランド王国の南東にある、永世中立国にして、不可侵領域。そこでは戦争もなく、人間族やデルーニ族、混血種(ハイブリッド)が身を寄せ合って暮らしている。ルウェーズ州国には、お前のような心に傷を負った兵を治療する、大規模な療養施設がある。そこへ行って、少し静養するんだな。そこなら飯にもありつける。砦に戻る途中で、俺の知り人の隊商と落ち合うことになっている。そいつがお前をそこまで送り届けてくれる手はずになっている」
 俯いたガウェインが、わずかに頷いた。今、戦いに身を投じるのは不可能だというのは、ガウェイン自身がよくわかっていた。ヘイムダル傭兵団を離れて静養する。それが今のガウェインにとって一番の選択だった。
「荷物をまとめておけよ。まあ、そんなにないと思うがな。それから、お前に渡しておくものがある」
 そう言ったゲッツは、腰に帯びていた剣を外した。鞘ごとガウェイン差し出したそれは、かつてゲッツが主から譲り受けた名剣・カレトヴェルフだった。
「今は剣など見たくないかもしれない。だが、お前はいずれ自分の中で答を見つけ、いつか必ず、もう一度立ち上がる時がくる。その時にこの剣を持っていれば、きっとお前の力になってくれるはずだ」
 躊躇いを見せたガウェインだったが、顔をあげてゲッツの顔を見た。ガウェインの眼差しに応えるように、ゲッツは強く頷いた。
 ガウェインがカレトヴェルフを受け取る。両手でしっかりと握ったガウェインは、じっくりとカレトヴェルフを眺めた。
「重い、です。普通のブロードソードよりもずっと」
 撫でるように、ガウェインがカレトヴェルフの柄に触れた。何かを感じたのか、指先がぴくりと震える。
「普通のブロードソードより長いから、副兵装としてだけでなく、主兵装としても申し分ない。平和を願い、そして散っていった数多の願いも込められた剣だ。みんな、自分の生を全うするために戦っていた。俺が所持した時もそうだったよ。生きろ、生きて戦えと、そういう思いが伝わってきた」
 カレトヴェルフを持ったまま、ガウェインが動かなくなった。じっと剣を見つめている。ゲッツはガウェインに背を向けて、幕舎の出入口へ向かった。
「ちゃんと飯食えよ。顔も洗え。あ、あとは、外の空気を吸って、体を動かせ」
 もう一度、この少年は立ち上がる。そして多くの人の命を奪い、奪ったよりも多くの人の命を救うだろう。そうあってほしい、とゲッツは願っていた。
「団長」
 不意に呼び止められて、ゲッツは足を止めた。振り返ってみると、ガウェインが微笑んでいた。胸を衝かれたゲッツは、思わず見入ってしまう。
「その…、ありがとうございました。絶対に、忘れません。絶対に、です」
 無理な笑顔を作ってまで、ガウェインが伝えた言葉。それがゲッツの心に沁み込んできた。その気持ちが嬉しくもあり、同時に申し訳なさがこみ上げてきた。
「俺もだ。だから、生きろよ」
 親指を立てたゲッツは、ガウェインの幕舎を後にした。
(俺も生きていかなきゃならねぇ。自分の答を見つけて、あの惨劇にケリをつける。“その時”まで、お別れだ。ガウェイン)
 張り詰めていた空気が、わずかに軽くなっている。
 春の足音が、近づいていた。
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