風音 Ⅰ

文字数 2,267文字

 風。
 強く吹きつける風が、砂塵を巻き上げて通り抜けていく。見渡す限りの荒野に、わずかに雑草が生えている。風は強まり、砂嵐が発生して視界をふさぐ。大地を照らす陽光は一筋としてなく、空を鈍色の雲が覆い尽くす。
 思わず下を向いてしまいそうな強風の中、はっきりと眼を見開いて前方を見据える男がいた。
 白毛の馬に跨るその男は、銀色の甲冑を身に付け、真紅のマントをたなびかせる。鷲があしらわれた兜が、ひと際眼を引く。その瞳には強い意志がはっきりと表れ、まるで光を放っているようであった。
「アーサー様。そろそろです」
 兵のひとりが男に近づいて報告すると、アーサーと呼ばれたその男は、静かに頷いた。
 アーサー・ジール・ローエンドルフ。それがこの男の名だった。
 イングリッドランド王国ブリタニア州を治める太守であり、王国から爵位を授かっている貴族である。深い青色の瞳を持ち、顔立ちは整っている。表情は引き締まっていて、見る人に精悍な印象を与える。
 呼吸三つほど置いて、大地から微かな振動が響く。同時に低く地鳴りのような音が、静かに、だが確実に大きくなってきていた。
「来たか‥‥」
 アーサーは小さく呟き、右手を掲げた。
 地鳴りはさらに大きくなり、それが軍勢の足音だとはっきりわかるようになった。先頭を進むのは、二百騎ほどの騎馬隊。後方ニトール(一トール=一キロと三百メートル)ほど後ろに歩兵が続き、両翼にも数百騎の騎馬隊が付いている。急いで駆けてきたのか、陣形は縦に伸びている。
 ウェリックス軍。イングリッドランド王国の領外、リエージュ北東地方・ウェリックス地方を領地とする異民族・ザクフォン族の軍勢だった。イングリッドランド王国とは領土問題で対立を続け、国境付近ではたびたび軍事衝突が起こっていた。
 アーサーはウェリックスと境界を接する領地の太守として、国境を侵したウェリックス軍を討伐に来たのだった。
 ウェリックス軍の先頭を駆ける一騎が、アーサー率いるローエンドルフ軍の存在に気づいて、進軍を停止しようと右手を掲げようとする。
 その時、だった。
 掲げられたアーサーの右手が、振り下ろされる。すると旗が振られて、ローエンドルフ軍の前方から声があがる。
「魔法兵、攻撃‼」
 陣形の前方にいる一隊の兵たちが、眼を閉じた。両手の親指と人差し指、中指の先を合わせて三角形を作ると、低く呟いて魔の言葉を紡ぎ出していく。辺りに吹く風が、ざわざわと騒ぎ出す。
嵐烈波(ヴィンド・ホーゼン)
 騒ぎ出した風が、さらに音を立てて風勢を強める。風は渦を巻いて、ローエンドルフ軍の前方一点に収束して竜巻となった。竜巻は一瞬その場に留まったかと思うと、突如として楕円を描いて動き出し、ウェリックス軍に襲いかかった。
 ウェリックス軍の兵士たちの悲鳴が起こる。竜巻に巻き上げられ、地面に叩きつけられる者、巻き上げられて、味方同士で衝突する者。悲鳴と怒号が交じり、まるで地獄絵図のようであった。竜巻は蛇行しながら前進し、ウェリックス軍の先陣を削り取るようにしてかき消えた。
 竜巻が消えたその瞬間、戦場に馬蹄が響く。ローエンドルフの騎馬隊は、すでに動き始めていた。
 戦場に轟く、雄叫び。 ローエンドルフ軍騎馬隊の先頭を駆ける男、グレイブを掲げてウェリックス軍に突撃していく様は、勇壮そのものだった。
 遮ろうとするウェリックス騎兵四騎を、あっという間に馬上から叩き落とす。馬上からのグレイブの一撃で、さらに馬の突進で。ウェリックス兵を蹴散らしていく。
「我らもいくぞ!」
 アーサーが腰の剣を抜く。エクスカリバー。幾度となく危難を払い、死線をくぐり抜けた愛剣である。
 アーサーがエクスカリバーを前方へ振りかざす。大将の合図と同時に軍勢全体が前進し、ウェリックス軍へ向かっていく。
 ローエンドルフ軍の騎馬隊はウェリックス軍の側面に回り、ウェリックス軍の両翼の騎兵を蹴散らすと、両翼から中央へ向けてウェリックス軍を突き崩していく。ローエンドルフ軍騎兵の突撃に対抗するために、ウェリックス軍のパイク兵が左右に散り始める。
 しかし、正面からローエンドルフ軍のパイク兵が、密集陣形で一斉に突進する。魔法攻撃で乱れた陣形は、形を失って一気に崩れる。
「蹴散らせ‼」
 アーサーは前線に馬を進めて兵を鼓舞する。自らもまた、エクスカリバーを振るい、ウェリックス兵を斬り捨てていた。
 大将首だと色めき立ち、ウェリックス兵がアーサーに向かう。アーサーは怯むことすらなく、騎馬突撃を仕掛け蹴散らした。それでも騎馬突撃を逃れたウェリックス兵が、アーサーに突きかかる。
「甘い」
 アーサーはウェリックス兵のパイクを跳ね上げ、頭上から斬り下ろして剣撃を放つ。エクスカリバーの鋭い一撃。ウェリックス兵の脆い甲冑ごと皮膚を斬り裂き、血しぶきが噴き上がった。アーサーの銀の甲冑に、返り血が点々と花のように咲いた。
 さらに殺到するウェリックス兵。アーサーの隣についている大きな男が、雄叫びをあげてハルバードを振るい、蹴散らす。その威圧感に、ウェリックス兵が怯んだ。
「兄上、出過ぎです。お下がりください‼︎」
 まだ若いと思える声が、アーサーの後方から響いた。
「アーサー様。ウィルフレド殿から、下がるようにとのことですが‥‥」
 アーサーの隣につく大きな男が言った。
「かまわんさ。お前がいるだろう、ゲライント」
「はっ」
 ゲライントと呼ばれたその男が頭を下げると、アーサーがふと微笑む。次の瞬間、アーサーの眼は再び鋭くなり、その視線は前線に向けられた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み