復讐の刃 Ⅴ

文字数 2,687文字

 本営から姿を現したゲッツは、すでに戦場の匂いを強すぎるほどに放っていた。甲冑を身に付け、あとは兜を被ればいつでも出撃できるという恰好である。
 ゲッツにひとりの男が寄ってきた。長身で涼やかな風貌の男は、どこか傭兵には似つかわしくない。
 男の名はリブロ・メインドーザ。ヘイムダル傭兵団の副長であり、ゲッツと共に戦場を渡り歩いてきた片腕である。計算高く、武力よりも知略にすぐれる。
「デルーニの傭兵が来たってか。数はどれくらいだ?」
「およそ一千と聞いています。斥候の報告を分析する限り、兵装も充実し、行軍の動きも悪くないとのことです」
「あきらかに、こっちを標的にしてやがるな」
「間違いないと思います。我々が合流するのを防ごうという意図でしょう」
 ゲッツが舌打ちをした。
(ブフォンの野郎、面倒な頼み事してきやがって…)
 それは二ヶ月ほど前のこと。ゲッツは古い友人が訪ねてきた日を思い出した。

 ビフレスト州内に拠点を持つヘイムダル傭兵団は、依頼を終えて砦に帰還していた。戦のない時に傭兵たちは、それぞれ故郷に帰ったりしている。
「失礼します。団長。モルオルト・ブフォンという男が、団長を訪ねてきております。団長の知り人だと言い張っているのですが…」
 砦内の自室で余暇を過ごすゲッツのもとを、少し困惑した様子の傭兵が訊ねてきた。
「…なに?」
 揺り椅子に揺られながらまどろんでいたゲッツが、かっと眼を見開いた。その様子に迎えに来た傭兵は、思わず体を震わせていた。
モルオルト・ブフォン、だと?」
 ゲッツは揺り椅子から腰をあげると、腕を組んで考え込んだ。記憶を辿っても、思い当たることはない。そう判断したゲッツの足は、すでに部屋の外へ向かっていた。
 怪訝な表情を浮かべたまま、ゲッツが砦の一室に向かう。そこは使われていない部屋で、客間としても使用されている。
 ゲッツが客間に足を踏み入れると、黒い長椅子に腰深く掛けた、壮年の男がいた。飄然とした様子ながらも、眼光鋭いさまは戦場の空気を感じさせる。男はパイプを吸いながら、ゲッツを見てにやりと笑った。
「ブフォン」
 ゲッツも笑みを浮かべていた。ブフォンが長椅子から腰をあげると、ゲッツは側に寄って肩を抱き合った。
「はっはっ、久しいな。ゲッツ。元気そうでなによりだ」
 お互いの無事と変わらぬ姿を確かめ合った二人は、長椅子に腰かけた。茶を運んできた傭兵が、二人の間にある長方形の卓に茶を置いた。
「しかし、どうしたのだ。突然俺のもとを訪れるなど、一体どういった風の吹き回しだ?」
 手元に置かれた茶に口も付けず、ゲッツが用件を聞き出そうとする。しかし、当のブフォンは手元に置かれたコップを手に取り、茶を飲んでいる。
 ゆっくりとコップを卓に置いたブフォンは、しばらく卓に視線を落としたかと思うと、不意に顔を上げた。
「まだビフレスト州を転戦としておるのか、ゲッツ。最近の情勢はどうだ?」
 質問を質問で切り返されたことに不満を抱きながらも、ゲッツはそれを顔に出すことなく話しはじめる。
「二ヶ月前にレンオアム半島にいた。そこでもデルーニの傭兵が勢力を増しているな。アースガルド中央議会なるものも、デルーニの過激派集団を抑制できんらしい。その過激派が傭兵と共に暴れている。イングリッドランド王国が今のままじゃ、正直地方の貴族は手詰まりだぞ」
「ふむ。王国もようやく中央の情勢が落ち着いてきたようだが、地方まではまだ手が回らんだろうな。しかし、最近のデルーニ過激派の伸長は目に余る。噂では無抵抗の村落なども奴らの犠牲となっているようだ」
 ゲッツの表情に影が差した。ブフォンの言葉を受けて、ガウェインのことを思い出したのだ。紛争がこのまま拡大していけば、ガウェインのような子がもっと増えるかもしれない。ゲッツは束の間そう考えていた。
「実はな。近く、ビフレスト州アピナス郡で大きな動きがあるらしいのだ。これまでデルーニ過激派の動きは散発的なものだったが、一部の過激派が結集してゲルニカの見張り台を奪おうとしている」
「ゲルニカの見張り台だと? なぜまた」
「アピナス郡のゲルニカの見張り台は、オラデアと並ぶ要地として注目されている。そこを奪って情勢を大きく動かすのが目的なのだろう」
「馬鹿馬鹿しい。いかにデルーニの過激派や傭兵といえど、そんなことができるものか」
 一笑に伏したゲッツだったが、眼前には鋭い眼つきのブフォンがいた。これは冗談ではないということを、ゲッツは即座に悟った。
「過激派の集団を結集してできたのが、アフタマート青年同盟という。その規模はこれまでの過激派集団とは違う。奴らはアピナス郡のモンテカルム城を奪って、ゲルニカの見張り台を睨んでおる。しかしアピナス郡を治めるカリム・ブライトナー卿は、デルーニの傭兵たちとの連戦で疲弊し、財力も尽きている。このままではゲルニカの見張り台がデルーニの手に落ちるだろう。そこでだ、ゲッツ。お前にブライトナー卿の救援を頼みたい。無論、金は積む」
 あまりにも急な申し出に、ゲッツはすぐに返答をできずにいた。それだけではない。自身のヘイムダル傭兵団も、レンオアム半島での連戦を終えて、今は兵を休ませているところである。ここで兵を出すことはかなりの負担になることは間違いなかった。
「しかしな…」
 思わずゲッツは頭の後ろを掻いていた。不可能ではない。しかし、見返りを考えても危険な依頼であることには変わりない。ゲッツはブフォンの依頼をそう捉えていた。
「頼む。これはアーサー様からの頼みでもあるのだ」
 アーサー。その名前を耳にしてから、ゲッツの表情が変わった。感慨に耽るその顔は、古い記憶を手繰り寄せている証拠であった。
「わかったよ」
 しばらくの沈黙の後、ゲッツは決意と共にその言葉を口にした。古き友の頼みを無下に断れない。ゲッツの人柄が表れていた。
「そうか。やってくれるか」
 ゲッツが口元で笑みを作る。友に余計な気を遣わせまいという気づかいであった。
「他らなぬお前の頼みであり、ウーゼル様の子の、直々の頼みとあらば断われまい」
 腰をあげたゲッツとブフォンが、固く握手を交わす。
「金と物資はこちらで調達する。準備が整い次第、アピナス郡に向かってほしい」
「わかった」
 笑みを浮かべるゲッツであったが、その眼はすでに歴戦の傭兵の眼になっていた。

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