戦端 Ⅵ

文字数 2,954文字

 アフタマート青年同盟七千を撃退したヘイムダル傭兵団は、モンテカルム城を奪回するために拠点を確保していた。
 撃退したといっても、討ち取ったデルーニ兵の数はそれほど多くはない。ほとんどがモンテカルム城に逃げ帰り、再びアテン城の攻略のために出撃することは明白である。砦の中では、ゲッツとリブロが今後の展望を話し合っていた。
「敵の数はおよそ八千強ほどに減っている。力の差を見せつけたつもりだったが、アピナス郡から撤退しようって気はないみたいだな」
「モンテカルム城を落としたことで、図に乗っているようなところもあるようですから、撤退という意思はないでしょう。しかし、我々の兵力とブライトナー卿の兵力を合わせても、アフタマート青年同盟より数は劣ります。そこをどう解決するかですね」
「それについてだが、ブライトナー卿から書簡が届いた」
 ゲッツが卓上に書簡を放り出した。亜麻の紙に認められた書簡にリブロが眼を通す。
「なるほど。増援ですか。近隣の諸侯からの援軍と、傭兵を雇う準備があると」
「特に近隣諸侯の援軍は、すぐにも派兵の用意ができているらしい。王国の皇都ログレスから軍資金が出たんだとよ」
「ログレスから軍資金ですか。しかし、デルーニ族のアースガルドとの国境線がこのような状態だというのに、中央から援軍すら寄越さないとは、何を考えているのやら」
 リブロがため息をついた。過激派集団の仕業とはいえ、国境を侵犯している勢力がいるにも関わらず、軍資金を供出するだけのイングリッドランド王国の対応に呆れているのだ。このままではデルーニ族に体よくやられてしまうのは眼に見えていた。
「お前もわかってるだろ。今のイングリッドランド王国の実権を握っているのは、オズウェル・イワン・マイクロトフ卿。ドゥーマ政変で政敵を打倒して、着々と自分の足場を固めてきたが、地方の諸侯からは反発を喰らってる。まずは国内を一つにまとめるのが優先てことなんだろ」
 リエージュにいる人間族の起源は、かつて大陸西部にあった大国アスメリア連邦からの移民といわれている。アスメリアから来た人間はまずザールランドに住んだが、魔物や災害の脅威が酷く、主だった者はフレンスブルク平野に移った。
 そこで各地に散らばり、それぞれの生活をはじめた。そして一部の人間がイングリッドランド王国を興した。これが王国の起源である。いまでこそ、その支配は人間族の住む領域全土に及ぶが、当時は小さな規模であった。そのために土着の豪族や地方貴族の力が強い。さらに大陸北のドローヴァからやって来た海の民もいる。彼らはそのまま北東域を領域として生活した。これがザクフォン族と呼ばれる異民族である。
 そしてリエージュには先住民族・デルーニ族と、デルーニ族の対立民族であるフング族がいた。デルーニ族はフング族との争いを制した後、北方へ向けて開発をはじめ、そこで人間族とぶつかったのだ。
 リエージュの二大勢力となったイングリッドランド王国とアースガルド。両者がお互いの勢力の存亡を賭けて争った、世紀の大戦があった。それが十年と少し前まで行われていた、フォルセナ戦争である。デルーニ族は本来、族長会議で方針を決める部族社会だが、そのデルーニ族をまとめ上げ、史上初アースガルドを統一した男がいる。
 それがフォルセナ戦争時のアースガルドの総帥、武帝(ヘル・カイザー)ウォーゼン・デュール・ベルゼブール。アースガルドを統一したウォーゼンは、ジュピス・デルーニズムという思想を掲げて、イングリッドランド王国に戦いを挑んだ。開戦でつまづいたが、その後は怒涛の勢いで進撃し、連勝を重ねた。
 ジュピスとは、デルーニ族で信仰されているアージュリ教の最高神の名前。ジュピス・デルーニズムは、リエージュの先住民族はデルーニ族であり、デルーニ族こそがリエージュを統べる民族であると宣言したものである。人間族はデルーニ族の支配を受けなければならないが、人間族からすれば容易に受け入れられるものではない。だがこのジュピス・デルーニズムを熱狂的に支持する者が、今でも後を絶たない。その現象がウォーゼン・デュール・ベルゼブールを英雄たらしめ、尚且つ神格化すらされている
 しかしデルーニの英雄ウォーゼン・デュール・ベルゼブールは、フォルセナ戦争末期、ペレファノールの戦いでイングリッドランド王国に完勝しながら、その後重臣の裏切りに遭って討ち取られた。総大将であるウォーゼンの死によって、ベルゼブール軍は混乱。その混乱を衝いてイングリッドランド王国軍は反撃に出て、エルグラードの戦いでベルゼブール軍を打ち破った。
 ウォーゼンという絶対的な存在を失ったベルゼブール軍は空中分解。抗戦か講和かで揺れた。その後交渉の末に、イングリッドランド王国とアースガルドの間でラクスファリア条約が締結され、戦争は終結した。
 当時のイングリッドランド王国軍の指揮を執っていたのは、宰相だったウーゼル・ジール・ローエンドルフ。王国軍がベルゼブール軍と互角に渡り合えたのは、ウーゼルの力が大きかったといわれている。ラクスファリア条約締結に先立って行われた会談でも、ウーゼルはその交渉力で有利な条件を引き出した。
 そのウーゼルも数年後に病を発症して逝去。後継者にジャスネ・ハイリスを指名したが、王国内では派閥が生まれ、派閥間の政争で国政は乱れた。結果として政治は大きく停滞。その影響で治安は悪化し、ビフレストにはデルーニの傭兵や過激思想の武装集団が入り込んで、略奪すら働くようになったのだ。
 アースガルド側もウォーゼン亡き後の指導者シュルト・オーズ・ディートリッヒが議会を整備するまでに時間を要したため、国境線の治安は荒れに荒れた。
 ようやくイングリッドランド王国の実権を握ったのが、新皇王を推戴し、ジャスネ・ハイリスを討った、参事長オズウェル・イワン・マイクロトフである。しかし、力で抑圧するオズウェルのやり方に不満を抱く地方諸侯がオズウェルに反発。今だにイングリッドランド王国を完全に掌握しているとはいえない状況であった。
「ウーゼル・ジール・ローエンドルフ宰相。あのお方が存命であれば、このような事態には陥っていないでしょうね」
「まあな。しかしそりゃデルーニにも言える。ウォーゼン・デュール・ベルゼブールが生きていれば、イングリッドランド王国が今どうなっていたかはわからんぜ」
 パイプを手にしたウーゼルが、火をつけて煙を大きく吸った。口と鼻から吐き出される煙が、まるで海藻のように揺らめいてかき消えた。
 ゲッツの眼は遠いどこかを見つめている。頭の中に去来する過去の残像が、ウーゼルを思いの底に沈めようとしていた。
「いかがされました?」
 リブロが首を傾げると、ウーゼルは思いを振り払うように、左手を横に泳がせた。
「いや、なんでもねえ。とにかく、俺らの仕事は増援到着まで、ここを死守するってこったな」
「ええ、まずはブライトナー卿の増援が到着するでしょうが、敵もこちらに増援があることを掴んでいるでしょう。もう一度こちらを攻撃してくる可能性は十分に考えられます」
「なに、そん時ゃ、やってやるまでさ。何度でも打ち払ってやる。懲りるまでな」
 自信たっぷりに、ウーゼルがにやりと笑った。
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