白日 Ⅸ

文字数 2,144文字

 ヘイムダル傭兵団の野営地は、静かであった。すでに戦闘終了が告げられており、傭兵たちの顔には安堵が浮かんでいる。死んでいった者も多いが、生き残った者同士健闘を讃え合い、報酬で何をするかなど、雑談に興じていた。
 ベイオルフとデュマリオの姿があり、深刻な表情で何かを話し合っている。野営地に戻ったゲッツは、目ざとくベイオルフとデュマリオを見つけて声を掛けた。
「ガウェインの様子はどうだ?」
 ゲッツが訊くと、ベイオルフが首を横に振って、小さく息を吐いた。
「駄目ですね。相変わらず、抜け殻のようになっています。食事もほとんど手を付けないし、会話にも応じない。ただ、ランスロットが来た時だけは、少し話をしているようです」
「ランスロットが?」
「ええ。最初は来なかったんですが、ここ数日、姿を見せるようになりました。ミルクを飲むと故郷を思い出してつらいとか、しばらく戦いたくないとか、ガウェインが言ったことを伝えてきてくれました。それから、パウラムの果汁を茶に混ぜると、心を落ち着かせる効果があるから、それをガウェインに飲ませてやってくれ頼んできました」
「そうか」
 ゲルニカの戦いでシャールヴィ・ギリングを討ち取ったガウェインは、それ以来精神を病んで放心状態となっていた。
 一日中幕舎に籠り、寝台の上から動かない。起き上がっても寝台の縁に腰掛け、じっとしている。それがずっと続いていた。体に悪いので、ベイオルフが一度強引に外に出したが、無気力で眼も虚ろだった。
「家族の仇を討って悲願を果たしたはずなのに、家族を喪った時より心に深い傷を負うなんて、皮肉なもんですね」
 呟くようにデュマリオが言った。それを聞いて、ベイオルフも頷いている。
 シャールヴィ・ギリングを討つことで、家族や故郷の人々が浮かばれる。苦痛に苛まれていた自分の心も癒える。ガウェインはそう思い込んでいたのだろう。しかし復讐というものは、生き残った者の憎悪に過ぎない。死んだ者が何を思っているかなど、誰にもわかりはしないのだ。
 戦場に身を置くゲッツも、ベイオルフやデュマリオも、何処かの誰かの仇であることに間違いはない。敵兵の命を奪うことは、その家族の悲しみと憎しみを生むことになる。戦場で生きて戦う“覚悟”とは、そういうものだった。
「ガウェインの不幸は、家族を喪った悲しみを自分の手で作り出したこと。それを最悪の形で気づかされたことだ。シャールヴィの息子を斬ったことは、自分と、自分の家族を斬ったことに等しいからな。根が純粋だからこそ、その事実に心が打ちのめされてしまったんだろうよ」
 ガウェインの耳には、もう誰の声も届かない。唯一届くのが、同じ悲しみを背負うランスロットの言葉なのだ。ゲッツはそう思っていた。
「団長、ガウェインをどうするのですか。このまま傭兵団に置いておく訳にもいかないでしょうし、あいつには身寄りがない。それでもこの先のことを考えると、戦いから離れたところに移すべきだと思うのですが」
 ベイオルフの言葉に、ゲッツは頷いた。
「俺の知り合いで隊商をやってるピコという男がいてな。そいつがルウェーズ州国に積荷を届ける仕事を持っている。砦に戻る前に合流して、そいつにガウェインを預けるつもりだ。ルウェーズ州国には、ガウェインのような戦争で心の傷を負った兵を治療する、傷痍兵の療養施設がある。エリオット・スタークという名医が開いていてな、そこでなら生活するにも困らんとよ」
 ルウェーズ州国は、イングリッドランド王国の南東にあり、アースガルドとの中間のような位置にあった。もとはイングリッドランド王国の一部であったが、フォルセナ戦争開戦に反対を唱えた領主エルネスト・ベルナードが、戦時中に独立を宣言した土地である。以来、ルウェーズ州国は永世中立国として反戦を貫いており、ラクスファリア条約でも不可侵領域として制定された。常識の通じないデルーニの過激派ですらルウェーズ州国に侵入することは避けており、戦禍の絶えないリエージュにあって、唯一平穏が保たれている。
「ルウェーズ州国なら、いいかもしれないですね。あそこならデルーニや混血種《ハイブリッド》もいる。偏見を持たれることもないですから」
 ガウェインをこのまま傭兵団に置いておくことはできない。その考えは、三人の間で一致していた。
「そういや団長、ランスロットもヘイムダル傭兵団を辞去するって話ですが、本当ですか?」
「なに、俺は初耳だぞ」
 デュマリオの問いかけに、ベイオルフが食いついた。
「ああ、本当だ。ま、事情があってな」
「勿体ないな。いい兵だったものを」
 ベイオルフが腕を組んだ。いい兵、というところに、ゲッツは引っかかるものを感じていた。たしかにランスロットはいい兵だった。剣技も常人技ではないものを使うし、馬術にも秀でている。兵を指揮するのも巧く、機知に富む。それは、兵の器では収まらない。ランスロットと対峙した時に受けた気迫から、ゲッツは確信していた。この少年はきっと、恐るべき男になると。
「俺はガウェインのところに行って、ルウェーズ州国へ送り届ける話をしてくる」
「わかりました」
 自分の声は、果たして届くのか。一抹の不安を抱きながら、ゲッツはガウェインのもとへ向かった。
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