復讐の刃 Ⅲ

文字数 3,102文字

 わずかな身じろぎの音がする。寝台から上体を起こしたガウェインは、天幕の隙間から覗く朝の情景を見つめていた。鳥のさえずりが聴こえた時、不意に天幕の幕布が上がった。
「起きていたか」
 入ってきたのはゲッツだった。ひどく冷たい眼差しでガウェインを見つめている。
 寝台から起き上がったガウェインは、用件を訊くこともなく着替え始めた。チュニックに着替え、レザーメイルを装着する。寝台の近くに置いてある木製の剣を手に取って天幕を出た。
 野営地は静かだった。わずかな見張り以外は、皆まだ眠りを貪っている。天幕の間を抜けるようにして、ゲッツが歩いて行く。その後をガウェインが追う。
 ゲッツが足を止めたのは、野営地から少し離れた場所、岩肌が露出し、雑草が申し訳程度に生えている荒地である。そこにはすでに先客がいた。その姿は、ガウェインにとって見覚えのある姿だ。いや、忘れたくても忘れられないといっていいだろう。
 ネイビーブラックの髪。ペールブルーの瞳。滑らかな曲線を描く輪郭と、すっきりとした顎周り。切れ長の眼に、わずかに高い鼻。その容貌は中性的ですらあった。背丈はガウェインより幾分ほど低い。だが、その体格も眼つきも、戦場をくぐってきた傭兵のものだった。二本のロングソードの柄を連結できる、双刃剣(ダブル・ブレード・ソード)アロンダイトを得物にしている。
 少年の名は、ランスロット・リンクス。もともと傭兵であったが、所属していた傭兵団を失った。新たに所属する傭兵団を探して傭兵ギルドを訪れたところ、ゲッツが声を掛けたのが縁でヘイムダル傭兵団に入った経緯を持つ。
 華麗かつ、常人技ではない剣技を持ち、体術、馬術も、歴戦の傭兵を圧倒する若き傭兵。これからを嘱望される期待株であるが、どこか神秘的で超然とした雰囲気を纏っている。醸し出されるその雰囲気は、ランスロットを容易に近寄りがたい存在にしていた。それはガウェインも同じで、ランスロットと親しく言葉を交わしたことはなかった。
「おう、ランスロット。早ぇじゃねえか」
 ゲッツが声を掛けると、ランスロットが軽く頭を下げた。団長であるゲッツに対しても、物怖じしていない。堂々たる佇まいが、その存在感を際立たせている。
 ガウェインが強く拳を握りしめた。その視線の先にいるのは当然ランスロットである。眼に燃えているのは、並々ならぬ復讐の炎と、そして闘志そのものだった。
 ガウェインを傭兵として鍛えるために、ゲッツは来る日も苛烈な修練を課した。時にはゲッツと相対させられることもあり、その度に打ち負かされた。傷を負い、体力も削り取られ、飯を食ってはすぐに床につく日々が続いた。
 それでもガウェインには、『ゲッツと実力差があって当たり前だ』という心理があった。当然であろう。ゲッツは腕一本で戦場を渡り歩き、自らの傭兵団を興した歴戦の傭兵だ。まだ若く、戦闘経験もないガウェインが敵うはずもない。打ち負かされるのは仕方がない。ガウェインがそう思うのも無理からぬことであった。
 そんなガウェインの心理を見透かしたのか、ゲッツはガウェインと歳の変わらぬランスロットを連れてきた。
 初めて対峙した時のことを、ガウェインは鮮明に覚えている。自分とそれほど年齢が変わらないのだということも、すぐにわかった。そして、打ち負かす自信もあった。歴戦の傭兵であるゲッツと対峙している自分は、同年代の傭兵など敵ではないと思っていたのだ。
 しかし相対すると身体が震えて、やがて動けなくなった。そして恐怖を覚え、足がわずかに後ろへ退がった。その瞬間にランスロットが間合いを詰めてきた。そこから先の記憶は、痛みと悔しさしかない。
もう何度打ちのめされたかわからないほど、ランスロットとの対峙の結果は敗北に終わっていた。
「そろそろ始めろ」
 荒地に突き出た岩に、ゲッツが腰を下ろす。まるで値踏みするように、ガウェインとランスロットの対峙に視線を送っている。
 ガウェインは木剣の柄を両手で握り、切っ先をランスロットに向けた。ランスロットも木剣を構える。その先はガウェインに向いている。
 対峙している二人の間で、気が満ちる。互いに身動きひとつ取らず、相手の出方を窺っている。ランスロットの剣先が振れるように動く。ガウェインの体がぴくりと反応するが、大きな動きはない。息の詰まるような対峙が続く。
 ガウェインの脳裏では、過去の対峙が反芻されていた。ランスロットの剣先が動いた瞬間、体が咄嗟に反応した。しかし、それはすでにランスロットに読まれていた。持っていた木剣を叩き落され、鼻先に木剣を突きつけられた。それでガウェインは完全に戦意を喪失したのだ。
 ランスロットの足が動く。それはともすれば見逃してしまいそうなほどの動きだが、ガウェインの体が機敏に反応していた。
 ガウェインの間合いにランスロットが飛び込む。ランスロットが木剣を振り上げた隙を逃さず、ガウェインは胴体めがけて木剣を打ち込んだ。狙いすました好機かと思ったが、手応えはなかった。
 木剣の一撃が入る寸前、ランスロットは後ろへ退いていた。ガウェインが舌打ちすると、ランスロットが大地を蹴る。ランスロットは地の反動を利用して突っ込んでくると同時に、下からの木剣を斬り上げた。ガウェインはその動作を眼で捉えていた。咄嗟に体が動く。木剣でランスロットの剣撃を防いだが、剣撃の勢いは想像以上であり、体勢を大きく崩した。
 ランスロットが上から木剣を振り下ろす。体勢を崩しながらも、必死の思いでガウェインは持ちこたえる。今日こそはランスロットから一本取る。その一念を燃やしながら、ランスロットの一撃を受けた。だが、体勢はさらに大きく崩れる。
 ガウェインの眼に、木剣を下に構えたランスロットが映る。その眼光は鋭く、ガウェインの隙を確実に捉えている。ランスロットの体から、陽炎のようなものが揺らめく。
(来る──。)
 刹那。踏み込んだランスロットは、眼にも映らぬ神速の剣技を繰り出す。それは常人のなせる技ではない。剣撃共に光る残像が、その証左だった。ランスロットの必殺の剣技。ガウェインは幾度もこれにやられてきた。何度防ごうとしても、剣撃と共に襲い掛かる残像を防ぎきれず、木剣を落としてしまう。そして、無数の剣撃がガウェインの体を直撃するのだ。
 木剣が露出した岩肌に落ちる。重い打撲音が響く、ランスロットの木剣を受けるガウェインの体が悲鳴を上げていた。
 呻き声を上げたガウェインが崩れ落ちる。レザーメイルを装着していても、体中を伝うように痛みが走る。手が痺れ、脚に力が入らない。下唇をぎゅっと噛んだガウェインは、残された力を振り絞るように、顔を上げた。
 厳冬の寒気のような、一切の感情を宿さない冷たい眼をしたランスロットがいた。ガウェインを見下ろすランスロット。ランスロットを見上げるガウェイン。勝者と敗者。そして、ガウェインにとっては、いつまでも敵うことのない、峻嶮な山脈のような高き壁であった。
 ガウェインがぎゅっと拳を握り締める。奮い立たせるように、自らを叱咤する。しかし、その思いを打ち毀すように、ランスロットが木剣を振り上げた。
 朝陽が照らす。澄んだ空気が宵の闇を晴らす。晴れ渡る空に、乾いた音が響く。
 すでにランスロットの姿はなく、地に伏したガウェインの姿を見つめるのはゲッツだけだった。
 ガウェインの口の中に、砂利が入り込む。力強い大地の感触、土の匂い。それは、刻み込まれる敗北の味であった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み