戦端 Ⅱ

文字数 3,095文字

 城塔の旗が風に靡いている。馬と盾のその旗は、アピナス郡を治める太守カリム・ブライトナーの旗であった。勇ましく翻るというよりは、吹きつける風によって翻弄されているように見える。
 城からおよそ一セイブ(一セイブ=一キロと三百メートル)ほど離れた丘の上で、ゲッツが城塔の旗を見つめていた。丘の麓では、傭兵たちが慌ただしく動き回っている。
 イングリッドランド王国ビフレスト州アピナス郡。デルーニ族のアースガルドとの幹線である、バルトロメオ街道が走る交通の要衝として知られる地であり、国内でも屈指の規模を誇る見張り台、ゲルニカの見張り台がある。
 丘にいるゲッツが眼を凝らした。十騎ほどがゲッツのいる丘に向かって駆けてくる。その中に、リブロの顔もあった。
「おう、ご苦労」
 ゲッツが帰還したリブロに声を掛ける。丘の麓で下馬したリブロは、ゲッツに向かって一礼した。
「団長、こちら、ブライトナー卿の秘書官を務めております。グワム殿です」
 リブロの隣にいるのは、中肉中背の男であった。リブロと共に下馬すると、わざわざ頭を下げた。さすがにゲッツは丘を駆け下り、グワムの眼前で一礼をした。
「ヘイムダル傭兵団を率いる団長、ゴットフリート・ディーゼル・クラウゼヴィッツと申します。この度はブリタニア州太守アーサー・ジール・ローエンドルフ卿の依頼を請け、カリム・ブライトナー卿の救援に馳せ参じました。以後お見知りおきを」
「カリム・ブライトナーの側近を務めております、グワムと申します。いきなりデルーニ兵が大挙して押し寄せ、こちらもほとほと困り果てておりました。日頃からデルーニの過激派や傭兵たちとの連戦が続いている中で、兵馬共に疲弊し、物資も財力も消耗しております。ヘイムダル傭兵団の方々の援軍は、まさに天の救いかと思いました。主、カリム・ブライトナーも首を長くして待っております。クラウゼヴィッツ団長には、さっそく主の館へお越し願いたい」
「わかりました。すぐに参りましょう。リブロ、ソーンとヒュバートに指揮を任せ、城内へ向かうぞ」
「かしこまりました」
 ゲッツは身軽に馬に乗ると、リブロ、グワムらと共に城内へ馬を走らせた。すでに夕刻が近い。陽はオレンジの光を放っていた。
 城門をくぐり、街路を駆ける。ゲッツは横眼で城内の様子を見回した。民は怯えたような眼でゲッツたちを見つめ、囁きを交わしている。商人は店を閉めている者が多かった。戦いの気配はすぐそばにまで迫っていた。
 カリム・ブライトナーの居館は厳重に警固されていた。居館の周辺は言うに及ばず、館の中にも兵が配置されている。ゲルニカの見張り台を睨むデルーニの過激派にとって見れば、カリムの暗殺も有効な手段のひとつである。警戒を強めるのは当然のことであった。
 カリムは執務室にいた。机に積まれた書類を見ながら、額に手を当てている。眉間に作られた深い皺が、カリムの置かれた窮状を現わしているかのようであった。
「カリム様、ローエンドルフ卿より遣わされた援軍が御着到しましたぞ」
 机から顔を上げたカリムが、椅子から立ち上がった。思ったよりもがっしりとした体格で、手や腕にも傷が見受けられた。
「遥々アピナス郡まで来てもらって感謝しておる。私がアピナス郡の太守カリム・ブライトナーだ」
「お初にお目にかかります。ヘイムダル傭兵団の団長ゴットフリート・ディーゼル・クラウゼヴィッツです。ゲッツとお呼びください」
 カリムが手で促すと、ゲッツは長椅子に腰掛けた。長方形の卓を挟んだ向かいの長椅子に、カリムも腰を下ろす。使用人が茶を運んできて、二人の手元に置かれた。
「さて、状況は把握しておるかな?」
「デルーニの過激派が押し寄せてきていると聞きましたよ。すでに領内の城を占拠しているようですね」
 カリムは手元のカップを手に取って茶を飲んだ。ゲッツが兵を率いてきたと聞いても、その表情は晴れない。それが事の深刻さを物語っている。
 当事者であるカリムから詳しい戦況を聞き、なるだけ早く戦いに備えたい。ゲッツはそう考えていた。劣勢であるということはわかっているのだ。それはブフォンから依頼を請けた時点で覚悟していた。
「アフタマート青年同盟というデルーニの過激派だ。その数一万」
「一万」
 思わずゲッツは声に出していた。ヘイムダル傭兵団の兵力は二千五百である。ゲッツが事前に調べた情報では、アピナス郡の兵数は五千。しかし、モンテカルム城での攻防でかなりの兵数を失ったという情報があった。
「戦況は切迫している。皇都ログレスにも救援を仰いだが、明確な返信はない。今の戦力でこの危機を乗り切るしかないのだ」
 カリムの言葉には怒気が含まれていた。国境の危難を前にして、沈黙を貫いている王国の中央に苛立ちを覚えている。兵を送らずとも、物資を輸送するか、傭兵を雇う手当金を出してもいいはずである。カリムの怒りは当然だとゲッツも感じた。
「諸侯に援軍を頼むというのはどうでしょうか。近隣の諸侯はやはりデルーニの過激派や傭兵に悩まされていますが、ビフレスト以外の地域からであれば兵を出してもらえるのではないでしょうか?」
 言った後にゲッツはしまったと自分で思った。ここで思いつくような容易い案ならば、すでにカリムが行っているはずである。ゲッツの予想通り、カリムは力なく首を横に振った。
「無駄なことだ。ログレスを含む王国中央の混乱を余所目に、諸侯は今自分たちの所領を増やすことに躍起になっておる。あろうことか、近隣の太守を攻めて、その土地を我が物としている輩もいるのだ。ローエンドルフ宰相様が斃れられてから、この国は暗雲に包まれておる」
 カリムが漏らした嘆息はこの国の行く末を憂うものだった。しかし、今は眼前に迫る脅威に向き合わなければならない。仕切り直すように、ゲッツは話を元に戻した。
「それで、我らはまずどうしましょう?」
 ゲッツの意思が伝わったのか、カリムの頭の中もすぐに戦に切り替わったようだ。眼光は鋭くなり、戦場の空気を醸し出している。
「モンテカルム城を制圧したデルーニ共は、補給態勢を整えるためにアテン城を落とそうと企んでおる。貴公らはまずアテン城に入って補給を受け、出撃してくるデルーニ共を撃退してもらいたい」
「わかりました。それではすぐにも出立致します」
「うむ。わしも打てる手をすべて打ち、兵を率いて救援に向かう。貴公の力、恃みとしておるぞ」
 腰をあげたゲッツは、カリムに一礼をしてすぐに居館を出た。相変わらず、城内は不安に包まれていた。
「敵方のアフタマート青年同盟ですが」
 駐屯地に戻る途上、リブロが口を開いた。
「調べた限りでは、戦のやり方が下手ではありません。首魁はエグモント・マンヘイムという男で、上流階級の出自です。戦の経験はほとんどないようです」
「すると、片腕が戦に長じていて、入れ知恵をしているやつがいるってことだな」
「そうでしょう。エグモントの家はかなり裕福で、アフタマート青年同盟結成に伴う物資もエグモントが用意しています」
 ゲッツはきな臭いものを嗅ぎ取っていた。ただ金があるだけの者に、一万もの兵力を集めることができるのか。もっと大きな力が裏で働いているのではないのか。それが正しいとすれば、この戦いは何を意味するのか。
 そこまで考えて、ゲッツはその思考を停止した。自分は傭兵である。戦いの意味など考えても仕方がない。
 駐屯地に向けて駆けるゲッツ。その顔はいつもの傭兵団の長の顔であった。
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