白日 Ⅴ

文字数 2,286文字

 まとわりつく闇を払い、ゲッツは眼を開けた。眼前にあるのは、木製の天井である。おぼろげな記憶の糸を辿り、ここがゲルニカの本営であることを理解した。
 シャールヴィの攻勢に倒れたゲッツは、駆けつけた親衛隊の手によって救出され、手当てを受けた。今、ヘイムダル傭兵団の指揮はリブロが執っている。アフタマート青年同盟とマーナガルム傭兵団の追撃。そして、アテン城とモンテカルム城の奪回を目指して動いている最中であった。
 ゲッツがいるのは、本営の一室である。執務を行う机と椅子、そしてたくさんの棚が置かれ、寝台がある。机から出入口である扉までは、四タイズ(一タイズ=六畳)以上あり、かなり広い。
 寝台から起き上がったゲッツは、机のほうへ移動する。椅子に腰掛けようとした時、部屋の扉が叩かれた。
「誰だ?」
 今ゲルニカにいるのは、ゲッツの親衛隊と、わずかな数のブライトナー兵のみである。何故かゲッツは胸騒ぎを覚えた。部屋にデュランダルはない。あるのは机に立て掛けてあるステッキのみであった。
 名乗りもなく扉が開かれる。ゆっくりとした動作で室内に足を踏み入れたのは、ランスロットとエジルの二人だった。二人とも負傷していたので、ゲッツと共にゲルニカに残ったのだ。
 ゲッツの視界に入ったのは、ランスロットのアロンダイトと、エジルの持つブロードソードだった。本能がゲッツに何かを告げている。思わずゲッツはステッキを手に取った。
「アテン城を奪回したという報告が入りました。アフタマート青年同盟とマーナガルム傭兵団は、モンテカルム城まで兵を退きましたが、アフタマート青年同盟のエグモントと、マーナガルム傭兵団のアルファードの間で、交戦かアースガルドへの完全撤退か、意見が割れているようです」
 戦況を報告するランスロットに、ゲッツは怪訝な表情を隠さなかった。わざわざランスロットがやらなくても、伝令がその役目を果たすはずだった。何よりエジルまで伴って来る必要はまったくない。不信感を拭えないまま、ゲッツはステッキを握り締めた。
「それだけか?」
 ゲッツはステッキを両手で構えた。するとランスロットが、わずかに眼を細めた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。ゲッツ団長。いや、フェリックス・ゴットフリート・ベルンバッハ殿、と言ったほうがいいかな」
 今度はゲッツの表情が変わった。あの、忌まわしき記憶と共に葬り去った、忌まわしき名。それを聞いたゲッツは、即座にステッキを構えた。
「ランスロット。お前、何が目的だ。何故ヘイムダル傭兵団にきた?」
 ゲッツは殺気を放つ。だがランスロットは微塵も臆する様子を見せない。それどころか、一歩、二歩と、前へ出てきた。
「人間族の父と、デルーニ族の母を持つ俺は、混血種(ハイブリッド)として生を受けた。父は腕の良い職人で、ある日頼まれた品物をマラカナンに届け、その届け先で命を落とした。そして父を喪った俺たち母子は、手の平を返したような近所からの迫害に遭い、母は自ら死を選んだ」
 ゲッツは表情を曇らせた。ランスロットの眼に徐々に燃える憎悪の炎。それは間違いなく自分に向けられている。そして、“マラカナン”という言葉に、ゲッツはすべてを悟った。
「そうか。ランスロット、お前…」
 ゲッツの言葉を、ランスロットが遮った。アロンダイトを双剣に持ち替えたランスロットが、ゲッツに向けて殺気を放つ。
「ああ、そうだ。俺の父はマラカナンの惨劇に巻き込まれて死んだ。あんたら王国軍が偽装した茶番劇によってな。どれだけの人が命を喪い、どれだけの人が不幸になったと思っている。その悲しみを、苦しみを、お前たちは知るべきだ」
 慇懃な仕草で、エジルが一歩前へ出た。すでにエジルもブロードソードを抜いている。
「あなたのことは調べさせていただきました。“ゲッツ”と呼ばれていた副官が、陣頭指揮を執った。それだけしかわからなかったので、辿り着くまでに苦労しましたよ。しかし、決めてはあなたの持っている剣。そう、名門ローエンドルフ家に伝わる二つの名剣・カレトヴェルフでした」
 軍を離れた後も、ゲッツはカレトヴェルフを持ち歩いていた。ゴットフリート・ディーゼル・クラウゼヴィッツと名を変えても、カレトヴェルフは捨てられなかった。亡き主・ウーゼルの生きた証だと考えると、尚更であった。
「あんたと、あんたの上官にして、今の大将軍アーチルフ・ルーベンス。そしてイングリッドランド王国の実権を握ったオズウェル・イワン・マイクロトフ。マラカナンの惨劇に関わった三人に罰を下し、本当の意味での平和な世を築く。俺の復讐は、そのための第一歩だ」
 多くの者を不幸にしたというランスロットの言葉が、ゲッツの胸に深く突き刺さる。同時に、あの日耳にした悲鳴や怨嗟の声が、遠鳴りのように蘇る。
 デュウェインの顔がゲッツの頭に浮かぶ。白い歯を見せて、嬉しそうに家族のことを語っていた眩しい笑顔は、鮮明に記憶に残っている。そして、最期の悲哀と苦悶の表情もまた、しっかりと刻みつけられていた。
 あれからゲッツは将校に昇進し、前線へと配属された。散っていた人々の魂に報いるために、戦いを終わらせることこそが償いだと信じていた。だが、それは身勝手な思い込みに過ぎない。罪も、恨みも、哀しみも、消えることなどありはしないのだ。
  ゲッツはステッキを床に放り出すと、ゆっくりと両手を広げた。許されるにはどうすればいいのか。そして誰に許しを請うべきなのか。あまりにも深い業が、ゲッツを苦しめるのだ。
 罪という名の泥にまみれた、この命を差し出す。ゲッツの答は、それだった。

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