凶刃 Ⅸ

文字数 2,422文字

 波紋が拡がっていく。それは恐怖という名のさざ波であった。本陣にいるゲッツには、それがはっきりと見えた。
 戦いは事前に立てていた作戦通りに進んでいた。大楯を持った歩兵を一斉に立ち上がらせて、ギリング隊の騎兵を急停止させる。馬の特性を利用し、突然眼の前に人が現れたように見せて驚かせたのだ。そして大楯の間に隠れていた弓兵が、騎兵を速射で射落としていく。作戦は上手く運んでいた。
 ギリング隊はマーナガルム傭兵団の核であり、主柱といっても過言ではない。そのギリング隊が苦戦すれば、全体に動揺が拡がる。その間に、エジル、ランスロットの騎馬隊でマーナガルム傭兵団の歩兵を突っ切り、主力の部隊で押し潰してしまえるはずだった。
 シャールヴィでさえ、事態を打開できないだろう。ゲッツはそう睨んでいた。だが誤算があった。シャールヴィは最初の突撃で突っ込んでこなかった。後方で戦況を見守っていたのだ。そして騎馬隊が苦戦するのを見て、猛烈な勢いで突っ込んできた。
 エジル、ランスロットの騎馬隊が、マーナガルム傭兵団の歩兵を掻きまわしている。主力の歩兵も打ち掛かり、戦場中央は乱戦になっている。本来ならもう崩れているはずだ。しかし、シャールヴィの突撃を見た歩兵は、踏みとどまって奮戦している。
 もはやシャールヴィとギリング隊を撃退するのは不可能に近かった。両翼の歩兵が耐えているうちに、マーナガルム傭兵団の歩兵を潰走させるしか手段はない。そう判断したゲッツは、手を高く掲げた。
「本陣を前進。正面を突破する! 遊軍のヒュバートに伝令。騎馬隊でシャールヴィ・ギリングを押さえ込め‼」
 慌ただしく伝令が駆けていく。デュランダルを手にしたゲッツは、横眼で左翼を見た。
(なんとか耐えろ。ヒュバートがシャールヴィに当たっている間が勝負だ)
 本陣が前進する。ゲッツが動いたことにより、ヘイムダル傭兵団の意気も上昇する。だが時を同じくして、マーナガルム傭兵団の本陣も前進しはじめた。アルファードが陣頭に立っている。舌打ちしたゲッツは、デュランダルを振りかざした。
「敵の本陣も動いたぞ! 勢いそのままに、本陣を押し潰してやれ‼」
 眼前の歩兵さえ潰走させてしまえば、マーナガルム傭兵団は退却せざるを得ない。あとはブライトナー軍と共にアフタマート青年同盟を破るだけだった。
 ランスロットがよく騎馬隊を指揮していた。あの若さで恐ろしいと、ゲッツは思った。長じれば、ゲッツを上回る指揮官となる可能性があった。そして、ランスロットと組んでいるエジル。ランスロットが紹介してきた雇われの傭兵だが、戦は上手い。エジルが来たことで、騎馬隊を二つに分けることができたのだ。
 デルーニ兵は踏みとどまっていた。ここで後退すれば、それは敗走だとわかっているのだ。総大将であるアルファードの檄も飛んでいる。ヘイムダル傭兵団の歩兵も、ゲッツの声を背に受けて必死に戦っている。
 互いにぎりぎりのところで綱引きをしているようであった。少しでも均衡が崩れれば、戦いの流れは濁流となって両陣営を呑み込む。一歩も退けない状況であった。
 ゲッツは舌打ちした。ここでヒュバートの遊軍を投入できれば、勝負はついた。だがシャールヴィを押さえるためにヒュバートを使ったことで、一手を封じられたようなものだ。
「押し出せ! 敵はあと一押しで崩れるぞ。ヘイムダル傭兵団の力を今こそ見せてやれ‼」
 ゲッツも力の限り兵を鼓舞する。それは敵の大将、アルファードも同じだ。なんとか踏ん張ろうと、デルーニ兵を後押ししている。乱戦はまさに泥沼と化していた。
 騎兵と歩兵が入り乱れているのは、左翼も同じだ。シャールヴィはヒュバートの騎馬隊に当たり、ベイオルフがギリング隊の騎兵を討っている。向こうもぎりぎりの状況だった。ゲッツが左翼に向けた視線を正面に戻そうとした時、聞き覚えのある雄叫びが戦場に響いた。まだゲッツの視界には、左翼の状況が映っている。背筋に冷たいものが流れるのを、ゲッツは感じた。
 シャールヴィとヒュバート。ヘイムダル傭兵団とマーナガルム傭兵団の騎馬隊を率いる指揮官が、相まみえる。互いに腹の底から声を出し、一合、二合と馳せ違う。シャールヴィとヒュバートの武器がまともに触れ合い、火花が散っている。凄まじいぶつかり合いだった。シャールヴィが騎馬隊を指揮するのを押さえるには、自分が当たるしかないと、ヒュバートは考えたのだろう。三合、四合と、さらに馳せ違う。
 五合目。光を放ったシャールヴィのピュサールが、ヒュバートを捉えた。ヒュバートの首がボールのように跳ね飛び、鮮血の雨が降る。悲鳴と喊声が入り混じった後、悪魔の高笑いが戦場に木霊する。
ヒュバートが討たれると、ゲッツはすぐに本陣を後退させた。全部隊に退却の合図を出す。ヒュバートを討ったシャールヴィは、間違いなく中央の乱戦に加勢するだろう。そうなれば中央の戦況はマーナガルム傭兵団に傾く。交戦続行は不可能であった。
 ゲッツの合図と共に、騎馬隊が殿軍となって歩兵が散開をはじめる。リブロの部隊も後退していた。
「ブライトナー卿に早馬を送れ。退却する」
 もたもたしていれば、ブライトナー軍までマーナガルム傭兵団の凶刃に晒されることになる。どこまで追撃を掛けてくるのか。だが、追撃はそこまで厳しいものにならないと、ゲッツは予測していた。アテン城とゲルニカの見張り台を押さえることを優先するからだ。しかし、その後はどうするか。ゲッツの頭の中にはさまざまな考えが巡っていた。
 あと一押しで崩せた。作戦も悪くなかった。しかしそのすべてを、シャールヴィ・ギリングに覆された。叫び声をあげたくなる衝動を、ゲッツはなんとか抑えた。手綱を握り締めたゲッツは、少し後ろを振り返る。
(死ぬなよ、ガウェイン。生きて帰れ。俺は、お前に…)
 土煙があがる。喊声が聴こえる。兵の屍体が転がる。
 陽は西に傾きはじめていた。
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