白日 Ⅳ

文字数 3,084文字

 アーチルフとゲッツは、町の外で状況を見守っていた。二人の間に会話はない。市民を虐殺するという、非人道的行為を命じた二人は、これからさらなる悪事に手を染めなければならないのだ。
 マラカナンから届く悲鳴が徐々に少なくなり、やがて喊声も聴こえなくなった。運良く町の外へ逃れた市民も、常世の密偵によって命を奪われた。ここまで、作戦は完璧に遂行できている。
 常世は大陸各地に拠点を構える巨大諜報集団である。諜報、探索、潜入、暗殺、強奪、調略を担う忍の者たちで、高名さとは裏腹に、その実態は謎に包まれている。
 常世の忍が駆けつけてくる。フードを目深に被ったその表情はまるで窺い知れず、不気味な雰囲気を漂わせている。
「市民の掃討は完了しました。リベリー殿は手はず通り、南門を固めております。常世の呪法により、東門は封鎖済みです」
 マラカナンの出入口は三つ。北門、東門、南門だった。そしてアーチルフとゲッツは北門を眼前にしている。
 後方から獣の唸り声が聴こえる。闇夜に眼を光らせるのは、全長四トール(一トール=九十センチ)、体高一トールと二バンチ(一バンチ=30センチ)に及ぶ、魔狼・ワーグであった。鋭い牙と爪、強靭な四肢と俊敏な動作、すぐれた嗅覚、そして咆哮波動を放つ魔獣である。一体ならば武装した熟練の冒険者(レンジャー)でもなんとか対抗できるが、集団となると話は違ってくるゲッツたちの後方にはおよそ百匹以上のワーグが控えている。
「こちらが常世の魔操術によって手なずけ、特殊な調教と薬品で強化したワーグ。正規の一軍に匹敵する実力を持つと自負しております。さしもの正規兵も、我らのワーグには敵うはずもございません」
 口もとに冷徹な笑みを浮かべた常世の忍に対して、アーチルフが無表情に頷いた。
「事後処理は?」
「はい。すでにデルーニのグレンデル傭兵団を捕らえております。彼奴等も事が済み次第始末すれば、すべて完了でございます。グレンデル傭兵団は、仲間割れの末に金品を奪い合い四散したという筋書きになっております。どうせ素性もわからぬような者たちです。問題ありますまい」
「よく捕らえることなど出来たな」
 アーチルフが訊くと、常世の忍がまた、笑みを見せた。ゲッツは自分の肌が粟立つのを感じた。
「副長と取引をしましてね。デルーニといえど人。金に眼がくらむ者はいるのです」
「そうか」
 アーチルフがゲッツに眼で合図する。わずかな逡巡の後、ゲッツは愛用のツヴァイハンダー・ノートゥングを肩に担ぎ、左手を前方に翳した。
「いくぞ。目標はマラカナンのデルーニ兵だ」
 ゲッツの背後に三十の麾下が揃う。マラカナンにいるのはデルーニ兵などではない。すべて苦楽を共にした兵たちだ。それでも、なお自分はやらなければならない。

『市民襲撃に携わった一般兵は、口封じのためにすべて討ち取るべし』

 それがこの作戦の最後の任務であった。
(俺が、人として生きてこられた理由。すべては、ウーゼル様と、そして、友のために)
 常世の忍が前へ出る。すると、ワーグも前へと進み出た。
「ワーグ隊、突撃!」
 咆哮と共に、ワーグたちが駆け出す。それに劣らぬ速さで、常世の忍も疾駆する。
「ベルンバッハ隊、ゆくぞ!」
 ゲッツは馬腹を蹴る。駆け出すと、麾下の兵が迷いなく後を追って来る。すぐにまた馬蹄が聞こえた。アーチルフも麾下の兵を連れて動いている。全軍での突撃であった。
 ワーグが北門からマラカナンに侵入する。しばらくすると、悲鳴が聴こえてきた。
「ワーグだ! なんでこんなところに⁉」
 兵が隊列を作り、ワーグに対抗しようとする。大きく口を開けたワーグが咆哮波動を発すると、兵たちに異変が生じる。平衡感覚を失う者、吐き気を催す者、失神する者、その効果は様々である。すぐに別のワーグが飛び出し、兵たちに襲い掛かる。爪で装備を引き裂き、体を牙で引きちぎる。マラカナンの町に、絶叫が木霊する。
 ゲッツは北門からマラカナンに突入した。すでに事切れている兵の屍体が転がっている。見知った顔を見つけて、ゲッツは眼を逸らした。北門を固めれば、逃亡者は出ない。ゲッツは麾下を動かし、アーチルフと共に北門で待機した。
 この世のものとは思えぬ叫びと咆哮が入り混じり、まるでここが現実世界ではないように感じる。ゲッツはノートゥングを握り締め、すべての感情を押し殺すことに専念した。
「隊長! ゲッツ隊長‼」
 聞き慣れた声がゲッツの心を揺り起こす。街路の先には、デュウェインとその下の兵が駆けてきていた。
「ワーグが各所で大量に発生しています。かなりの数の仲間がやられました。リベリー殿が南門を封鎖するという、おかしな行動をとっていて、そのせいで犠牲になった仲間もいます。すぐに救援をお願いします」
 すでに手負いの者もいる。ワーグとの戦闘を上手く切り抜け、なんとか北門を目指していたのだ。そして北門でゲッツを発見した。助けがきたとデュウェインが思っているのは明らかだった。
「止まれ‼」
 ゲッツはデュウェインたちに、ノートゥングの先を向けた。怒気を含んだゲッツの声に驚いたデュウェインたちは、思わず足を止めてしまう。
 ゲッツの眼は暗かった。一切の光が射さない闇と同じ。その異変に気づいたのか、デュウェインが眼を丸くした。
「お前たちは休戦協定が結ばれているにも関わらず、略奪目的でマラカナンを襲い、市民を虐殺した愚かなデルーニ兵だ。そのような者は、俺の配下ではない」
 デュウェイン他、兵たちが仰天の声をあげた。事態が呑み込めず、ゲッツの名前を呼び続ける者もいる。そんな中、デュウェインだけがわなわなと体を震わせていた。
「騙したのですか⁉ 俺たちを。休戦協定は結ばれた。平和になったんです。それなのに、なんでそんなことを⁉」
 デュウェインの眼光が、ゲッツを射抜く。痛みのようなものを覚えたゲッツだが、自らを奮い立たせようと、ノートゥングを振った。
「黙れ! お前に何がわかる。大義のために。イングリッドランド王国の未来のために。俺たちは戦わなければならないのだ‼」
「俺たちも、王国の民です! それなのに、殺されなければならないのですか⁉」
 的を射たデュウェインの言葉に、ゲッツは沈黙した。それ以上、何も出てこない。自分のしていることの矛盾を理解していたはずだが、なおゲッツの中に迷いが浮かんだ。
「もうよい」
 アーチルフが馬を進めて前へ出た。
「諦めろ。これは運命(さだめ)だ。貴公らの死は、この胸に留めおこう」
 アーチルフが笛を吹くと、ワーグの群れが集まってきた。それに気づいたデュウェインが、十字槍を構えて北門に向かって駆け出す。
「俺は死なない! 死ぬものか‼」
 無意識にゲッツは馬腹を蹴っていた。ゲッツはデュウェインの眼に、強い意志を感じた。
 馳せ違うと同時に、ゲッツはノートゥングを思い切り振り上げた。戦士として腕を磨き、アーテルフォルスを纏うゲッツと、ただの正規兵であるデュウェインの力の差は明らかだった。十字槍を跳ね飛ばされたデュウェインが、突進の衝撃で転倒する。
 すぐに二匹のワーグがデュウェインに飛びかかる。爪で引き裂き、牙で抉る。夥しい血が地面に流れだし、デュウェインが悲鳴をあげた。
 なんとかワーグを押しのけようと、デュウェインが蹴りや拳を突き出す。しかしそれも無駄であった。すぐに三匹目、四匹目のワーグが襲いかかり、やがてデュウェインの動きが止まった。
「か、帰れなくて……。恨む、な……。い、生き……」
 微かな声が耳に届き、ゲッツは眼を閉じた。
 いつしか東の方が、仄かな光を放っていた。
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