凶刃 Ⅱ

文字数 3,122文字

 陽が中天に昇る頃、ヘイムダル傭兵団はアフタマート青年同盟と遭遇した。すでにアフタマート青年同盟は陣形を展開し、布陣を完了していた。
 出撃にあたって、ゲッツはブライトナー軍の加勢を断った。いざ戦場で戦う場合、味方同士での連携が非常に大事になってくる。合図こそ徹底しているが、ヘイムダル傭兵団とブライトナー軍では戦法が違う。七千ならばヘイムダル傭兵団のみで打ち破れると判断したゲッツは、ヘイムダル傭兵団二千五百のみで砦を出た。
 アフタマート青年同盟は、鶴翼の陣形を組んでいた。そしてその前衛で、三千の魚鱗の陣が張り出すようにしている。攻めと守り、両方を兼ねた陣形である。アフタマート青年同盟が、このような奇抜な戦法を採るということ自体ゲッツにとっては意外であった。それだけではない。張り出すようにして対峙する魚鱗から、ゲッツは異様な圧力を感じ取っていた。
(目障りなことをしやがる。こりゃ、やり方次第でかなりの消耗を強いられるぞ)
 ゲッツはまだ自軍の陣形を決めていなかった。数もアフタマート青年同盟が上回り、そのくせ攻守に隙のない陣を展開している。横に兵を展開すれば、三千の魚鱗に分断されてしまう。兵を固めれば、後方に控える鶴翼に押し包まれる。皮肉にもブライトナー軍の不在が窮地を招いていた。
「団長!」
 リブロがゲッツに馬を寄せてきた。ゲッツが兵の展開を決めかねていることを察したのだ。
「一見巧妙な布陣に見えますが、魚鱗と鶴翼が同時に機能することはないと思います。ここは兵を二段に広げて最初の攻撃を凌ぎ切る。その後に鶴翼の本陣を狙うべきでしょう」
「そんなことはわかってる。だがお前は感じないのか。あの三千の魚鱗から発せられる、異様な気を。俺には見える。禍々しい気が。俺たちを吞み込んでやろうという意思が」
 リブロがアフタマート青年同盟の陣に眼を転じた。息を呑む気配が伝わってくる。ゲッツに指摘されて、ようやくリブロも異変を察知したのだ。
 角笛の音が響き渡る。まるで地獄の底から鳴り響く太鼓の音のように、野太く響いている。ゆっくりと、アフタマート青年同盟の陣形が動いているのがわかる。
「リブロ、本陣を三百。第一段を千百、第二段を一千、残り百騎を遊軍にしろ。まずは魔法攻撃で魚鱗を削る」
「わかりました」
 リブロの指示が飛ぶ。それを待っていたように傭兵たちが動く。その動きは機敏だった。
「魔法兵、呪文詠唱!」
 続けてリブロの命令が下される。魔法兵が意識を集中し、呪文を唱える。その間も、ゲッツはアフタマート青年同盟、いや、その前衛に位置する魚鱗から眼を離さなかった。
跳石礫弾(シュタング・シュラッグ)
 地から浮き上がった石がさらに大きく形をなし、石のマジックミサイルとなって放出される。雨あられのごとく、石の飛礫がアフタマート青年同盟に襲い掛かる。命中するかと思われた直前、結界が石のマジックミサイルを防いでいた。
 ゲッツが舌打ちをする。一兵でも多く敵の数を減らすことが狙いだったが、魔法攻撃で大きく兵力を削ぐことは出来なかった。それはゲッツの計算を狂わせることになる。
 それならばもう一度、魔法攻撃を浴びせるまで。ゲッツが合図を出そうとした時、急に空が暗くなり、にわかに雨が降りはじめた。やがて大きな雷音が轟き、ヘイムダル傭兵団の上空に閃光が走る。
「くるぞ!」
 滝のように見える無数の雷が、ヘイムダル傭兵団目がけて迸る。結界で防いでいるとはいえ、無数の雷をすべて遮断することは不可能であった。降り注ぐ雷は結界を突き破り、傭兵たちに命中する。悲鳴があがり、肉が焦げる臭いが充満する。痛みに悶絶する傭兵が、隣の傭兵に接触し、感電を引き起こすという二次被害も見受けられた。
 ヘイムダル傭兵団が雷の雨に当てられている最中、アフタマート青年同盟の三千の魚鱗が、旗を翻した。ゲッツのいる場所からは、その旗が鮮明に見てとれた。
 鎖を噛みちぎる、灰の狼の軍旗。それはビフレスト州に名を知られるデルーニ族の傭兵・マーナガルム傭兵団の旗であった。
 高笑いが戦場に拡がる。まるで悪魔の笑い声のようにも聴こえるその声と共に、もうひとつ旗があがる。十字に絡みつく蛇と、その脇を舞う二匹の蝶を象った軍旗。それを見たヘイムダル傭兵団から叫び声がした。
「シ、シャールヴィ・ギリングだーっ‼」
 魚鱗の先頭にいる騎馬隊五百。その中の一騎が、高く得物を掲げる。ハルバード先端の左右両方が斧部になっている、ハルバードクレッセント。シャールヴィ・ギリングが愛用する、ピュサールだった。
 褐色肌の首筋にある、蛇と蝶の刺青。鋼のような屈強な肉体を包む、白の甲冑。シャールヴィ・ギリングは、口元でにやりと笑みを浮かべた。
「さあて、始めようか」
 シャールヴィがハルバードクレッセント・ピュサールを振り下ろす。すると三千の魚鱗が、一斉に駆けはじめた。五百の騎馬隊を先頭に、迷うことなくヘイムダル傭兵団に向かう。その先頭に立っているのは、青毛の巨馬・黒矢(カーバイン)に跨るシャールヴィ・ギリングである。
「迎撃せよ! パイク兵前へ‼」
 リブロの冷静な声が、一瞬我を忘れそうになった傭兵たちを落ち着かせた。やるべき事を思い出した傭兵たちが、しっかりと武器を構える。
 また高笑い。ヘイムダル傭兵団のパイク兵が居並ぶ光景を見ても、シャールヴィは微塵も臆することなく突っ走る。ピュサールを振り上げ、ヘイムダル傭兵団の陣に突っ込んだ。
 シャールヴィが駆けると、傭兵たちが宙に舞う。ピュサールを振るえば、一気に五人、六人と、首が跳ね上がる。傭兵たちの頭上に鮮血の雨が降る、悲鳴と恐怖が伝染する。
「歯ごたえのない奴らだ! ヘイムダル傭兵団たぁ、この程度か‼」
 シャールヴィが縦横無尽に馬を駆けさせる。駆けた先で、また首が飛ぶ。鮮血が散る。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図であった。
「第二段、第一段を援護しろ! 遊軍は側面から敵の脇腹を衝け!」
 ゲッツが指示を出す。まさかこれほどとは。ゲッツはそう思っていた。噂に聞いていた、悪名高きデルーニの傭兵。皆殺しのギリングと呼ばれるその実力を目の当たりにし、さしものゲッツも焦りを隠せなかった。
 とにかくシャールヴィ・ギリングと、その麾下の騎馬隊がくせ者だった。我が物顔で戦場を駆け回り、隊列を次々と断ち割っていく。そして孤立した隊を漏らさず討ち取る。その先頭に、必ずシャールヴィがいた。
「シャールヴィ・ギリングを止めろ‼ 騎馬隊の動きを封じるんだ‼」
 ゲッツの命令を受けて、傭兵たちが動く。手練れの傭兵十騎が集まり、シャールヴィ・ギリングを囲むように立ち塞がった。
「精鋭って訳か。いいぞ、俺を楽しませてみろ‼」
 シャールヴィが黒矢(カーバイン)の馬腹を蹴る。すでにかなりの速さで駆けているにも関わらず、黒矢(カーバイン)は息も切らさず加速した。
 シャールヴィのピュサールで、四騎が馬から突き落とされる。ピュサールを横に一振りすれば、五騎が払い落される。そして馳せ違いざまに、一騎の首が血と共に舞い上がった。
 時が静止した。馬から落ちた九人の傭兵も、ぴくりとも動かない。攻撃を受けた瞬間に即死であった。傭兵たちが息を呑む。デルーニ兵もまた、その人並外れた力に唖然とする他なかった。
 悪魔の如き高笑い。再び、時が動き出す。
「皆殺しだ! 人間どもを八つ裂きにしてやれ‼」
 土煙が舞う。喊声と悲鳴が入り混じる。
(このままじゃいけねぇ、撤退だ)
 ゲッツの背中を冷や汗が伝う。撤退。それが果たして本当にできるかどうか。シャールヴィの魔の手から、逃れることはできるのか。
 悪魔が牙を剥く。土煙と血飛沫に染まる戦場を、シャールヴィ・ギリングが支配しようとしていた。
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