凶刃 Ⅷ

文字数 2,507文字

 角笛の音が、ガウェインの体を揺さぶった。どくん、という鼓動が全身に響いている。味方の魔法攻撃が炸裂した瞬間、合図と共に前進する。戦いが始まる前から、すべての傭兵に伝えられていたことだった。
 右手には槍を、そして今日は左手に大楯を持っている。その大楯がどうしようもなく重く感じてられていた。だが手放すことはできない。それがシャールヴィ・ギリングを倒す鍵になるからだ。
 大楯を持つ歩兵の間には、ショートボウを持った兵がいた。大楯に隠れるようにして、歩調を合わせる。ガウェインら歩兵は身を低くしながら、大楯を頭上に構えて進んでいく。先頭の傭兵意外は、前方の状況がどうなっているかまったく把握できない。傍から見れば、それは亀が進んでいくようであった。
 仲間の息遣いを近くで感じながら、ガウェインが進む。シャールヴィ・ギリングが近づいていると考えるだけで、恐怖と憎しみが湧いてくる。綯い交ぜになった感情が渦巻いて、ガウェインの緊張をさらに増していく。
 ヘイムダル傭兵団の両翼は手薄であった。ベイオルフと、歴戦のオラフ・ゾルが指揮する部隊のみが配置されていて、それをヒュバートの騎馬隊が援護する形である。中央に主力を集め、一気に本陣を叩く。それがゲッツの狙いといえた。
 馬蹄が聞こえる。その瞬間、ガウェインの心臓が跳ねた。先の戦いで感じた、シャールヴィの騎馬隊。一陣の風ように速く、そしてすべてをなぎ倒す大鉈をのような破壊力を持っていた。その時の衝撃を、肌が記憶している。渦巻く恐怖が増大しようとするのを、ガウェインは必死で抑えた。馬蹄は次第に離れていった。味方の騎兵だろうと思うと、恐怖が少し和らぐ。だが、油断など決して許されない。
 エジルとランスロットの騎馬隊が、マーナガルム傭兵団に突撃していく。その後方に、主力であるパイク兵が続く。
 マーナガルム傭兵団も動く。本陣で旗が振られると、喊声と共に雄叫びが聞こえた。魔獣の咆哮のようなそれは、まさしくシャールヴィの雄叫びであった。叩き潰せ、というシャールヴィの声が轟き、両翼の騎馬隊が突進をはじめる。
 ギリング隊が駆けはじめる。ガウェインの耳に、はっきりとその音が届いた。近づいてくる蹄音は、まるで地獄の底から唸り声がしているようだった。槍と大楯を握る手に力がこもる。体中から汗が噴き出しているのを、ガウェインは感じていた。
「教練通りに。それできっと勝てるよ」
 隣にいたスタンリックが、ガウェインを見た。眼を合わせたガウェインが、強く頷く。スタンリックの頬にも、汗が伝っていた。スタンリックも手にしているショートボウをぎゅっと握りしめた。
 歩兵の後方にいるベイオルフが、ゆっくりと手を挙げる。その間もギリング隊が、ガウェインら歩兵を踏み潰そうと迫っている。
 ギリング隊が歩兵の眼前まで迫った時、ベイオルフが手を振り下ろす。太鼓が打ち鳴らされ、それがガウェインたち歩兵に伝わる。歩兵が一斉に立ち上がり、大楯を構えて喊声を上げた。
 いきなり眼前に現れた人間と大楯に驚いたギリング隊の軍馬が、次々と嘶きを上げて棹立ちになった。するとショートボウを持った弓兵が飛び出し、ギリング隊の騎兵に向けて一斉に矢を放った。
 混乱する馬を制御できないギリング隊の騎兵は、ヘイムダル傭兵団弓兵の恰好の的となった。騎兵は射落とされ、今度は歩兵の槍の餌食となっていく。さらに態勢を立て直す暇を与えず、弓兵が矢を連射する。
 ギリング隊が思わぬ攻撃に晒されたことで、マーナガルム傭兵団に動揺が走る。ギリング隊がヘイムダル傭兵団の両翼を崩し、正面と両面から押し潰すのがマーナガルム傭兵団の戦法だった。しかもマーナガルム傭兵団の主力ともいえるギリング隊の窮地に、デルーニ兵も戸惑っていた。
 ベイオルフらの歩兵がギリング隊を攻撃している最中、エジルとランスロットの騎馬隊がマーナガルム傭兵団の歩兵に突っ込んだ。先頭でエジルとランスロットが剣を振るい、デルーニ兵を斬り捨てる。騎馬突撃でデルーニ兵を蹴散らす。そうして、マーナガルム傭兵団の陣形を崩していく。さらに、後続のヘイムダル傭兵団主力の歩兵が、マーナガルム傭兵団の歩兵に突撃しようとしていた。
 ガウェインは矢によって落馬したデルーニ兵を攻撃していた。喉元や顔に矢を受けて、即死している者もいた。まだ息の根があるデルーニ兵に向けて槍を突き出し、止めを刺していく。
(シャールヴィ・ギリングは…⁉)
 落馬しているデルーニ兵の中にシャールヴィがいないか、ガウェインは注意を払っていた。しかしこの程度でシャールヴィがやられるのか、という思いがガウェインの中にはあった。
 地鳴りがガウェインの体に伝わってくる。それはたしかに感じたことのあるものだった。肌が粟立つ。この音を知っている。それは、恐怖と共にガウェインの脳裏に刻まれていた。
「シャールヴィ・ギリングだ! シャールヴィ・ギリングが来たぞー‼」
 シャールヴィはこの戦いの騎馬隊の指揮をウォルターらに任せ、後方で見守っていた。しかし、騎馬隊の予期せぬ苦戦を見て、周りを固める六十騎と共に駆け出した。この六十騎こそが、シャールヴィの親衛隊でもあった。
「矢だ! 弓兵、矢を放て‼」
 ベイオルフが叫ぶ。弓兵が矢をつがえ、次々と矢を放つ。だがシャールヴィは向かってくる矢を叩き落し、一気にヘイムダル傭兵団歩兵の中に突っ込んだ。
 体を揺さぶられるような衝撃を、ガウェインは感じた。跳躍した黒矢(カーバイン)が、ガウェインの眼前に姿を現す。白い光を放ったシャールヴィのピュサールが、風と共にガウェインの横を掠めた。
 雨。それがガウェインの顔に当たる。生暖かさを感じたそれは、雨ではなかった。横を見ると、そこには首のないスタンリックの体が、激しく痙攣していた。
 思わずガウェインは悲鳴をあげた。憎しみではなく、恐怖がガウェインの感情を塗りつぶしていく。
 ヘイムダル傭兵団の弓兵がばたばたと倒れていく。槍兵が応戦しようとするも、縦横に駆け回るシャールヴィを追いきれない。
 恐怖が伝播する。混乱が拡がる。それは、先の戦いとまったく同じであった。
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