第38話

文字数 3,255文字


      その三十八

 用七老人にアドバイスしてもらった日は、ぼくも三原さんも〈ウルスラ・タウン〉のゲストルームに一泊することになっていたので、翌日K市に帰ってきたときには、もうお昼ちかい時間になっていたのだけれど、
「午後はかおるさんと約束があるのです」
 という民吾氏にアパートまえで降ろしてもらったのちにすぐ軽トラで改善大学校に行って、
「原田くん、いますか?」
 と男の事務員さんにきいてみると、案の定講義をサボッていた原田くんは、運動場の裏にある山羊の小屋付近のベンチでほかの隊士たちとたのしそうに雑談していた。
「このあいだは、ありがとうございました」
「おう、倉間さん!」
 ほんらいは、なまけものさん学部の生徒がおこなわなければならない山羊の世話を、おこりんぼうさん学部の生徒たちは思えばしょっちゅうやっていて、かわいく首をかしげて、
「どうしてだろう?」
 としばし思案したぼくが原田くんにそれについてたずねてみると、豪傑な電気アンマの達人は、
「いやね、コイツに、答案用紙だとか、親にいちいちわたさなくちゃならない学校からの手紙なんかを食ってもらってるんだよ」
 と快活にわらっていたが、怠学の生徒が文字通りなまけていてぜんぜんエサを与えないことも手伝ってか、たしかにこの山羊は証拠隠滅に足繁く通ってくる原田くんたちにおもいのほかよくなついていて、そういえば栗塚くんもいつだったか、山羊がどうのこうのといっていたことがあったかもしれない。
「火野さんのことで来たのかい? 倉間さん」
「うん」
 原田くんに火野きよしさんに依頼したい例の仕事の内容を説明すると、
「報酬があるんじゃ、ぜったいやるよ、あの人は」
 とすぐ電気アンマを行使しつつ仕事を引き受けさせることを請け負ってくれたが、E地区に住んでいる火野きよしさんのいわゆる見張りには卵新組のなかでは数少ない非おこりんぼうさん出である山崎くんが現在しっかり付いているらしく、
「山崎くんだったら、まちがいないね」
 と安心したぼくは、だから今度は沼口探険隊の人たちに、この吉報を告げに行くことにした。
「じゃあ、よろしくね、原田くん」
「なんだ? もう帰っちゃうのかい。きょうダイアンさん、休みなのかな? あっ、クロスピンクがエリマキトカゲをつくって……火野きよしさんが天地小巻ちゃんに伝えるのは、あとなんだっけ?」
 迷路のようになっている飲み屋街に慣れていないぼくは、このまえのように道に迷って苦戦する可能性もじゅうぶんあったので、まだ酒を出す店は開いていないかもしれなかったが、夕方の四時過ぎに、あのビニール製の自転車の車庫に向けてともかく家から歩きだしたのだけれど、ばったり会った面識のあるヤクルトレディーさんに途中まで誘導してもらったので、思っていたよりはかんたんにたどり着けたその車庫のなかをさっそくのぞいてみると、沼口隊長だけが懐中電灯を点けてたぶんKの森新聞の日曜版を読んでいて、
「ああ、倉間さん」
 と車庫から這うように出てきた隊長は、
「ううううううう」
 とのびをすると、
「飲みにきたんですか? そろそろ店、開けるはずだけどなぁ」
 と〈やきとり二郎〉の方向を、こんな体たらくではムササビービーも人面モービィ・ディックもとうてい捕獲できまい、という顔つきで、ぼんやりみていた。
「沼口隊長! きょうは隊長に、探険のお願いをしにうかがったのです!」
「ん? ええ! たたた、探険!」
「マーシシマイを探してください! F島に生息しているんです」
「島モノですかぁ! そういえば昔、木之元亮似の日本兵を捜したなぁ……」
 まだ五時にはなっていなかったが、タツヤくんのお母さんは店ののれんを出して「準備中」となっていた札も「営業中」と記されているほうにひっくり返していて、すると、待ってましたとばかりにキャンプ用の椅子で文庫本を読んでいたサラリーマンふうの紳士が〈やきとり二郎〉のなかに読書を継続しつつ入っていったが、
「くわしいことは、飲みながら話しましょう」
 とぼくと隊長も店のなかに入ると、最初の印象よりジェーン・アッシャーにずっと似ていたタツヤくんのお母さんは、オニオニを警戒しているぼくの様子を察したのか、
「二階もありますよ。どうぞ」
 と声をかけてくれて、
「せっかくだから、二階でやりますか?」
 と沼口隊長のほうをみると、隊長も、
「そうしますか」
 としっかり縛ってある、おそらく登山用の黒い靴のヒモをほどいていた。
 二階の六畳間には棚のところにお品書きが貼られてある古いイトーキ学習デスクがあって、
「そっちの椅子は足がガクガクしてるから」
 と沼口隊長は、ぼくがパイプ椅子のほうにすわれるよう自分からそのガクガクの椅子を選んで腰かけていたが、学習デスクのまえで隊長とぴったりくっついてすわっていると、そのうち、やきとりとモツの煮込みとホッピーの中ジョッキとレモン・ハイをタツヤくんのお母さんが、
「お待たせしましたぁ」
 と学習デスクのうえに、夜食でカムフラージュしつつ様子をうかがいにきた一昔前の教育ママのように置いてくれて、そんなわけでわれわれは、
「あれ? 隊長、これ、ジョッキに『サッポロ黒ラベル』って、入ってるけど、ホッピーですよね?」
「ちょっと試飲してみればいいじゃん」
「――あっ、ホッピーだホッピーだ」
 と飲みはじめることとなった。
 若いころの沼口隊長はなんでも将来有望といわれたサッカー選手だったらしく、だからとなりの部屋でサッカーのテレビゲームをしていたタツヤくんに、
「もうすぐ終了なんだから、ボールをまわせ! それもサッカーのたいせつな技術なんだぞ」
 とレモン・ハイを飲みながら恫喝的にアドバイスしていたが、ひざと足首をわるくして、サッカーを途中であきらめたという沼口隊長は、レモン・ハイを二杯ほど飲むと、
「けっきょく、探険にのめり込んでいったのも、選手だったころの自分をわすれるためだったのかもしれませんな」
 と学習デスクの横っちょにあったエルモアとかいうティシューで机にこぼしたモツ煮込みの汁を拭いていて、隊長はさらにエルモアでお口を拭いたりこちらのやきとりの当たり串の有無をチェックしてくれたりしながら、
「子どものころとか、若いころとかに、ある一定期間輝いてしまうと、まわりの人間はわすれても、本人はどこかでそれをずっとおぼえているから、つまり、輝いた自分におしつぶされてしまうんですな……」
 といつも以上に物思いにふけっているのだった。
 沼口隊長は、そういう人間は非現実的なことをして、それをはねかえそうとするから、場合によってはさらに状況をわるくすることもある、ともいっていて、
「畑中葉子さんの『後から前から』とか、そういうことですか?」
 とこちらがかまをかけると、その質問にはほほえんだだけで、
「そうかぁ、マーシシマイかぁ。がんばるぞぉ」
 とレモン・ハイをグイッと空けておかわりしていたが、ぼくのほうも、
「来週の水曜日、お時間ありますか?」
 と送ってきたあさ美さんに即「あります」と返していたからか、二杯目以降は安価な赤ワインをオン・ザ・ロックでがぶがぶ飲んでいて、ちなみに隊長に裏メニューの「めんたいトースト」なるものをおしえてもらって、
「うまい! ん? きょうお昼食べてなかったんだ」
 と気がついた関係で「生ハムとトマトのタルティーヌ」と「和風クロックムッシュ」もむしゃむしゃやっていたのだけれど、パンをたくさん食べてまたぞろスースーしているであろうあさ美さんのキャミワンピ姿を想像していたぼくは、たぶん隊長の話とは関係なく、
「よーし、がんばるぞぉ」
 とか、
「おもいっきりやってやるぞぉ」
 などと拳を握りしめていたようで、だから隊長はそのたびに、
「おもいっきりやりましょう!」
 と拳を握るポーズを返してきたり、
「われわれも三回くらいはナニする意気込みでがんばりますよぉ!」
 だとかとパンくずや水滴をエルモアで拭きつつ、こちらにアピールしていた。
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