第36話

文字数 3,157文字


      その三十六

 超プレイボーイ俳優としてこれまでに二百人以上の女を騙してきた火野きよしさんも、さすがに還暦を過ぎてからは清純派女優や流行歌手等の大物はなかなか欺けなくなっているらしく、だから〈ぐるぐる三昧〉社長のこの後妻さんや定年間近の独り者の公務員などにすり寄って近年は記録を地味に積み重ねていらっしゃるとのことだったが、
「ええっ! あの五月さんにそんなことを……えっ! こここ、小松にもですかぁ!」
 とわれわれが昂奮しすぎて鉛筆を折ったりメモ帳を噛みちぎったりしていると、火野きよしさんはいよいよ得意になって、これまでの女性遍歴をさらにお話しになってくれて、しかし婆や情報をふと思いだしたぼくが、
「そういえば、最近も、天地小巻ちゃんと、なんかねぇ――」
 とお世辞のつもりで揉み手をしつつおききしてみると、それまで上機嫌だった火野きよしさんは、
「う、うわ~」
 と急にガクガク震えだした。
「だいじょうぶですか? 奥さん、すみませんが、ホットココア、おねがいします」
 栗塚くんに励ましてもらいながらホットココアをふーふー飲んだ火野きよしさんは、
「おう、火野きよしさんよぉ、ここには天地小巻ちゃんはいねぇんだぜ! だからなにも、そんな怖がるこたぁねぇよ」
 という原田くんの問いかけにも、
「そうですね……」
 とそのうちどうにかこたえられるようにはなったのだが、これまでの人生で唯一騙すことができなかった小巻ちゃんに火野きよしさんは逆に、
「自分から京都の旅館に誘っておいて、ボクが男湯に入ってたら、なぜかあの人は失踪しちゃってるんです。なのに何日かすると、平気な顔して、ボクの部屋のチャイムを押してきて、肩をもんでくれとか、いってくるんです。そして、わらってるのか、おこってるのか、まったくわからない表情で、奇声を発してるんです……」
 と相当振り回されたらしいので、あまり踏み込んで、
「それで今度はどこに行ったんですか?」
 などときくと、
「う、うわ~」
 とまた火野きよしさんはその体験を思いだしてガクガク震えてしまって、とはいえ、火野きよしさんは若いころ、秀吉役をやったことがあるらしく、京都で入浴代とかをおっつけられたのは〈はしばや旅館〉というところだったとたまたまおぼえていることになっていたので、
「〈はしばや旅館〉は、わたしがずっと屯営していた宿だ!」
 と眼光をするどくした栗塚くんは、火野きよしさんのことはとりあえず大幹部の原田くんに任せて、ぼくとふたりでマミー屋敷に急遽向かったわけなのだけれど、謎の婦人に取り次いでもらって、
「もしもし、夜分にすみません」
 とかなり小さい声で旅館に電話をかけてみると、栗塚くんにたいへん感謝しているそこの女将は、
「なんでも、おっしゃっておくれやす」
 と役に立てることをむしろよろこんでいて、わたしがお暇してから、これこれこういう女性が訪れませんでしたか、と栗塚くんがたずねると、
「ええ。来はりましたえ。よう覚えとります」
 と女将は声を大きくした。
 幽霊が出るという噂をきいて、この旅館を訪れたらしい天地小巻ちゃんは、
「幽霊はある方のおかげで、いまはもう出てきはりまへん」
 と女将が説明すると、
「キャハキャハ、キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」
 と狂笑して、すぐどこかへ消えてしまったらしいのだけれど、
「この情報だけでも、あたまがぐらんぐらんしてきた。寝よう、栗塚くん」
「そうしますか」
 と納得して別れたのちの翌朝、
「あっ、寝てたかい倉間さん、わるかったなぁ」
 と電話をかけてきた原田くんも、あのあと火野きよしさんに必殺の電気アンマをお見舞いして、
「火野きよしさんよぉ、その旅館のほかに、どういうところに誘われたんだい!」
「ほ、ほ、ほかには、鳩山由紀夫代議士の別荘に行こうって、誘われました。鳩山さんは『宇宙人ユッキー』っていうニックネームがあるでしょ? だから、あの人は、たぶん鳩山先生を本物の宇宙人だと思ってるんですよ、うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
 というさらなる情報を火野きよしさんより聞き出してくれていたので、
「やっぱり小巻ちゃんは、宇宙人とか、そういう変なものを探しつづけているんだな」
 と寝起きなので声はかわいくなかったが、それでもしぐさはかわいく決めたぼくは、甘いコーヒーを飲んだのちに、古書店のほうに足早に歩いていって、お玉さんと朝飯を食べていた三原さんに、
「民吾さん! きょう、用七老人のところに行きましょう!」
 といよいよ呼びかけたのだった。
 きのうあれからお姉さんにすぐ電話したという民吾氏は、
「夜までには、親父とそれから常連さんたちの許可も得ることができましたよ」
 とクルマに乗り込むさいにいってきたが、
「電波の関係なんですかねぇ……このライトバンのナビはK市にいるあいだは、いつもまったく機能しなくなってしまうのです」
 とカーナビをオフにしてKの森ラジオを点けると、歌ばかりを流しているラジオの番組にまたぞろジャーナリスト氏はゲスト出演していて、それでジャーナリスト氏は例によって、
「試食おじさんをいちばん最初に発見したのは自分なんですよ」
 うんぬんと水戸光子ちゃんが非絶対音感であるのを蒸し返したのちに、いい張っていたので、
「どつるの野郎!」
 と本名は「鶴田光明」というジャーナリスト氏にとうぜんぶちぎれることになったぼくは、
「いまからラジオ局、行ってください!」
 と運転していた三原さんにあたまに血がのぼった状態でたのんでいたのだけれど、
「あはははは、山城さんがいってたとおりですね」
 とそんなぼくの様子をわらっていた民吾氏は、
「スマイリイの対談集に組み込まれていた『あるおじさんをめぐって闘う』っていう暗号は、きっとこのことなんでしょうから、これで成就しましたね」
 といいつつ、
「それより、小巻ちゃんのほうが大事ですよ、倉間さん。しかも沼口探険隊の復活もかかってるわけですから」
 とぼくの怒りをなだめてくれて、そういえばいつだったか、民吾氏はそんな暗号をみつけてきたことがあったような記憶もあるけれど、試食おじさんは二〇〇八年以前の二〇〇六年ごろにはすでにこの界隈に出没していたのはぜったいまちがいないのだから、きょうは用七老人と面会するので、まあ、とくべつに許してやるが、とにかくぼくはあのどつるの野郎との闘いにおいて、今後もいっさい妥協するつもりはないのである。
「最初にみつけた人間のほうが、よりレベルが低いじゃないって、〈高はし〉のおかみさんですら、いっているのですよ」
「どつるめ……」
 ポケットに入れておいた携帯が振動したので民吾氏にことわったのちに取り出してみると、心のどこかでいつも待ち焦がれているあさ美さんからのメールが届いていて、あさ美さんは先日ぼくが送ったお見合いの後日談にたいして「うまく話がまとまるといいですね」というようなことをまたぞろ記していたけれど、ベッドサイドにあった二冊の冊子がふたりの運命を変えるかもしれないと送ったぼくに、
「わたしもその本読んでみたい」
 とあさ美さんは返信してきて、だからぼくは川上さんから一冊ずつもらっていることは伏せておいて「今度〈ホテル・マコンド〉に読みに行きますか?」と誘ってみると、ずいぶん経って〈ウルスラ・タウン〉に到着したころに、あさ美さんは、
「行きます」
 と普段となにかがちがう不思議にドキドキさせる振動とともに送信してきた。
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