第23話

文字数 3,136文字


      その二十三

 山城さんは土建会社の社員寮に住んでいて、社員寮といってもこの会社は山城さんの実家が経営しているので、いちおうなにかしらの役職にはなっているらしいが、山城さん自身ここで毎日はたらいているというわけではないのだけれど、山城さんが子どものころからこの寮のいわゆる“おばちゃん”をやっている管理人さんに、
「こんにちは」
 とまず声をかけると、管理人さんは、
「拓也さん、拓ちゃん、倉間さんがみえたよ。倉間さんだよ」
 とすぐ二階に向かって独特のだみ声で叫んでくれて、すると山城さんは、
「そんな大声出さなくても、わかるよぉ」
 とおばちゃんに不機嫌な顔を向けながら階下におりてきた。
 西角の山城さんの部屋は六畳と四畳半とあと二畳くらいのフローリングみたいな謎のスペースの三間で、東側の押入れの奥行が中途半端なのと西側の壁がやけに新しいのをかんがみると、この部屋だけはおそらく山城さんのためにあとで改築したのだろうが、畳のうえに綿毛布だとかタオルケットだとかを隙間なく敷いている山城さんは、襖を取っ払った押入れの下の段に置いてある小さな冷蔵庫からノンアルコールビールを出すと、
「倉間さん、いいお知らせ。男の事務員さんはやっぱりT中学でした。だから、はい、昼間だけど、これならいいでしょ?」
 とそのロング缶を手わたしてきて、折りたたんでもすぐ元にもどってしまうそば屋にあるような座布団にすわった山城さんは、
「じゃあ、さっそく観ましょうか」
 と録画された『突撃、となりのお食事』をリモコンで再生した。
 玄米くんふんする小森のおばちゃまに突撃訪問された男の事務員さんは、
「こ、こ、こ、こも、こも、こもり、こもり、小森の、小森の、おば、おば、おばちゃま、おばちゃまはね――」
 といいながら無許可で冷蔵庫などを物色しだしているおばちゃまに最初呆然となっていたが、おばちゃまが、
「こここ、こも、こも、こもり、こもり、小森の、小森のおばちゃまはね、とっても、エエエ、エビ、エビ、エビシューマイが、す、す、す、好きなの」
 とそのお昼に男の事務員さんが食べていたコンビニ弁当のおかずをパクリとやると、男の事務員さんは、
「ああ、最後に食べようと思ってたのに!」
 と玄米くんの後頭部をおもわず強めにたたいていて、それでその平手を受けて大げさに弁当に突っ伏していたおばちゃまは案の定ご飯粒をなるべくお顔につけるようにしながら起き上がって画面下に梅干しの種も低空飛行で飛ばしていたわけだけれど、
「ほら、ここ!」
 と山城さんが一時停止ボタンを押した画面にはたしかに色の若い畳がばっちり映し出されていて、ぼくの同意を得たのちにまた通常の再生にもどすと、やがて男の事務員さんは玄米くんに推奨されたオムライス社製の健康青汁を、われわれにこんな証拠をつかまれたのも知らずにゴクゴク飲んで、
「あっ、おいしい……」
 とまるで有能なモニターのようにつぶやいていた。
「じゃあ、われわれもゴクゴク飲みましょうか」
 とプシュッと開けた山城さんの缶からは泡がたくさんあふれ出してきて、さっきだれかに買いにいかせたらしい山城さんは、
「マイケルの野郎、またいたずらしやがったな」
 とそのあふれ出す泡をそれでもおちょぼ口で飲んでいたが、ぼくのほうの缶からも、おなじようにノンアルコールビールの泡がいっぱいあふれてきて、カーペット代わりにしているタオルケットにかなりこぼしてしまった。
「すいません、山城さん」
「ああ、いいですよ、そのタオルケットが吸収するから、放っておいても」
 タオルケットを〈マツザカケイコ〉からご自由にいただいてきたポケットティシューでポンポンたたいているとき、ぼくはあることにハッと気づいていて、だから山城さんがわらっていた、マイケルという住み込みの社員にこれまでされた様々ないたずらのエピソードもほとんどきいていなかったわけだが、
「あいつのスリラーに、今度イチャモンつけてやる……」
 などとぶつぶついっていた山城さんは、
「今晩にでも英光ご老公のところに報告しに行っちゃいますか?」
 ともきいてきて、
「英光ご老公、犯人をどうするって、いってるんですか?」
 とたずねると、なんでもご老公は犯人を打ち首にするとか、シベリアに百年流刑するとかと息巻いているとのことだった。
「ううう打ち首打ち首! それじゃ、あまりにも男の事務員さんが、かわいそうじゃないですか!」
「まあ、打ち首っていうのはあれでしょうけど、でも、かなり怒ってますよ」
「うーん……じゃあ、そのあたりのことをご老公とよく話し合ってから、ホシをわたしましょうよ。ね?」
「でも、そんなこといったら、ご老公、『なにぃ!』って、消防隊騒ぎのときみたいに、竹の棒に燃えてる布団とかを引っかけて振り回してきますよぉ。わたしは嫌だなぁ」
「そのことはぼくがご老公に話をつけてきますよ。あやまるだけで、どうかゆるしてやってくださいってね。男の事務員さんにきちんとネクタイ締めさせて、あと土下座でもさせれば、あの怒りもなんとか収まるでしょ」
「だと、いいんですけどね……」
 英光邸に電話すると、娘さんだかお孫さんだかが、
「では、お待ちしております」
 とていねいに応対してくれたので、夕方の四時半という約束の時間ぴったりにぼくは屋敷におもむくことになったのだが、五十前後の変に艶っぽい婦人に案内されて英光ご老公の部屋に入ると、ご老公はひじ掛け座椅子にひじをついて時代劇を観ていて、
「水戸黄門ですか?」
 ととりあえずきいてみると、
「うん。だけど、初代のやつじゃねぇけどな」
 とご老公は若干不満そうに画面を指さしていた。
「おーい、お栄。倉間さんにビール出してやれ」
 といいつけられていた艶っぽい婦人は、
「旦那さま、こちらの方、お車でいらしてるのよ。ほら、お困りになってるわ」
 とご老公の白い胸毛を指でくるくるやっていたので、おそらくこのお栄さんは娘さんでもお孫さんでもないのだろうけれど、時代劇が終わったのちに例の件をおそるおそるたのんでみると、やはりご老公は、
「だめじゃ! ワシの畑にあんなものを捨てやがった野郎は、極刑にしてやる!」
 とその提案を突っぱねていて、だからぼくは男の事務員さんがあんな性格のわるい交際相手に甲斐甲斐しく尽くしていることなども訴えて再度お願いした。
「それでもだめじゃ! ワシは許さん!」
「だったら、ぼくもお栄さんに、いっちゃいますよ」
「なにをだ?」
「夏掛けを燃やしてたことですよ。ご老公、あの布団はたしか〈カズマサ・コウノ〉のやつですよね?」
「そうだ。ワシはあそこの寝具しか、使わん。値段は張るが、肌触りが最高だからな」
「でも、あのときは『チクチクするから燃してる』って、いってましたよ。おかしいですね」
「ん……」
「そういえば、あの夏掛けには染みが付いてましたね。うーん、若干黄色い染みだったなー。あれ? 麦茶をこぼしたのかな? それともウーロン茶でもこぼしたのかな?」
「く、く、く、倉間さん、まあまあ、ねえ……」
「好きな女には、いい格好をしたいもんですよねぇ。おしっこをもらしてしまったなんてお栄さんに知られたら、さぞかっこ悪いでしょうなー」
「倉間さん、ワシがまちがっていた。その野郎にだって、女があるんだもんな……よしっ、きちんと手をついてあやまれば、それでこのことは、許してやろう!」
「ご老公!」
「だが、そのかわり、ぜったいお栄には、ワシがおねしょしちゃったこと、いわないでくれよ。な、倉間さん」
「わかってますよ、ご老公。あれはあくまでも、ノンアルコールビールの泡があふれてしまってできた染みです。マイケルの野郎がいたずらしやがったんです」
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