第30話

文字数 3,497文字


      その三十

 怖いもの知らずで躍進してきた玄米くんも今回の事故を体験して、
「思いだすと、いまでも背中がぞぉーっとするなぁ」
 といってはいたが、生放送を自粛して、収録という形で暫定的に放送している現在も、
「こ、こ、こ、こも、こも、こもり、小森の、小森の、おば、おば、おばちゃま、おばちゃまはね」
 と各家庭の食卓によぼよぼ感でカムフラージュしつつこれまで以上に踏み込んで行っているくらいなので、例の衝撃映像をあらためてチェックしてみても、じっさいはぞぉーっとなるどころか、むしろ半笑い気味になっている。
 デミグラスソースを警戒して一時控えていた朝のランニングも、いつごろからかまた日々の習慣にもどっていて、七キロほど走ったのちに、
「いまはずいぶん気持ちが揺れ動いているみたいだけれど、でも三成さんのことは、相当意識してる感じだったな……」
 とシャワーを浴びながらきのうの吉野さんの様子を思い返していたぼくは、かおるさんにきょうの午後会うということでふと思いだした例の衝撃映像をまたぞろ観てみることにしたのだけれど、近々タイル屋の娘と見合いをする予定の反故になったその相手方には、
「趣味はアイロン掛けとコロコロ掛けです」
 と伝えていたらしい仮名A子さんは、玄米くんが突撃していくと夏なのにいまだ布団を掛けているコタツで大の字になりながら大いびきをかいていて、昨夜の酒がまだ残っていたらしいA子さんは、衣類や雑誌の山に足を取られていた小森のおばちゃまに三度の食事はきちんと取らなくちゃいけませんよと注意されると、コタツテーブルのうえに出しっ放しになっていたさまざまな食物をそれでも素直に食べだしたのだが、まず新聞紙をナプキンのように丸首のTシャツに突っ込んだA子さんはビン牛乳のフタを歯で開けてゴクゴク飲むと、つぎに魚肉ソーセージの包装をやはり歯で引きちぎったのちにチューチューやりだしていて、コタツのうえにはインスタントやきそばの食べかけや、缶からダイレクトに噛じる設定にしてあるコンビーフや、だてまきと数の子とタコの刺身が痕跡をとどめている仕出し屋から取り寄せたとおもわれるおせち料理や、あたため方の手違いによりキャラメル然となってしまった高密度のカレーパンなどもご用意されてあったのだけれど、A子さんがヨーグルトの容器にティーアップされてあった謎色のトマトに手を出してそれを観ているこちらに勢いよく吐き出すと、画面は突如ピグモンだかガラモンだかの静止画に切り換わってしまって……で、これ以降この仮名A子さんは二度と視聴者のまえに姿をみせずに、番組はフリーチャ・カウフェルトの音楽を時間いっぱいまで流しつづけて終了するのである。
「うーん、しかし何回観ても、スゲー色のトマトだな……」
 きょうの午後、藤原家をたずねるのはかおるさんにたのまれていた再来週おこなわれる「美恋愛子ワンマンショー」のチケットを渡すためで、そのついでにぼくは、三成さんみたいな人にはどのような段取りで見合い話をすすめていけばいいのか、その方面に精通しているかおるさんにいろいろおしえてもらおうと思っているのだけれど、Kの森美術館で今月いっぱい開催されている「シシマイの世界」に連日おもむいているらしい三原さんもぼくといっしょに午後は藤原家におじゃますることになっていて、民吾氏は、
「やはりシシマイにかんすることなんですが、以前かおるさんは、地方の結婚式にはシシマイに似た衣装を身にまとって、うーん、あれはアツモリというんでしたかね、織田信長が好んでよくやっていた――あれを踊ってお祝いするって、おっしゃっていた気がするのです。ですから、そのお話をまたおききしたいと思いまして」
 ということで、ぼくとの同行を希望してきたのだった。
 午前中はずっと図書館で調べものをしていたという三原さんは帰りに〈がぶりえる、がぶりえる!〉に立ち寄って、お菓子の詰め合わせを買ってきたらしく、
「かおるさん、甘いもの、好きですよね?」
 とだから民吾氏は、冷凍しておいたあさ美さんお手製の赤飯をあたためて粛々と昼食を取っていたぼくにこう確かめていたのだが、ボディーに「(株)菅原漁業」と記されてあるライトバンの助手席に乗って、
「えーと、それで、つぎの信号を左です」
 と道をおしえながら向かうこととなった藤原家に二時ごろ到着して、
「はい、これ」
 とワンマンショーのチケットを十枚ほどわたすと、
「すみません、たすかります」
 とやけにしなしなと浦野の着物の胸もとにそれをしまったかおるさんは、お菓子の詰め合わせを差し出していた民吾氏にも、
「わざわざ、すみません」
 とさらに色気を強調してこたえていて、かおるさんはたいてい和服を着ているので、この身なりのほうはかならずしも民吾氏を意識してというわけではないのだけれど、それでもかおるさんは、
「民吾さんは、かおるさんのことを、いちばんいい女だって、いってるよ」
 とぼくがひやかすと、冗談を返すどころか、ほんとうにちょっとあかくなってもいたので、やはりかおるさんも、川上さんやお玉さんと同様に、こういう端整な顔立ちの男性がけっきょく好きなのかもしれない。
 かおるさんに三成さんの写真をみせて、さっそく意見をうかがうと、
「うーん、誠実な方なんでしょうけど、でも完全に真面目好色の相が出てるわね」
 とかおるさんはルーペの焦点を調整していたが、縁結び姫がおっしゃるこの「真面目好色」というのは、かんがえようによっては、
「相手をみつくろうのは、逆にむずかしくないのよ」
 ということらしくて、それでちょっと希望の光がみえてきたので、吉野さんの写真をみせて、
「真面目好色の人に、こういう子じゃ、ちょっと合わないですかね?」
 とたずねると、かおるさんは真面目好色の人にはほとんど容姿は関係ないのよ、とかなり極端なこともおっしゃっていたわけなのだけれど、真面目好色の連中にとって、なによりもいちばん重要なのは、家計簿の精密度でもアイロン掛けの正確さでもなく、
「わかりやすい一種の卑猥さ」
 なのだそうで、だから普段はかなり地味にしている吉野さんでもその道にくわしい人に指導を仰げばじゅうぶん相手は気に入るわ、とかおるさんは断言していた。
「わたし、その道にくわしい子、知ってるから、哲山くんに紹介してあげるわよ。とっても性格のいい子なのよ、この子」
 かおるさんが知っているその道にくわしい子は、Kの森こども電話相談室の支部に勤めているらしく、
「もしかして川上さんかな?」
 と小首をかしげると、かおるさんも、
「そうそう川上さん。哲山くんも、知ってたの」
 とおどろいていたが、かおるさんの携帯からその旨をお願いするメールを送信すると、しばらくして川上さんからもそれを承諾するメールが送られてきたので、電話で川上さんと、
「うんうん、そうなんだよ。ぼくの義理の姉さんのお姉ちゃんが、かおるさんでねぇ。あはははは、そうだねぇ、世の中広いようでせまいね」
 とさらに確認したぼくは、吉野さんへの指導はひとまず川上さんに全面的にお任せしておいて、一種の卑猥さを吉野さんがいよいよかもし出せる状態になったら、またあらためて見合いの日程などを詰めていくことにした。
 三原さんが記憶していたかおるさんのシシマイにかんする発言は事前に説明していたものとはかなりちがっていたが、それでも民吾氏は、
「シシマイ、およびシシマイに準ずるものを、わたしはいま、調べています。ですから、それも、観ておきたいのです。なんとしても、観たいのです」
 と強く訴えていた。
「でもそのシシマイの伝統があるM町までいまから行くとなると、日帰りじゃ、無理かもしれませんよ」
「わたしはそれでも、まったくかまわないのです。かおるさんは、これからでも可能ですか?」
「ええ、まあ……」
「でしたら、ぜひ、案内してください。わたしは、切にそれを求めています」
「それほどおっしゃるんでしたら……じゃあ、いま支度しますね」
 民吾氏とかおるさんはこのように急遽遠出することになったので、実家付近まで送ってもらって、ライトバンの後部座席をバタンと閉めたぼくは、
「いってらっしゃい」
 とふたりに手を振ったのだけれど、かおるさんにいただいた高級麦焼酎をさげて、アパートの敷地に入ろうとすると、うしろから自転車に乗ったすみれクンがベルを一、二度鳴らしたのちに、
「オーイ」
 と声をかけてきて、とりあえずすみれクンに調子等をたずねると、すみれクンは元気ですけど、まだ知らないままですうんぬんとこたえていた。
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