第4話

文字数 3,359文字


      その四

 翌朝いつもよりたしょうおそく起きてまずヘルスメーターに乗ると、飲み過ぎたわりに体重はほとんど増えていなかったので、ぼくは、
「よかった」
 と首をかわいくかしげてそれからAコースのほうをゆっくり五キロほど走ったのだけれど、シャワー後、いちおう例の古書店へ顔を出すと、九時まえなのにもうシャッターを開けていたお玉さんが、
「ゆうべの残りですけど、ブリのてりやき、あがります?」
 と期待していたとおり、二代目の朝飯の世話をしてくれて、
「すみません、それじゃあ、いただきます」
 とだから二階にあがって、ちゃぶ台のまえでチラシをてきとうにチェックしたりしていると、慎重な足どりで朝飯をはこんできてくれたお玉さんが、
「ねぇ、哲山さん、キャンディーズ関連のものがきれいに売れてしまったんですけど、補充できないかしら?」
 とちゃぶ台にお盆を置きながらきいてきた。
「このまえの、もう売り切れちゃったんですか?」
「ええ」
 元キャンディーズの田中好子さんが他界された先月はあまりにも悲しくてぼくは店の営業をほとんど自粛していたので、在庫がなくてお客さんに迷惑をかけるなんてことも逆になかったのだが、今月に入って控えめに店を開けてみると、かつてのファンや新しくキャンディーズに興味をもってくれた方たちが、
「CDとかDVDもいいけど、その当時出ていたレコードとかも、やっぱりもってなくちゃいけないと思いまして――」
 などと店にぽつぽつたずねてきてくれることになっていたから、それまで売り場の四分の一くらいを占めていたキャンディーものはすっかりよそ様に旅立ってしまうことになって、それでもことキャンディーズにかんしてはいくつかのコネをぼくはもっているので、専門店としての体裁がつくくらいのキャンディーものはなんとか買い付けてきたのだけれど、一週間もしないうちにそれが完売してしまったということは、いよいよ加津さんが隠遁している○○村に出向かなければ間に合わないのかもしれない。
「しかし、あの猿たちがなぁ……」
 加津さんが暮らす○○村は山にかこまれていて空気も水もおいしいし、時期によっては紅葉なども写真狂が集まるくらいすばらしいのだが、作物関係も豊穣だからだろうか、この一帯はたしか“霜降り尾長猿”とかという小柄な猿が大繁殖していて油断していると後ろからジャンピングキックをお見舞いされることもあって、それでも村の人たちは慣れたもので道で遭遇しても「チッチッチッチッチッチッチッチッ」なんて舌を鳴らしてあやしているのだけれど、ぼくはほんらい犬や猫などもたいへん苦手なたちだったし、じっさい、この猿に何度かアメリカンドック等を横取りされてもいるので、
「哲さん、いいかい、『チッチッチッチッチッチッチッチッ』ってやりながら、こんなふうに手を差し出すのさ」
 なんていう作法を加津さんにいくら教わっても、どうしてもこの猿たちがこわいのである。
 専門店としての威厳を保つためにはもちろん一刻も早く○○村に向かうべきだったが、先のような事情があったためにお昼を過ぎてもぼくはぐずぐずしていて、すると、ゆうべ〈高はし〉で会食したあの香菜ちゃんが吉野さんといっしょに、
「昨晩はクルマまで手配していただいて――」
 という感じでお礼をいいに、このアパートまでわざわざ来てくれて、どちらかといえばぽっちゃりした子が好きなぼくは、
「これはこれは、ご丁寧に。まあ、どうぞどうぞ、あがってください」
 などとつい香菜ちゃんのほうばかり見ながらいってしまったのだけれど、
「マ、マミーさまのお屋敷に、か、香菜ちゃんが『倉間さんのおうちを教えてください』って、さっき、たずねてきたものですから、わ、わたしが連れてきたんです」
 とやっぱりガチガチになっていた吉野さんもどうやらぼくにまたぞろ用があるみたいで、
「ところで、市長のレッスンはどうでした? あの人、人間はわるくないんだけど、話しだすと、長いでしょ? ねえ」
 とぼくが座布団を出してあげると、
「そ、そのことで、じ、じつは……」
 とさっそく改善大学校で講演をするさいのいわゆる“サクラ役”を要請してきた。
 吉野さんによると、この「サクラ作戦」を提案したのは中森市長で、市長は、
「わたしもねぇ、選挙期間中は、この戦術を、ほんとうに、よく使う。K市のY地区近辺に住む市民は、いつでも対立候補を支持するのだが、前回の選挙のときは、こちらの内府が、百人ほどのサクラをY地区の演説会場に準備してくれた! おかげでわたしは、敵の陣地のなかにあるにもかかわらず、堂々とこの話法を披露することができた!」
 などと身振り手振りを交えながらきっと吉野さんに熱く説明したのだろうが、吉野さんが壇上でお話している最中に花束を手わたしに行く、という程度のことであれば、とくにむずかしいサクラでもなかったし、それに施設に行けば、臨時講師を務めた縁によって仲良くなった生徒さんたちともひさしぶりに会えるわけだから、
「いいですよ」
 と軽やかにこたえたぼくはその軽やかな流れのまま香菜ちゃんと携帯番号をしたたかに交換して、おそらくオムライスファミリーサイドからアドバイスされて選んだとおもわれる贈り物にも、
「わあ、ありがとう香菜ちゃん」
 と愛嬌たっぷりにお礼を述べたのである。
 改善大学校には「なまけものさん学部」と「恥ずかしがりやさん学部」と「おこりんぼうさん学部」という三つの学部があって、生徒さんたちは学部名になっているそれぞれの特性を改善するために励んでいるわけだが、さらにお話をきいてみると、なんでも強化合宿だか就活フェスティバルだかの予定が若干変更になった関係で吉野さんの講演も急遽あしたにくりあげられたのだそうで、吉野さんは、
「で、で、ですから、き、き、き、着ていくものも、大急ぎで、し、し、仕上げてもらってるんです」
 とかなり忙しいようだった。
「花束じゃなくて、プレゼントみたいな感じのものでも、いいのかな? というのは、ほら、水戸光子ちゃんのコンサートなんかでもさ、郷土品みたいなのをファンが手わたしに行って、で、こんなふうに握手してもらってるじゃん」
 と確認を取ったぼくは、
「おじゃましました」
 とやがて立ち上がったふたりを通りまで見送ると、
「たしか、箱から出してないタオルケットあったよな……」
 と花束代を節約するために母屋に直行したのだけれど、
「あっ!」
 と玄関先であることを思いついた。
「哲山くん、また小巻ちゃんやってる」
「義姉さん、ちょちょちょちょ、ちょっと相談があるんですよ」
 義姉のつぐみさんが指摘した小巻ちゃんうんぬんというのは、ぼくが現役当時の天地小巻ちゃんのようにひとさし指をあごにあててかわいくなにかを思案していたことを指しているのだがそれはともかく、居間に移行して、
「こんなときは、どの弁当にすればいいんですかね?」
 とさっそくその思案にからんだ助言をもとめると、
「うーん、そうねぇ……焼肉弁当みたいなのだと、タレがこぼれちゃうかもしれないし、だからといって、地味でおとなしい女の人にコロッケ弁当を渡すっていうのも、なんとなく当て付けみたいだしね……」
 とつぐみさんはやはりこのたびも親身になっていろいろ検討してくれて、とはいえ、ぼくがほんとうに知りたいのは〈たかまつ亭〉というお弁当屋さんのカウンターに週に一度だけ立っている和装の女性に好感をもたれるような身だしなみとはどういうものなのか、ということだったので、吉野さんに手わたすものを「おにぎり6Pパック」と決定したのちもぼくは先の方法で思案をつづけていたのだけれども、個人的にはワイシャツにグッとくるらしい義姉がいうには、
「でも、そういうことなら、わたしより、お玉さんのほうが、ぜったいくわしいわよ。なんていったって、経験値がちがうもの」
 とのことなのだそうで、だからぼくはおにぎり6Pパックを〈たかまつ亭〉に注文しにいくさいの服装をお玉さんにみつくろってもらうよ、と義姉に明言した。
「ところで哲山くん、その女の人って、何曜日にカウンターに立つの?」
「それがちょうど、あしたなんです! だから、まずおにぎりを買って、それからあの施設に向かいますよ」
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