第13話
文字数 4,411文字
その十三
ダイアンさんのお父さんは、今回の極め食い勝負に敗れたら、いさぎよくカロリーを制限した食生活にまたもどると約束してくれたのだが、お父さんが提示してきた極め食いのルールにはわれわれサイドにとってかなり厳しいことが一つあって、
「ウォークマンみたいなので、まわりに迷惑がかからない程度に聴くのもダメなんですか?」
とさすがにぼくもこの一条にかんしてはすんなり受け入れられなくて、あちらサイドに譲歩を申し込んだのだけれど、場数を踏んできたお父さんがいうには、なんでもシルベスタ・スタローン主演のあのロッキーのテーマを聴きながらこの競技に挑んで命を失いそうになった選手もかつていたとのことで、
「それ以来、全面的に音楽を禁止にしたんだって」
と双方のあいだに入ってくれていたダイアンさんは、桜田淳子ちゃんの『夏にご用心』を聴きながらだと、冷や麦を半永久的に食べつづけられる選手もいたという余談も交えつつ、返答をよこしてきたのだった。
極め食い撮影(?)の前夜は深く祈るとか乾布摩擦で気合を入れるとかという構想もあったがけっきょく守重内府に「あはは、あはは!」と景気をつけてもらうことにして、ちなみにその晩の宴会ホールには中森市長も山城さんも、
「きょう、玄米くんの日じゃないよね」
という感じでおもむいていたのだけれど、前回と前々回の中森市長の選挙活動を手伝っている山城さんは、市長に会うなり、
「今度は、負けちゃうんじゃないですか、市長」
と何の躊躇もなくいっていて、これは内府にも、
「拓也くん、もっといい方をかんがえろよ。市長の顔色変わったぞ」
とさすがにたしなめられていた。
「そうだぞ、拓也! だいいち、わたしは、絶対に、負けない!」
「だけど市長、はっきりいって最近スキャンダルおこしまくりじゃないですかぁ。あっ、そういえば、あれどうなったんですか? ビールサーバーの一件」
中森市長は市長室にビールサーバーを常備していて、これはKの森テレビで放送された元旦のあいさつのさいに後方の盆栽と共におもいっきり映ってしまって明るみに出たわけなのだが、駄菓子屋で「トッツァンボーヤ・ドライ」という粉末のビールふうジュースを大量に購入したのちに、
「わたしは、この粉末ジュースを、よりクリーミーにしたいがために、ビールサーバーをつかった! もちろん、ノンアルコール、ノンカフェイン!」
といい張ることでいちおう騒ぎはおさまっていて、しかしここにきてまた『反抗期』という雑誌に記事を書いている例のジャーナリストがこの件を蒸し返しているようなのだ。
「つぎの選挙は倉間さんにいろいろ黒幕みたいな感じでやってもらったほうがいいんじゃないですか? 市長、ホントに倉間さんはすごいですよ。ね、倉間さん」
山城さんに先日のデミグラスソース誕生談をきいた市長は、会食中、
「倉間先生、つぎの選挙、じっさい厳しい。ですから、ぜひ、その英知を、この中森潤一郎に、貸していただきたい!」
などと何度もあたまを下げてきていたけれど、それを受けるのを条件に、
「まあ、どうぞどうぞ」
と「百年のまばたき」をお酌しつつ、あることをたのむと、
「――うん、そんなことだったら、かんたんだ! かならず、わたしは、やってみせる!」
とすぐ市長は引き受けてくれることになっていたので、このあとのぼくはなんだか大船に乗ったような気持ちになって、舞台終了後この座に加わってきた美恋愛子さんのひざを枕にしたり、そのひざを思う存分撫でたりしていて、まあ今宵の愛子さんは全盛期の「ABBA」のアグネッタのようなピチピチの衣装だったので、この執拗な撫で撫では、そういうことの影響もきっとあったのだろうけれど、しかし極め食い対決のスタートダッシュを懸念されていた翌日のデミグラスソースのほうはというと、音楽禁止の影響もとくに受けずに、お父さんとほぼおなじペースで料理をたいらげていて、この大健闘には見学に来ていた香菜ちゃんも、
「すごーい」
とさすがに見入っていた。
カレーライス、カレーパン、カレーうどん、カツカレー、とんかつと順調にたいらげていった両者は、はじめてデザートものが出ると、
「こういうのは、気分転換になるなぁ」
といって、そのどんぶりいっぱい分のヨーグルトも難なく食べつくしていたけれど、おなじくどんぶりいっぱい分のマカロニサラダをクリアし、つぎにカレーリゾットが土鍋で甘口辛口各一つずつ出てくると、マカロニサラダの時点で若干ペースが落ちていたデミグラスソースは、ここではじめて苦しそうな表情をみせてしまって、眉間にしわをよせながら、エチケット袋の位置もちらっと確認していた。
「がんばれ! デミグラスソース!」
「がんばって。デミグラスソースさん」
デザートタイム終了の鐘が鳴ったのちに出てきたのはファーストミットのようなサーロインステーキで、ということは、カレーリゾットはあくまでもデザートあつかいだったということになるのだが、鉄板からはねた油に一度「アチッ」と顔をしかめた以外はスタート時とほとんどお変わりのないお父さんはそのステーキを胃のなかにおさめると、
「やっぱりサーロインは、うまいなぁ」
とおしぼりで顔とお口を微笑しながら拭いていて、つづいて豚の丸焼きが出てきたときにはその微笑は、
「わぁ!」
と満面の笑みに変わっていたのだけれど、対戦相手のデミグラスソースは豚の丸焼きをみると、おなかに付いているソースのシミも確認しないままに、
「なんじゃ、こりゃあ!」
をいつも以上にちからを込めて発していた。
デミグラスソースはかじってもかじってもなかなか減らないこの丸焼きにだんだん意気消沈していって、お父さんが豚の丸焼きを食べ終えて、つぎの料理に取りかかるころになっても、ただ耳のあたりをチュパチュパなめているだけということになっていたのだけれど、監督のぼくがすみやかに市長に電話して『ジーパンのテーマ』を“誤放送”してもらうと、まず立ち上がり、
「ボス、おれはデカです! ニックネームはデミグラスソースです! 自分に、肉、もっと、食べさせてください! ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
と瞳孔を文字通り全開にして吠えたデミグラスソースは、ダイアンさんの元カレくんが引っ越すのも無理はないこんなお父さんをもオーバードライブするくらいの勢いでこれ以降の料理をすべてねじ伏せていって、痛み分け、という結果が出たあとは、お父さんもタンカで搬送されていくデミグラスソースのためにやはり市のスピーカーより流した『愛のテーマ』を、
「♪ ゴ、リ、さーーーーーん、は、し、るーーーーー、す、べるーーーーー、どぶに、お、ち、る」
とぼくとおなじように哀愁を出して、うたってくれていたのだった。
その日の晩は料理屋〈高はし〉でささやかな祝杯をあげることになって、普段無口な厚川カメラマンも、
「デミグラスソースがぶったおれたとき、わたしは店のブラインドをあえて上げて、光をなるべくかれにあてることにしたんです」
「ええ」
「わたしは、せめて明るいところで、あいつに殉教させてやりたかった。だから、監督に提案したんです。そしたら『そう! それだよ!』って、監督はほめてくれた。いやァ、あったかい人だ、倉間哲山っていう監督は」
「ホントですねぇ。デミグラスソースさんが棄権寸前まで追い込まれていたときも、わたしの肩を抱いて、ドキドキしていたわたしの心を落ち着かせてくれたし、『ジーパンのテーマ』が聴こえてきて、急にデミグラスソースさんが猛スピードで料理を食べだしたときも、執拗にわたしの腰あたりを撫で撫でしてきてくれたんです」
と香菜ちゃんとたのしそうに話し込んでいたけれど、みんなこんなふうにわいわいやれているのは、打ち上げがはじまる直前にデミグラスソースのお母さんから、
「ウチのデミグラスソースは、三十分くらいまえに意識をとりもどして、いまサイダーをグビグビ飲んでます」
というお電話をいただいたからで、それまでは、
「あいつ逆ギレして、ぜんぶ丸飲みしたチョリソを、こっちに連続ミサイル式に発射してくるかもしれないな」
うんぬんと、いろいろな可能性を検討し合うことになっていたので、どことなくみんなそわそわしていることになっていたのだ。
今回の撮影にたいへんなご協力をしてくれた中森市長がこちらに到着したら、監督のぼくはひさしぶりに「小森のおばちゃま」のものまねを披露して関係者の労をねぎらおうと思っていたのだが、こんな日にかぎって佐久間良子が出ているドラマの再放送でも観ているのか、市長はまだ電話もかけてこなくて、山城さんも、
「ふつうだったら、いちばん先に来るんだけどね。あっ、それでね――」
と市長の酒癖の悪さを、その後べろんべろんになる香菜ちゃんに説明していた。
「あれ? 倉間さんの携帯、ビービー振動してませんか?」
「ん? あっ、市長からだ」
電話に出ると、中森市長はいきなり、
「倉間さん、わたしは、現在、てんてこまいだ!」
と叫んでいて、お話をきくと、なんでもさっきの誤放送によって、とつぜんどこかに走り出してしまったお年寄りが届けを受けているだけでも十二人もおられるということだったけれど、
「その十二人全員の行方が、わからなくなっているんだ!」
といったのちにいったん電話口からはなれた市長はまたもどってくると、
「倉間さん、寝たきりだった、お年寄りの方も、あのテーマを聴いて、あばれだしたらしい! いま、そういう報告、苦情を、受けた! わたしは、さらに、てんてこまいになっている!」
となかば泣いていて、市長はこちらの席にまだまだ加われそうにないのを、ビールサーバーを常備できなくなったとき以上にくやしがっていた。
「おビール、お持ちしましょうか」
と襖を開けてきた女将に、先のことを、あっちのほうも交えておしえると、
「まあまあ。だけど、寝てた人が起き出したんだから、ちょっとくらいあばれたって、いいじゃありませんか。ウチの亭主にも、そのテーマを聴かせて元気になってもらおうかしら」
と最後のあっちにからんだことだけは耳打ちでいってきたが、女将の唇が一瞬こちらの耳にふれたときに、ふいにぼくは、
「ん? 寝てた人が……」
とひらめくことになって、だから、かなり飲んでいたので、足もとは若干ふらついてはいたけれど、それでも『ジーパンのテーマ』をあらゆる環境で聴けるようにしてあるだろう、デミグラスソースのウチへ、
「♪ たたたーーーーー」
と口ずさみながら、全力で走って行った。
(第一部 了)