第14話
文字数 3,578文字
第二部 七月
その十四
ウォークマンで『ジーパンのテーマ』を毎日聴かせていたからなのかはわからないけれど、六月の最初の土曜日に、
「おとうさん、かつぶし、削っといてよ。おとうさん、おとうさん!」
とお袋はいきなり目をさました。
お袋は一年ちかくもずっと昏睡状態だったのにキャンディーズのスーちゃんが他界したことや水戸光子ちゃんが地元の大型ショッピングモールの特設会場でセカンドシングルを発表したことなんかをくわしく知っていて、兄貴などはこれを魂がどうのこうのとか、臨死体験うんぬんと物知りぶって論じていたわけだけれど、たまに見舞いに行ったとき、ただ寝顔をみているのもあれだったのでぼくはちょくちょく、
「スーちゃんがきのう亡くなったんだ」
とか、
「またお袋のおかげで、カニ缶拝借できたよ」
と耳もとに話しかけていて、よく聴覚というのは最後まで機能していて、危篤状態になった人も、
「おまえ、オレのこと、呼び捨てにしてただろ!」
とあとでからんでくるなんて話をきいたことがあるけれど、お袋の場合もきっとこんな感じであんがい耳だけは昏睡中も元気だったのかもしれなくて、いつもは兄貴の見解にだいたい同調する親父なども今回だけは、
「おい、哲山、おまえ『おとうさんは、最近、夜遊びしてるよ』なんて、おかあさんの耳もとにいってないだろうな?」
とこの説のほうに重きを置いていた。
退院後のお袋はけっきょく実のお姉さんと暮らすことになって、ちなみに春子伯母さんは若い時から商売をやっていて、いわゆる“やり手”だと親族内ではいわれているのだけれど、たしか三、四年くらいまえからこの伯母さんは商売を息子に譲って〈ウルスラ・タウン〉という、かなり高級な老人ホームにみずからの意志で入居していることになっていて、ぼくが吉報を知らせると、
「だからといって、無理はいけないよ」
とすぐ伯母さんはそのウルスラ・タウンへの入居手続きをしてくれたのだった。
ウルスラ・タウンは同県ではあるがずっと奥のほうにあって、だから会いに行くとなると、しょうしょうめんどうといえばめんどうなのだが、タウンに移って八日目だったかに義理でいちおう遊びに行ってみると、伯母とお袋は僧侶のような格好でジャンボプッチンプリンをプッチンしないままに食べていて、
「なにやってんの、ふたりで」
ときいてみると、
「自分たちが映ってないか、チェックしてるの」
とかつてエキストラを務めたことがあるらしい『豆腐屋水戸光子ちゃん』のDVDを観ていた。
「ん? 『豆腐屋水戸光子ちゃん』って、たしか去年の放送だよな……まあ、いいか」
ふたりが契約している部屋には僧庵みたいなはなれもあって、このBタイプの入居者はけやきの葉が落ちるころになると、
「高い金払ってるんだから、いいのいいの」
とみんな“けむ”の匂いがしみついて落ちないほどに焚き火を満喫しているらしかったが、先日、
「あんまり放っておいても、まずいですよね」
「そうですね」
と山城さんと話し合って英光ご老公をたずねると、ご老公は不法投棄されてあった例の畑とはまたちがう畑で、
「これ、ちくちくしてて、癪にさわるんだよ!」
と夏掛けの布団やらシーツやらを派手に燃やしていて、この尋常でない“めらめら”には消防隊のみなさまもさすがにご出動されてきていたのだけれど、ご老公は自主的な消化をもとめてきた隊員の人たちにも、
「梅雨の時期は、燃えにくいだろ? だから、油ぶっかけて、いま燃したんだよ!」
と逆に得意になっていて、耕運機の陰から見守っているかぎりだと、隊員の方々のほうが最終的にはあやまっている感じだった。
このように、たしょう暴君な面もあるご老公とひんぱんに会うのはなにかと気苦労なので、われわれは唯一の手がかりでもあるその投棄されてあった子ども用タンスをひとまずお預かりすることにしたのだが、
「ウチの物置にでも、とりあえず置いておきますよ」
「わたしの部屋にも置けないことはないですが……でも、倉間さんの実家だったら広いし……じゃあ、すみませんけど、よろしくおねがいします。あっ、こっち、持ちますね。せーの!」
「ヨッ!」
と軽トラに積んで運んできたタンスの引き出しを依頼を受けてから二ヶ月目にしていよいよ開けてみると、なかからは、ブリキのお菓子箱に満杯に入っているちびちびの鉛筆だとか給食袋にきちんと陣営を分けてあるガン消しだとかというものばかりが出てくることになっていて、
「これは衣類の収納というよりは、たいせつなものをしまっておく一種の宝箱として、使われていたのかもしれませんね」
という山城さんの推理にはぼくも、
「そうですね。あつめている最中は、こんな消しカスでも、砂金みたいに神々しく見えますからね」
とすぐ同意していたのだけれど、おそらく長年愛蔵していたこれらのものを、タンスごとまとめてなぜ捨てたのか、ということにまで推理をおしすすめると、そこからはもうただ、
「謎ですね」
「ええ」
と双方腕を組んでいるだけになってしまって、場所を〈高はし〉に移してひきつづき協議しても、
「ダイアンさんにきいたんですけど、倉間さんは香野百合子も好きなんですか?」
「ええ。『真田太平記』で、久野って役をやってるとき、ものすごくいいんですよ。あれは良かったな。んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんん」
とその腕組みすらもまたべつの意味に変わっているのだった。
腕組みといえば、先月の末、あのリョウマくんは、
「しかし小巻ちゃん藩の連中は腕組みしてウンウン唸っちょってばかりで、なかなか聖子ちゃん藩と話し合わんじゃきですなぁ。倉間先生、これは加津先生がおっしゃってたんじゃきですが、今後二つの藩が手を結べば、天地小巻ちゃんの復活も夢じゃないらしいじゃきですよ。ワシは先生に羽織袴ももらっとるじゃき、いつかこの二つの藩をかならず連合させるじゃきですきじゃき」
とふらりとたずねてきたときにいっていて、話のようすだと、どうもリョウマくんはあれから加津さんのところの正式な門弟(?)になったみたいだったが、聖子ちゃん藩だけでなく、百恵ちゃん藩や賀川雪絵ちゃん藩にも協力を要請しているらしいリョウマくんはぼくへの手みやげを風呂敷から出すと、すぐまた、
「こうしちゃおれん。先生、ワシはそろそろ失礼するじゃきに」
とおもてに飛び出すことになっていて、
「リョウさん、どこ行くんだい」
と手みやげもいただいていたので、その背中にいちおう引き留める感じできいてみると、なんでも今度は加津さんといっしょに小巻ちゃんの歌の師匠だった森田先生宅へ直談判しにいくじゃきとのことなのであった。
リョウマくんについ贈与してしまった羽織袴のことはその後お玉さんに三、四回ほどたずねられていて、さらに和貴子さんにも、
「きょうも、あのお召し物じゃありませんのね」
とお弁当を買いに行くたびにきかれていたので、ぼくは先週ほかのお客が控えていないのを見計らって、
「じつはあの袴――」
と霜降り尾長猿のこともふくめて、和貴子さんにとうとうお話したのだけれど、いつもは呉服店ではたらいているらしい和貴子さんは、それならば、羽織袴を一揃いあつらえてくださらない、と語尾にハートが付いている感じの声色でいってきて、
「ほう! それは、けっこうですなぁ。じゃあ、和貴子さんが巻き尺みたいんで、こう、ぼくの胸囲だとか、太股だとかを、いろいろやってくれるんですかな?」
「やります」
「それは、ありがたいですなぁ、あはははは」
とあいなったその羽織袴は、そんなわけで、いよいよきょう、できあがってくるのである。
和貴子さんが勤めている呉服店の定休日はいつも和貴子さんが実家のカウンターに立っている曜日とおなじだったので、ときどき首をかわいくかしげていた、
「なぜ、週に一度だけなのだろう?」
という素朴な疑問もこのたびわかったわけだが、三日がかりで三間ある部屋を大掃除したのは三日まえに梅雨明け宣言が出たからでも誕生日をむかえて新たな気持ちになったからでもなく、できあがった羽織袴を和貴子さんがじきじきにこのアパートに持ってきてくれることになっているからで、美恋愛子さんがいうには、どうもそれは、
「きっとその女の人、倉間さんに気があるのよ」
という女心でもって、わざわざそうしてくれるらしいのだ。
「ききき、気があるって、じゃ、あ、あ、あ、あれですかね、あの……その最初の日は、けっきょく、なにすればなにすれば、いいんですかね、ぼくはぼくは」
「すぐ変なことしちゃダメよ、倉間さん」
「わかってますよ、愛子さん、そんな変なことなんて、ねえ、でも、ちょっとお手手ぐらい、こう、すると和貴子さんは『あっ』なんて……」