第21話

文字数 2,826文字


      その二十一

 川上さん行きつけの下着専門店で三枚ほどパンツを選んでもらったぼくは、
「よかったら、料理屋で一杯やりませんか」
「ええ、よろこんで」
 と野望のひとつだった行為もおもいがけず成就させていたのだが、お銚子を二本ほど空けてすこし目がとろんとなっていた川上さんに、
「ボタンダウンのワイシャツを着てた――」
 と遠回しに男の事務員さんのことをたずねてみると、彼女は、
「その人もパンツのことで相談に来たみたいなんです」
 うんぬんといっていて、なんでも男の事務員さんは三ヶ月ほど交際している女性とそろそろナニしたいのだが、そのさいどんなパンツをはいたら良いか……という事柄で、どうもKの森こども電話相談室に助言をもとめてきたらしい。
「ウルトラの母みたいに髪を結っている子、早川さんていうんだけど、その子が今回もあの方に対応したんです。だけど、自分ひとりじゃ、好みが偏ってしまうからって、わたしたちにもアンケートをとってきて――」
「川上さんは男にどんなパンツをはいてもらいたいのですか?」
「わたし、男の人の下着には、それほどこだわりがないんですよ。だから、アンケート用紙には〈カズマサ・コウノ〉のスタンダードブリーフって、記入しました」
「あっ、〈カズマサ・コウノ〉のブリーフだったら、ぼくの祖父も愛用してましたよ」
「わたしの祖父も愛用してます」
〈カズマサ・コウノ〉の肌着は、かつては繁栄していた「モダン通り」の一等地に店をかまえている〈寝具の河埜〉でしか購入できない一種の高級品で、
「この心地よさを知ったら、もうほかの肌着なんか、つけられないよ」
 と愛用者だった故安二郎も生前よく絶賛していたわけだけれど、川上さんによると、年配者のなかには、この〈カズマサ・コウノ〉の肌着にこだわっている方がまだまだ大勢いるとのことで、そういえば、自分の農地で布団を派手に燃やしていた英光ご老公のその夏掛けも、たしか河埜の製品だったような気がする。
〈マツザカケイコ〉でばったり会ったらしい、山城さんと三原さんが、
「ご一緒しても、いいですか」
 と襖越しに顔だけ出してきいてきたので、このあとの槇の間はまたぞろにぎやかな雰囲気になっていたのだが、
「きょう、三人の北川たか子さんに会ってきたのですが、最年長の方でも四十代で、ぜんぶ人違いでした」
 と手帳をパラパラめくったりしていた民吾氏を、いつからか川上さんはさらにとろんとしたお目目でみつめていることになっていて、それで、
「川上さん、民吾さんに惚れたのかな」
 と思ったぼくはふたりのことはひとまず放っておいて、山城さんに「不法投棄の犯人=改善大学校の男の事務員さん説」をともかく話してみたのだけれど、
「これは、かなり可能性が高いですよね」
 と例によってずんぐりむっくりしたからだをこちらに密着させてきた山城さんは、
「わたしはタンスに入っていた雑誌に着目してたんですよ」
 と自身の調査も報告してきて、それによると、不法投棄の犯人は十中八九この地元のそれも四十三、四歳の男だという。
「タンスのいちばん下の引き出しに『凡庸パンチ』という雑誌が入ってましたよね、おぼえてますか? 倉間さん」
「ええ。二年間休養していた天地小巻ちゃんが、いきなりすごいポーズをとっちゃってるグラビアがあるやつでしょ」
「そうです。あれは、一九七九年に発売された雑誌ですから、仮に四十四歳の男のものだとすると、そいつは当時十二歳くらいということになってしまうんです」
「十二歳じゃ、まだあんな雑誌買う勇気ないよね」
「そうなんです。だからわたしも犯人はもっと歳をとっている奴かなとも思ったのですが、ゴレンジャーのシール方面からかんがえると、わたしよりいくつか上の四十四前後の奴がいちばんぴったりくるわけです」
「なるほど」
「さらにですよ、わたしは先日、凡庸パンチにしおりみたいにはさまれていた映画の半券も偶然みつけたんです」
「どういうページにしおりとして、はさまれていたんですか?」
「管野啓子という子がビキニになってるページでした。おそらく二十五歳は過ぎているでしょうから、まあ歳はいっちゃってます。でもそれは関係ないんですよぉ。話をもどしますね。とにかく半券がはさまれていたのです。それは竹谷真紀主演の『クラクラ白書』と吹雪豪主演の『銀河ハニー2』という二本組のチケットでした。それが上映されていたのは八五年のはじめくらいですから、いま四十四くらいの奴は当時十七、八歳だったということになります。もし、もっと年齢が上だったら、物事の分別もある程度つくはずですから、こういう映画はおそらく観ないと思います」
「しかし四十四として、なんで、そんな古い雑誌を持ってたんですかね?」
「通学班の班長をつとめていた近所の先輩のアニキにきいたんですが、あの凡庸パンチは、この地元のT中学校出身の野郎たちが、つぎの世代、つぎの世代へと代々受け渡していった、当時たいへん貴重だったいわゆる“エロ本”らしいんです。ただし八五年前後になると、あの雑誌自体の価値は性に目覚めた子どもたちのあいだですらもだいぶ低下していて、捨てるわけにもいかないから、後輩へ後輩へと、おっつけていたようですね。現在四十四歳のその野郎は、たぶん、おっつける後輩がいなかったのでしょう」
「じゃあまず、男の事務員さんが、T中学出身かどうかを確認しますか?」
「それはわたしがやっておきますよ。ですから倉間さんは自分の推理のほう『男の事務員さんは交際相手を部屋に招くために大掃除したさい、見られたくはないが、しかしたいせつなあのタンスを、処分するのも淋しかったので、ご老公の例の畑に中途半端につい置いてしまった』っていう説の裏付けを取ってきてください」
「わかりました。ねえ、川上さん、その早川さんて子――」
 われわれが話し込んでいるあいだにさらにお酒を飲んでいた川上さんは、いよいよ民吾氏にあからさまに色目をつかっていて、
「いいことおしえてあげようか。わたしにとっては、十歳くらい年上の男の人が、いちばん理想的なの。どうしてかというとね、わたし、真っ赤な口紅を引いて、テキパキ働く二十七歳のできる女みたいに振る舞ってるけどね、ホントはものすごく変態だからなの」
 などと民吾氏の耳たぶを甘噛みしたりしていたけれど、どういう女性が好きなのか、われわれにもイマイチ見当がつかない民吾氏のほうはというと
「変態の証拠みたい?」
 と川上さんに手わたされていた先ほど専門店で買った川上さん個人の下着にも、
「これは、中心にこんな大きな穴があいていて、パンツとして体を成していませんね。不良品ではないのですか? 返品したほうがいいですよ」
 と本気でアドバイスしていて、だからぼくは、
「ふつうあの不良品みたら『バーディー!』ですよね」
 と山城さんに飛び立つポーズをみせて、それから女将に「これ、もうひとつね」と酒のおかわりをした。
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