第28話
文字数 3,440文字
その二十八
栗塚くんにはげまされているうちに、
「そういえば、まだおパジャマは拝見していなかったな……」
という気持ちがまたぞろ芽生えてきたぼくは、ふたたび水戸光子ちゃんサイドに、
「もしもーし! あっ、先ほどはどうもぉ」
と電話を入れていたのだけれど、この三年間はろくに寝る時間もないくらい仕事がいそがしいという水戸光子ちゃんは、もうKの森テレビのスタジオに移動してしまっていて、黒いスーツを着た肥満体のマネージャーさんにこのあとのスケジュールをたずねると、マンションに帰れるのは深夜になってしまうとのことだった。
「二十時五分から二十時十五分のあいだは楽屋で休憩するんで、そのときでしたら、卵新組さんとの打ち合わせはいちおう可能ですけど」
「そうですか。じゃあ、いまからうかがいますので、よろしくお願いいたします」
とくに予定のなかったぼくと栗塚くんは約束の時間より二時間ほど早くテレビ局に到着すると、
「そこで待っててください」
とマネージャーさんに指定されたテレビ局そばのコンビニでしばらく立ち読みをしていたのだが、玄米くん経由でぼくも名前だけは知っている局の上役さんにわたくし巨匠の功績(?)を聞いてきたらしい水戸光子ちゃんのマネージャーは、そのうちあわててぼくたちのところに走ってきて、
「す、すみませんでした。とにかく、水戸の楽屋に案内しますんで、どうぞ」
と今度は丁重に応対してくれた。
マネージャーはコンビニで腕を組んでにらみつづけていた栗塚くんの視線に気づいていたらしく、
「さっき見ていらしたの、これですよね?」
と「わけありピーチパイ」という地元の洋菓子屋が製造しているスイーツをわれわれに手渡してくれたが、
「なかなかいけるでしょ?」
「うん」
とそれを食べたり、重ねてあった局の弁当を、
「ひとり二個までだよね」
とその場で加えた局中法度に準じて風呂敷に包んだりしていると、やがて水戸光子ちゃんが、
「お待たせいたしました」
と楽屋に入ってきた。
〈ぐるぐる三昧〉の生CMのリハーサルをしていたという水戸光子ちゃんは、回転寿司となにかつながりがあるのだろうか、ピグモンだかガラモンだかの長袖ティーシャツを着ていたが、ほとんど毎日のように出るらしい例のお化けは、市内で繁盛しているこの回転寿司のお持ち帰りパックを黙々と食べていたこともあったみたいで、
「リハーサル中、急にそれを思いだしまして、わたくし『ハマグリはムシのドク、チュウチュウタコカイナ』というセリフを三度もまちがえてしまいました」
とだから水戸光子ちゃんは沈んだ表情をみせていた。
お化けは水戸光子ちゃんがベッドに横になっていると、わざととなりの部屋でぶつぶつひとり言をいっているときもあるらしく、
「どんなことを、いってたんですか?」
ときくと、さすがに人気女優だけあって、水戸光子ちゃんは、
「わたくしも、こわかったので、すぐ耳をふさいでしまったんですが、なんだか、火星のことと、それからディック・ミネさんのことを、おっしゃってるようでした」
とあごに人差し指をそえながら、可愛らしく思いだしていたが、火星とか、たぶんフィリップ・K・ディックとか、そういう宇宙関係のことをぶつぶつつぶやいていたとなると、あの顔色のわるいお化けは宇宙人という可能性もじゅうぶんあって、
「どうする、トシさん。このまえの京都のやつは、宇宙人じゃないでしょ?」
と三十七歳にして百パーセント本気で、こうたずねてみると、栗塚くんは、
「倉間さん、お化けだろうが、宇宙人だろうが、おれにとっては、おなじことだ」
とそれでもまったく動揺している様子はなかったので、最終的にはぼくも廊下でばったり会った『クロスフィーバーズ』のスタントの方にクロスピンクの変身プロテクターをフル装備で貸してもらったのちに、
「おれは、ほんとは強いんだぞ! ウーヤーター、ウーヤーター!」
と震える声でつぶやきながら、水戸光子ちゃんのマンションに夜中の一時過ぎに入って行った。
ひとり言をつぶやいていたという寝室のとなりの部屋からは、たしかにパタパタパタパタという不吉な音がきこえてきていて、
「ウウウ、ウーヤーター、ウーヤーター!」
と米びつ兼電子レンジ棚の陰に隠れていたぼくの背中をやさしくさすったのちに、その部屋の引き戸をピシャーンといきおいよく開けた栗塚くんは、
「わたしは、卵新組副長、栗塚歳三だ」
と宇宙人かお化けにまず名を名乗っていたのだけれど、顔色のわるいお化けだか宇宙人さんだかもそれにたいし、
「わたしは、中津川というものです」
ときちんとお辞儀をしていて、
「水戸さん、この人ですか? いつも出るのは?」
と栗塚くんが水戸光子ちゃんに確認すると、
「そそそ、そうです」
とアルミの鍋を両耳ヘルメットのようにかぶっていた水戸光子ちゃんも、やはり相当おびえながらこたえていた。
「ああ、やっぱり水戸光子ちゃんだったんですかぁ!」
中津川さんとおっしゃる長髪のお化けさんは、このようにつぶやくと、
「緑茶しかないですけど、いいですか?」
とお茶の用意をしてくれて、といってもお茶の葉をダイレクトに湯飲みやマグカップに入れてしまって、
「あっ……」
と中津川さんはかなりまごまごしていたので、緑茶はけっきょく栗塚くんが淹れることになっていたのだけれど、夜中に小説を書いているという中津川さんは、引っ越してきたばかりの水戸光子ちゃんがまちがえて自分の部屋に入ってきても、それが現実なのか妄想なのか、なかなか判断できなかったらしくて、それは多忙過ぎて、まるでピンク・レディーのように記憶があやふやになっている水戸光子ちゃんが、こうなったいまでも、中津川さんの部屋を自分の部屋だとまだ思っているのをかんがみれば、無理もないことなのかもしれなかった。
「それはご迷惑をおかけしました。中津川さん」
「いえ、かまわないですよ。あれ? これって、現実ですよね――小説書いてると、ボォーッとしちゃって……」
なにはともあれ、いちおう成功におわった卵新組の事実上の初仕事をちょうど愛子さんが一位を獲得した日にマミーさまに報告すると、マミーさまは、
「でもあそこの事務所はケチで有名だから、守衛の長期の契約は結ばないでしょうね」
と四個分のお弁当代がわれわれへの謝礼からなにげに引かれているのをぼくにみせてきたが、マミーさまは今年いっぱいで水戸光子ちゃんはあの事務所との契約が切れるので、
「そのときまで、オムライスは沈黙してましょう」
ともさりげなくいっていて、どういう意図でなのか、とにかく表向きには隠すようにしてあるのだが、玄米くんや美恋愛子さんなどが所属している事務所も、じっさいはマミーさまが院政をふるっているのである。
「そろそろファミスタ、はじめましょうか。倉間くん、どのチームがいい?」
「ええと、カーズを選択しちゃっても、いいですか?」
「いいわよ。じゃあ、わたしはレールウェイズね」
オールスター以降バットの振りがにぶくなっているという「おおいし」が三遊間にうまく引っかけて出塁すると、マミーさまはつぎの「まつなか」に手堅く送りバントのサインを出していたが、「まつなか」は初球のつり球に中途半端にバットを出してキャッチャーへのファールフライにたおれていて、
「『まつなか』は攻撃的な二番バッターだから、ちょっとふてくされて、雑にバントしましたね」
とマミーさまのご機嫌をうかがうと、
「そうなのよ。でもこれからの試合は細かいプレーが大事になってくるでしょ? だから『まつなか』にもあえて、ああいうサインを出してるのよ。二番の自覚をもっと持ってもらいたいから」
とマミーさまも「まつなか」の性格を重々承知していたのだった。
ぼくが指名した先発ピッチャーはベテランの「きたへふ」だったので、頭脳派投手らしく、強打者の「でひす」に投じるまえにまずは一塁に牽制球を放ったのだが、まずいことにマミーさまは疲れ気味の「おおいし」に、食欲も落ちている、とまでいっていたくせに盗塁のサインを出していて、
「『おおいし』をアウトにすると、四番の『ぶうま』まで打順がまわらない可能性が出てしまう」
と瞬間的にきっと思ったカーズの一塁手は、だから一二塁間にはさんだ「おおいし」をしばし追いかけたのちに、
「おい! それでもプロかぁ!」
と監督のぼくに怒鳴られるほど、とんでもない方向にボールを投げていた。