第6話

文字数 3,332文字


      その六

 ○○村の駅から加津さん邸までは、だいたい四キロちょっとの道のりで、その道中、例の霜降り尾長猿には九匹ほど、やはり遭遇したのだが、
「来るかい」
 と脇差の雨傘に手をかけたリョウマくんをみると、猿たちはそそくさと逃げ出すか、あるいは地べたに視線を移していて、
「リョウさん!」
 とぼくはそのたびにかれをほんとうにたのもしく思った。
 吉野さんが講演をおこなった日の晩は料理屋〈高はし〉でいちおうちょっとした打ち上げをやって、
「よかったら、おいでよ」
 と誘ってあげたリョウマくんにそのさい霜降り尾長猿関連の例の悩みを、
「アメリカンドックなんかもさぁ、ちょっと、こう、よそ見してんじゃん、そいでパッと見んじゃん、するともう、自分の手からなくなっちゃってるんだよ」
 と動作も交えながらうちあけるとすぐリョウマくんは、
「じゃあ、ワシがその猿たちを追っ払えば、先生のお役にたてるっちゅうことですな」
 と旅のお供を希望してきてこのようにあいなったのだが、
「なあ倉間さんよ、あいつは剣は我流だけど、度胸のほうはたいしたもんなんだぜ」
 と事前に怒学の原田くんにもきいていたので、それなりのことはやってくれるだろうと思っていたけれど、リョウマくんは霜降り問題だけでなく、いつもそれで電車を乗り過ごしてしまう駅弁の選択問題のときでも、
「倉間先生、やっぱりいちばんうまいのはこれじゃき」
 と特上うなぎ弁当への背中も押してくれていて、だからぼくはリョウマくんが打ち上げの席で、
「さっきまでの袴は借り物じゃき……」
 とジャージ姿を指摘されて寂しそうにこたえてもいたので、自分の羽織袴を大物ぶって一揃いあげることにしたのだった。
「倉間先生! ほんとうに、これをワシにくれるっちゅうがかですか!」
 加津屋敷に到着すると、ちょうど加津さんはほかのお客と接していたので、ぼくは通された八畳間で待っているあいだに前日にひきつづき着ていた羽織袴をさっそくリョウマくんに贈与したのだが、普段着に着がえて、
「しかし、ものすごいお屋敷じゃきですねぇ、倉間先生」
「むかしからの財産家だからね」
 などとゴロゴロしながらしゃべっていると、
「待たせたね、哲さん」
 と加津さんが直接こちらに入ってきたので、
「しばらくです」
 とか、
「へぇ、木製の名詞かぁ――なになに、坂本龍馬。こっちの(真田広明)っていうのが本名かい」
 などとあいさつをすませると、すぐぼくはキャンディーものを分けてくれるよう、単刀直入にお願いした。
「やっぱり、そうかい。いいよ」
 何度かおじゃましたことがある廊下でつながった別館に移動すると、
「好きなの、てきとうに選びな。宅急便つかうんだったら、あそこの段ボールに詰めるといい」
 と加津さんは今回も気持ちよくいってくれたが、箱詰めも一段落ついて、
「さっ、休憩しようよ。哲さん」
 とおのおのピンクレディー自転車や桜田淳子ちゃんデスクに腰掛けると、古い『凡庸パンチ』という雑誌をぱらぱらめくっていた加津さんは、
「あっちでも、キャンディーズは、たいへんかい?」
 とふいにむずかしい顔をしながらきいてきて、だからぼくもむずかしい顔をつくりながら、このところのキャンディー状況をいろいろ説明したのだけれど、最近ここに立ち寄ったという新キャン連(新日本キャンディーズ連合)の元幹部の方の話だと、なんでもキャンディー狂のなかにはスーちゃんの他界にショックを受けて全国行脚みたいなことをしている人もあるのだそうで、加津さんは、
「行脚しているその皆見(ミナミ)さんていう人は、成人病を患ってて、医者に食事制限をここ数年させられていたらしいんだ。だけどスーちゃんのことで、その制限もやめちまって……で、いまは全国の食べ放題とか、あとデカ盛りっていうのかい? とにかくそういう店をいま巡礼しているらしいんだ」
 と口もとに小さな笑みをつくりつつ、さわやかにこちらをみつめるのだった。
 加津さんはキャンディー関連だけでなく、天地小巻ちゃんものだとか百恵ちゃんものだとか、とにかくあらゆる年代のアイドルグッズを収集していて、われわれのような人間のあいだでは王様とか将軍とか大先生とか大大名などと謳われている。
 先にあがった新キャン連や全ピンク連の大幹部たちとも親交があって、招待されれば、それぞれの忘年会等にも顔を出しているらしいが、このようにグッズを卸したりなどはだれにでもするわけではなく、祖父の代からお世話になっているウチとそれから大船方面に店を構えている小野さんくらいなのだそうで、
「どうしたい、あの『あはは、あはは!』って、わらう旦那は」
 と加津さんは一度ここにぼくと来た守重内府のこともきいてきたけれど、そのときはなんだかんだと理由をつけて加津さんは別館のほうには内府を通さなかったのだった。
 そういうこともかんがみてみると、リョウマくんがこの別館を自由に見学させてもらっているというのはじつはたいへんなおもてなしを加津大先生から受けているということができて、じっさい、
「哲さん、おもしろい男だね」
 と加津さんは各藩の実情をわかりやすくあらわした勢力マップを凝視していたリョウマくんを目の動きだけで指してほほえんできたが、
「加津先生、この『聖子ちゃん軍』っちゅう藩は、なんぞ、一千万石っちゅう、とんでもにぁあ、デカさじゃきですか?」
 ときいてきたリョウマくんに、永田聖子ちゃんはあのブリッコの創始者であり、かつ三十年以上もそのブリッコを国民に魅せつづけてきているからさ、と加津さんが教えると、リョウマくんは、
「キャンディーズやピンクレディーよりも領地があるっちゅうことは……加津先生! この日本にも、メリケンやエゲレスみたいな大きい藩が、あるじゃきですか!」
 と聖子ちゃん軍(藩)にたいへんな興味をもつことになっていたので、
「ちょうどあした、この軍の連中といっしょにコンサートに行くんだ。リョウさんも来るかい?」
「はい、お供させていただきます」
「哲さん、こんなわけなんだけど、いいかな?」
「結構ですよ、もちろん」
 とあいなったリョウマくんはここに一泊して、ぼくだけが駅までふたりに見送られながら帰ることになって、まあ乗り換え時は案の定、リョウマくんがいなかったものだから、駅弁の選択に時間を取られて電車を一本乗り過ごしてしまったけれど、それでも加津さんに特別サービスでもらった『聖子のおねだり』というデビュー当時に出したエッセイを現在が二〇一一年であるのをわすれるほど集中して読んでいたので、長時間電車にゆられていても、ぼくはまったく退屈することがなかった。
 守重内府とふたりで加津屋敷におじゃましたとき、加津さんはたしか、小巻ちゃんと聖子ちゃんはある意味では対極的だから、小巻ちゃんを好いている連中は聖子ちゃんをなんとなく敵視する傾向があるけど、でも聖子ちゃんは年齢的にたぶん天地小巻ちゃんにあこがれていて、それで歌手になったんだから、そのあたりの方面からこじ開けていかなくちゃ、いつまでたっても埒が明かないぜ、というようなことをぼそっといっていたけれど、仮にリョウマくんがそのあたりの方面をこじ開けたとしても、三十年ちかく行方がわからなくなっている小巻ちゃんをどう遇すれば、けっきょく良いのだろうか。
 Kの森こども電話相談室の支部は駅前にあって、
「こんにちは、倉間哲山です。年齢はとっくに三十を過ぎてますけど、八六年の時点では小学六年生だったんです」
 と申告すれば事実上だれでも相談をしていただけるから、ぼくはそこに立ち寄って、こちらの目が痛くなるほど赤い口紅をつねに引いている川上さんに先の疑問をきいてもらおうかともすこしかんがえたのだが、駅の掲示板にはマミー邸に至急来るようにというオムライスサイドからの伝言が白いチョークで遠回しに記されていて、ぼくは、
「あっ! ファミスタ接待、わすれちゃってた」
 とかわいくあたまにゲンコを二個お見舞いすることになっていたので、小巻ちゃんの遇し方にかんする相談も、川上さんを飲みに誘うという一種の度胸試しも、けっきょくそのまま、うやむやになってしまったのだった。
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