第24話

文字数 3,827文字


      その二十四

 英光邸にお暇を告げると、あっ、ちょっとお待ちになって、とぼくを引き止めたお栄さんが、
「息子さんがお嫌いだってことを、わたし知らなかったものですから……」
 とタッパーに入ったモロコの煮つけとスジコを、チラシやレジ袋などで何重にも包んでわざわざ持たせてくれたので、
「こういうものは、クルマのなかに置いておけないかな。夏だし」
 と思ったぼくは、まずアパートに帰って、これを冷蔵庫に入れてから、あらためて〈三途の川〉なり〈高はし〉なりに行くことにしたのだけれど、玄関先でばったり会ったさおりさんに、
「食べます?」
 と包みごと全部わたして、またエンジンをかけたままの軽トラにもどろうとすると、
「さっき、こっちに入りかけてたでしょ?」
 とつぐみさんが携帯に電話をかけてきた。
 いつも実家の車庫に軽トラを停めているぼくはついついクセでそうしてしまっていたのだが、包みのことをきいたつぐみさんは、
「そうだったの。逃げちゃったのかと思った」
 とわらっていて、なんでも母屋にはいまお客さんが大勢みえているという。
「親戚の人ですか?」
「まあ親戚といえば、親戚ね。哲山くんだって倉間家の人間なんだから、早く来なさい」
「わかりました」
 軽トラを徐行させて母屋に移動すると、襖をはずして長テーブルをつなげていた三間つづきの和室には親父や親父のほうのきょうだいらにまじって、つぐみさんの実のお姉さんの藤原かおるさんや、かおるさんのおムコさんの藤原富之さんや、愛子ちゃん一座に属している伊藤すみれクンや、すみれクンのお母さんなど、ほかにもよく知らない方々がずらりとならんでいて、上座にいる親父からできるだけ死角になる位置のたぶんさっきまで子どもたちが食事していた丸い折り畳み式テーブルのまえにとりあえずすわって、食べ残しのミートボールなんかを楊枝でつまみながら、
「これはいったい、なんの集まりなんですか?」
 と台所にさがるついでにそばに来たつぐみさんにきいてみると、つぐみさんは、
「すみれちゃんが、この家に居候することになったの」
 とタタタターッと軍団で部屋に入ってきた子どもたちをたしなめたのちに耳打ちしてきたのだけれど、さらにくわしく事情をうかがってみると、なんでもかおるさんのムコの富之さんとすみれクンのお母さんとはイトコという間柄なのだそうで、
「だから富之義兄さんの母親、あそこにいる人ね、それからすみれちゃんのお母さん、ちや子さんていうんだけど、そのちや子さんの父親、ほら、お義父さんといましゃべってる人。あのふたりはきょうだいになるわけ。ちや子さんの父親は長男だから、いまも小早川家で威張ってるのね。哲山くん、見てみなさい。お義父さんもどこか気をつかってるでしょ、ちや子さんのお父さんに」
「ああ、たしかに」
「富之さんの母親は国岡家に嫁いで三人子どもを生んで、長男はきょう来てないけど、次男の富之さんは押し出しとかもぜんぜん弱いから、わたしのお姉ちゃんの、藤原家のムコになるの。だから富之さんにとって、わたしは義理の妹で、倉間家に嫁いだわたしは、哲山くんの義理の姉」
「そう、とてもいいお義姉さま。母屋の最新情報も、いつも伝えてくれる」
「ねえ、いまのわたしの説明で、わかる? ちゃんときいてた?」
「とにかく、血のつながりはまったくないけど、すみれクンとぼくとはまあ、遠い遠い、ほんとに遠い親戚になるわけでしょ。ん? ですよね?」
「うん、まあ、そうね」
 すみれクンが事実上、実家を出ざるをえない状況にあるのは、ぼくもうすうす知っていて、その状況というのはつまり、旦那とケンカして暫定的に実家にもどってきているキイキ、キイキイのお姉ちゃんだけならともかく、ここにきてキイ姉より上のお姉ちゃんのほうもなんらかの騒動があって実家に住むことになっている――とかそういうことなのだけれど、倉間家というのは、これまでに祖父のイトコの孫だとか母のほうの親類だとかをけっこう居候させているから、いつだったか、つぐみさんにも「これこれこういう事情の女の子がいるんだけど……」とぼくはちょっと相談していて、だからつぐみさんの義兄の富之さんとすみれクンの実母のちや子さんはイトコの関係にあるとなにかの機会でわかると、それならばということで、この話はとんとん拍子で決まったらしいのだ。
 親父のほうのきょうだいにつかまっていたすみれクンは、
「二十二歳じゃ、早いといえば早いけど、でも、わたしたちのころだったら逆に遅いくらいだし――」
 と結婚のことなどを具体的に質問されていたので、例によって男をまだ知らない自分の身をいよいよ告白していたのだが、やがてぼくに気がついたすみれクンはまわりにお辞儀していったんその座からはなれると、
「お世話になります」
 とこちらに近寄ってきていたので、そのうち、
「先日のお料理教室のお寿司練習会のとき、倉間さんはわたしにハマグリばかりを注文してきたんですけど、これって、ホントにナニの誘いだったんでしょうか? 謎の婦人さんがいうには、倉間さんは小津監督を妄信しているから、いまの時代にあっても、これくらいのお寿司隠語は使いかねないんだそうです」
 ともいいだすのではないかと思って冷や冷やしていたぼくは、ひとまずほっとひと息つくことができて、しかしほっとしたのも束の間、今度は兄貴がそろそろ帰ってくるとの情報も台所サイドより矢のように飛んできていたので、二人がそろうと死角を確保するのは困難だと判断したぼくは、ここにお越しいただいたすべての人に愛想よくあいさつしたのちに、
「まったく、仕事ばかりで、ゆっくり食事する時間もないなぁ、いそがしいなぁ、毎日仕事ばかりしてるなぁ、勤勉なこのぼくは勤勉なこのぼくは」
 とアパートにもどることにしたのだけれど、ご老公との先の約束をメールによってすでに知っている山城さんは、こちらにも、
「男の事務員さんに自首するよう、説得してきます」
 というメールを送ってきていたので、山城さんから連絡が来るまでとくに勤勉になる必要もなかったぼくは、しばし迷ったあげく、ポストに入っていたリョウマくんからの手紙をこのあいだに読んでしまうことにした。
「前文は、なしじゃきに」ではじまるリョウマくんの手紙には、エゲレスにたいする熱い想いや天地小巻ちゃんの歌の師匠だった森田先生宅に直談判しに行ったときのことがつづられていて、それによると、なんでも加津さんとリョウマくんは序盤はかなり苦労したらしいが最終的には森田先生に人柄や熱意を認めてもらって、
「だいぶ酒を飲んでたからかもしれんじゃきが、とにかく、天地小巻ちゃんがいまお暮らしになっちょる住所を、ワシらに、教えてくれたきに」
 ということになったみたいなのだが、しかし、その教えられた住所をたよってまたぞろふたりで電車やバスを乗り継いで行くと、古いマンションに住んでいた小巻ちゃんは、
「奥さまは、探険愛好会だか、ペキン原人を守る会だか、とにかくそういう人たちと、たぶんどこかに行ってます」
 とたまたま失踪していたらしくて、だから、その天地家の婆やから聞いたすくない情報をたよりに、
「いつかかならず小巻ちゃんと話をつけるきに、待っちょっててくれじゃき」
 と今後も旅をつづけることを宣言して手紙は結ばれていたのだけれど、小巻ちゃんは人気絶頂のころから「失踪癖があるらしい」と噂されていたわけだから、ぼくはこれを読んでもとくにおどろきはしなかった。
 七〇年代の後半に一時休業していたときの天地小巻ちゃんは、表向きには病気療養と発表していたのだが、じっさいはどうみても胡散臭いダイエット専門家と海外に移住していて、ファンのあいだでは小巻ちゃんはこのダイエット専門家にたかられたあげく、さらには、
「スリムになったからだは世間に公表すべきです」
 とそそのかされて、男の事務員さんが先輩におっつけられた例の凡庸パンチのグラビアですごいポーズを魅せちゃったり、もっとすごいポーズをとっちゃっている写真集を出してしまったりした、といわれているのだけれど、八〇年代の後半にマレーネ・ディートリッヒの隠し子としてカムバックしたこのダイエット専門家はその話題が沈静化すると、今度は週刊誌上に小巻ちゃんの超エキセントリックな私生活を暴露していて、その後たしか九七年にそれまでの振る舞いを悔い改めて尼さんとして再起した専門家は、
「天地小巻ちゃんは、ホットケーキをフリスビーのように投げて、狂ったようにわらっていた」
 というかつての暴露項を「お好み焼き」と訂正し、隠し子のことも、
「わたしはマレーネ、ディートリッヒの血をじつはまったくひいてません。ワリーネ、ワリーネ、ワリーネ・ディートリッヒ」
 と深々とあたまを下げて謝罪していたが、プライベートでは尼さんをやっていないことを大筋で認めても、「ワリーネ、ワリーネ、ワリーネ・ディートリッヒ」は伊東四朗さんから拝借したものだと再度陳謝しても、それでも失踪癖についてだけは、
「これだけは、これだけは、唯一真実なんです!」
 と涙ながらに訴えていたので、いまだお好み焼きを認めていないぼくと守重内府も、
「当時のファンは失踪先にまで先回りしてたっていう伝説もありますしね」
「生放送中に失踪してるの、おれも当時観てるしな……」
 とこちらにかんしては、おおむね受け入れているのである。
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