第27話

文字数 3,622文字


      第三部 九月

      その二十七

 水色のスモックに黄色い丸帽という格好で精力的に宣伝活動をおこなっている美恋愛子さんのデビュー曲は、九月の第三週に早くも水戸光子ちゃんを抜いてKの森チャートの一位を獲得した。
 幼いときから三味線や民謡の稽古を積んできている美恋愛子さんは旅回りをしながらこれまで百曲以上曲を書いていて、だからKの森レコードサイドも、
「候補作が多すぎて、聴くだけでもたいへんですねぇ」
 と当初はあちらが決める予定だったデビュー曲の選択もけっきょくぼくのほうに押し付けてきたのだが、愛子さん本人とも相談して、
「じゃあ、これにする」
 と選ばれた曲にぼくがどうにか詞をつけることができたのは〈ウルスラ・タウン〉という老人ホームで隠居生活を送っている用七翁に連日手ほどきを受けたからなのであって、翁は土壇場で「和服を着て、三味線をもたせては?」と口を出してきたKの森レコードサイドに、
「おまえさんがプロデューサーなんだから、あくまでも『水色のスモックで行く』って、強く主張するんだね。あのアフロぎみの髪をひっつかんで、やっこさんのあたまに響くように、おもいっきり叫んでやんな」
 と啖呵の切り方も手ほどきしてくれていたのだった。
 呉服店に勤めている和貴子さんは月に一度くらいのペースで洒落者の用七翁のところに御用聞きにうかがっていて、七月に和貴子さんから翁の話を聞いて「ぜひともお会いしたい!」と思ったぼくは、
「きょうの午後〈ウルスラ・タウン〉に御用聞きに行きますの。哲山さん、どうされて?」
 と和貴子さんに声をかけてもらった八月の最初の木曜日にいよいよ用七老人とはじめて対面することにあいなったのだけれど、南北ヨーロッパのオコーデンという小国のテレビ局で四十年ちかくいわゆる“仕掛け人”として君臨していた用七翁は、ぼくがメガホン(?)を取った『極め食いの五月』をたまたま知っていて、事前に承諾を得ていない突然の訪問だったにもかかわらず、
「いやいや、よく来てくれた! しかし、あれは、おもしろかったなぁ! どこでみつけてきたんだい、あの兄ちゃん」
 とまるで現役の仕掛け人のように目を輝かせ、ぼくの演出を称賛してくれた。
 お袋への御用聞きと称して、それから毎日用七翁をたずねていたぼくは、頃合いを見計らって、美恋愛子さんのレコードデビューに関連したことも翁に相談していたのだが、向こうではヒット曲の作詞も何曲も手がけていたらしい用七老人は、
「じゃあ、まず自由になにか書いてきてみな」
 と軽くこの指導を引き受けてくれて、で、
「うんうん、だいぶよくなった。タイトルはこのまま『義姉ありき』でいいよ。サビの部分だけメロディーと合うように、もうちょっと削ればOKだな」
 とたしか四、五日で、詞はおかげさまで完成したのであった。
 父親の仕事の関係で、十歳からずっと向こうで生活していたらしい用七老人は、
「でもやっぱり日本人の血が流れてるんだね。六十を過ぎたころから、急にこういうものが好きになってねぇ」
 と名産地からそれぞれ取り寄せているという、うまいお茶や菓子を出してくれたが、
「あっ、そうだ、こういうものもあるんだよ――」
 と桐ダンスから出してきたトマス・ピンチョンといっしょに写っているお写真は、たしかにピンチョンは公の場に姿をみせたがらないわけだから、普段でもこうやって覆面をしている可能性はあるかもしれないけれど、いくら老人が、
「あれはちょうど、かれが『重力の虹』を執筆しているときだったかな、よくおれの城にお忍びで来ててねぇ」
 とピンチョンとの長い交流を語ってくれても、そのピンチョンはどの角度から検討しても十中八九あの〈マツザカケイコ〉の制服を着ていたので、半分ぐらい信じながらもぼくは、
「これも、仕掛けの一種なのかな……」
 などと愛想笑いをしつつうなずいていて、「根葉の無農薬茶」という、やたらに苦い健康飲料に二種類のハチミツを「これで効能が何倍にもなる」と溶かしたりしていた老人は、
「バフチンをめぐって、ピンチョンと徹夜で論争したこともあったなぁ」
 とそれをすすりつつ昔を懐かしんでいた。
 論争といえば、ぼくは現在『反抗期』紙上等で、例のジャーナリスト氏と激しく論争を繰り広げていて、これはあのジャーナリスト氏が、
「試食おじさんをいちばん最初に発見したのは自分である」
 と『反抗期』に書いていたのに対しぼくが異議を唱えたことによって勃発したのだけれど、試食おじさんはジャーナリスト氏が主張している二〇〇八年以前のだいたい二〇〇六年のはじめくらいから界隈の〈コモディイイダ〉や〈マルエツ〉などにひんぱんに出没するようになっていて、なのにあのジャーナリスト氏ときたら、すでに試食おじさんの知名度が上がっていた二〇〇八年とかそんな遅くに試食おじさんを見出したくらいで、あんなに得意になっていやがるのだ。
「試食おじさんをいちばん最初に発見したのは、このおれだからね! あの野郎にいつか絶対電気アンマお見舞いしてやるぞ! ねえ、だからコツ教えてよね、原田くん原田くん」
「わ、わ、わかったよ、倉間さん――しかしなんでこんなことに、ここまでぶち切れてるのかねぇ……」
 怒学の栗塚くんがかねてより構想していた一種の守衛組織はいよいよこの九月から本格的に活動を開始することになって、ちなみにこの集団はオムライスグループと幕末のあの新選組から半分ずつ取って「卵新組(ランシングミ)」と正式に名付けられたのだが、栗塚くんに、
「倉間さんに大将になってもらったほうが、オムライスからの補助金も、引っぱりやすいんです」
 とたのまれた関係で、かたちだけはぼくがこの組の局長にいちおう納まっていて、しかし副長という栗塚くんの地位は、とくに現場においては局長よりむしろ権限があるともいえるのだから、ふたりだけになるとぼくは、
「しかし、トシさん、うまくつくったもんだなぁ。これだったら、オムオムバーガーもガラモンのぬいぐるみも公的に要求できるもんなぁ」
 と栗塚くんが考えた人事や局中法度のからくりにあらためて感心しているのである。
 ジャーナリスト氏との論争が勃発したばかりのころ、この栗塚くんは、
「何人か隊の者を付けますか?」
 とぼくのところにききに来たのだが、ジャーナリスト氏は今回の論争にかんしてまったく折れる気はないようだったけれど、だからといって、ピンポンダッシュとかそういうゲリラ的な攻撃はいっさい仕掛けてこなかったし、それに水戸光子ちゃんが『さわやか水戸光子ちゃん』というご自身の番組で、
「今度のマンションはときどき幽霊みたいなのが出て、わたし、怖いんです」
 といっているのを観て、
「よし、これで水戸光子ちゃんとお近づきになれる!」
 と局長として武者震いしていたばかりでもあったので、このときぼくは栗塚くんの心遣いに、
「ありがとう、トシさん。しかし卵新組も、もっと有意義な仕事をやっていったほうがいいだろうからね」
 とだけこたえていた。
「ところでトシさん、京都での幽霊退治は、けっきょくどうなったんだい?」
「退治もなにもねぇや倉間さん。おれは五月からこないだまで、ずっとあの旅館に屯営していたが、一度だって幽霊なんか出ませんでしたよ」
「じゃあ、みんながいってるとおり、幽霊もトシさんに恐れをなして、やっぱりどこかに引っ越してしまったのかなぁ……」
「旅館の女将も、そんなようなこと、いってましたよ。霊能者みたいなのに頼んでも、どうにもならなかったが、わたしが部屋で寝起きするようになったとたん、額縁もガタガタいわなくなったって。こっちはただ、たいくつしてただけだ」
 栗塚くんにたいへん感謝しているという京都旅館の女将にマミーさまを介して一筆書いてもらったぼくは、その紹介状のようなものをまず水戸光子ちゃんサイドにみせて、
「ぜひとも、われわれに、その幽霊退治のお役目を……」
 と水戸光子ちゃんとのお近づきを積極的にもとめたわけだが、2DKという間取りだった水戸光子ちゃんのお部屋にまずはお邪魔して、
「ああ、ここで、お食事されてるんですかぁ。では、つづいて、寝室とおパジャマのほうを――」
 などとほとんどお宅拝見のような感じで下見をしていると、のっけから顔色のたいへん青白いお化けが布団からぬーっと起き上がってきて、
「わわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ」
 ともちろんお部屋を飛び出したぼくは、そのまま一直線に栗塚くんのおうちに逃げ込むことになった。
「トトト、トシさーん、お、お、お、お化け、お化けが、ぬーって、ぬーってぇ」
「泣くんじゃねぇ、倉間さん。あんたは局長だ。局長のあんたが、そんなガクガクふるえてたら、隊士たちも動揺するじゃねぇか。おれが行って、退治してやるから。とにかく落ち着いてくれ」
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