第33話

文字数 2,815文字


      その三十三

 沼口探険隊と遭遇したつぎの日は甥っ子の運動会を観に行くことになっていたので、それだけでなんだかんだと一日つぶれてしまったのだけれど、中森市長のわるい癖のひとつである各行事のさいの長すぎる“ごあいさつ”のほうは、昼食時に一時間、そして残りの一時間は小学四年生の大玉競争のときに実況のマイクにひろってもらうかたちでぶつ、ということで学校サイドとも事前に折り合いをつけていたので、今回は貧血をおこしてしまった子どもの親や、スピーチ時間を大幅に削られたPTAの連中とも後日もめずに済みそうだった。
 徒競走で一等になったら、なんとかというゲームのソフトを買うと一筆書かせられていたぼくは、運動会の翌日、甥に朝の六時ごろから圧力をかけられたのちに近所のおもちゃ屋にしぶしぶおもむくことになっていたのだが、そのおもちゃ屋でもぼくは70%オフになっていた「沼口探険隊のお風呂で探険し放題」を手に取ってみたり、かつて沼口探険隊が捕獲寸前まで追いつめた「ムササビービー」のぬいぐるみ(80%オフ)を姪っ子のために購入したりしていて、つまり、夜通し飲み屋街を、
「隊長、あそこに怪獣がいます!」
「バカヤロー! あれは居酒屋のたぬきの焼き物だ!」
 と探険して以来、ぼくも沼口探険隊の将来を、まるで隊員のひとりであるかのように心配してしまっているみたいなのだ。
「ねえ、つぐみさん、どう思います?」
「でも、どんどん探険するしかないんじゃない」
「アナタ、タンケンヲ、シンジマスカ?」
「いま忙しいんで」
 会う人会う人にご意見をうかがっていたぼくは、
「主人もわたしのことを毎日心配しておりました。エレベーターに乗るときも、わたしの手をかならずとって――」
 と話の主導権をにぎられるのはわかりきっているのに、さおりさんにまでご意見をうかがっていたのだけれど、それでもだれも本気で心配しないなか、唯一、夕方帰ってきた三原さんだけは、
「なるほど――探険したくても、探す対象が思い浮かばないと、あの方々は悩んでおられるのですか……」
 と親身になって沼口探険隊の今後をかんがえてくれていて、しかし、かおるさんと遠出した先でシシマイふうの例のあれをしっかり調査してきたらしいその民吾氏も、
「もしかしたら、協力できることがあるかもしれません」
 とむずかしい顔をしつつつぶやくと、今夜また会う約束をしているという、かおるさんとの待ち合わせ場所に、
「それじゃ」
 と出て行ってしまった。
 今晩は和貴子さんがこちらのアパートに来て、スキヤキだったかやきそばだったか、とにかくなにかをつくってくれることになっているので、ぼくは和貴子さんが来るまえに運動会や沼口探険隊問題などでなんとなく後回しになっていたリョウマくんの手紙をともかくざっと読んでおくことにしたのだけれど、先月の手紙で百恵ちゃん藩との交渉が事実上決裂したことを知らせてきたリョウマくんは今月も案の定、
「明菜ちゃん藩も『よそ様にかまっている場合じゃないから』と、けっきょく撤退宣言をしてきたじゃき」
 というような残念なお知らせばかりを報告してきていて、ちなみに天地小巻ちゃん復活への協力を要請したところ、当初いちばん乗り気になってくれていた最大勢力の聖子ちゃん藩は、おそらく独自に調査した小巻ちゃんの現状を知って、
「協力したいのはやまやまなんですが、天地さんはいまでもかなりエキセントリックな生活をなされているようなので……」
 と今月のはじめに連立を解消する旨を正式に表明しているのだけれど、天地家の婆やに何度も付け届けをしたすえにどうにか聞き出した守重内府サイドからの情報をもってしても、けっきょくプラス要素になるような事柄はほとんど見当たらなくて……つまりどうも小巻ちゃんは、性懲りもなく例のダイエット専門家や、すくなく見積もっても二百人は女をだましているあの「火野きよし」と、また親交をあたためているみたいなのだ。
「超プレイボーイ俳優の火野きよしに、みずからの意志で接近していくなんて……現在の天地小巻ちゃんは、想像を絶するほど奇矯な性格になってしまっているのかもしれませんね、内府」
「毒をもって毒を制す、ということであれば、良いのだがな……」
 七時過ぎに、
「おそくなりまして」
 とアパートにやってきた和貴子さんはスキヤキでもやきそばでもなく、和貴子さん自身が考案した「和貴子鍋」をつくってくれるとのことで、実家から持参してきた特製のエキスやスパイスには、なんでもアカマムシやスッポンやイノシシから抽出したいわゆるやる気になる秘薬が、
「たくさん入っててよ」
 ということだったが、性格のわるそうな女性との一線はいまだ越えていないらしい男の事務員さんは何日かまえ、和貴子さんが勤めている呉服店にその女性を連れて、
「あのう、倉間さんに紹介されて、寄ってみたんですけど――」
 と着物をこしらえにきたのだそうで、
「男の事務員さんとお連れの方が帰ると、すぐデミグラスソースさんがわたしのところに近寄って来て『捜査に協力してください』って、事務員さんがお求めになったお召し物などをすごい迫力できいてきたんです。和貴子、困ってよ」
 とぼくのやる気具合を見定めるように見つめつつビールを注いでくれた。
 飾ってあった草履の値札をみて、
「なんじゃ、こりゃあ!」
 とも叫んでいたらしいデミグラスソースにたいし、まだわれわれは捜査の終結宣言は正式には伝えていなかったので、もしかしたらデミグラスソースは、あれからもずっと男の事務員さんの近辺を探りつづけていたのかもしれなかったけれど、解決までの経緯をあらためてかれに説明するとなると、
「ボス! そのパピパピっていうのは、いったい何者なんスか! 自分、納得できないッス!」
 ということのくり返しになってずいぶん手間がかかるだろうし、それに、そういう事情を話すと、和貴子さんも眉間にすこしだけしわをよせて、
「みなさん、いけなくてよ」
 とわらってくれていたので、デミグラスソースにかんしては、もうしばらくこのままボスは放っておくことにした。
 和貴子さんが洗い物をしている隙に自分の携帯をのぞいてみると、心待ちにしていたあさ美さんからのメールが来ていて、あさ美さんは、川上さんに教えてもらった例の下着専門店でぼくが選んであげたパンツのはき心地などをまたぞろていねいに記していたけれど、先月あさ美さんがパンツの返却をもとめてきたとき、
「じつは燃やしてしまったんです」
 と正直にいうと、あさ美さんは、
「やっぱり手放したくないんですか?」
 となんだか勘繰っていて、じっさい二枚ほどはご老公の畑で燃さずに残してあったわけなのだが、それはまた話がややこしくなってしまうので伏せておいて、
「すみません。弁償しますね」
 とそのときぼくは、とりあえず六枚ほどあさ美さんに下着を買ってあげたのである。
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