第34話

文字数 3,077文字


      その三十四

 和貴子鍋を食べた夜は秘伝エキスの効果だろうか、ぼくはより執拗に遠い宇宙からとどいた星々の光を吟味していたので、翌日は出勤する和貴子さんを送り出しもしないでお昼ちかくまで熟睡してしまっていたのだけれど、和貴子さんがわざわざつくっておいてくれたみそ汁やたまご焼きなどで朝昼兼用の食事を帰還直後の宇宙飛行士のような重いからだで取りつつ、
「哲山さんはよく寝ていらっしゃったので、早朝の天体観測は、和貴子ひとりでおこないました」
 という和貴子さんの置き手紙を深読みしていると、
「もしもし」
 と香菜ちゃんから電話がかかってきた。
 正式にマミーさまから聞いたわけではないが、とにかく香菜ちゃんはわれわれのアシスタントになっていて、だから香菜ちゃんはここ数日、山城さんといっしょになって、例のお見合いの詰めた協議をしていたようなのだけれど、真面目好色の三成さんに対応するための肝心の卑猥さのほうはというと、もう指導者の川上さんから太鼓判を押してもらっているくらいしっかり仕上がっているらしくて、
「あの吉野さんが?」
 とぼくがイマイチ想像できなくてもぐもぐひとり言をいっていると、マミー邸に川上さんも吉野さんも来ているから時間があったら見学に来てくださいと香菜ちゃんは呼びかけてくるのだった。
「マミーさまは屋敷にいるのかな?」
「マミーさまは出かけてますよ。こちらに来てくれますか?」
「まあじゃあ、行くよ」
 マミー邸におもむくと、山城さんは香菜ちゃんにレールウェイズの各選手の応援歌を教えていて、
「♪ おまえが股間をさわるとき、それはホームランの予感
   おまえが股間をにぎりしめるとき、それは勝利への確信
   おまえのそのバットを振り回し、宇宙にぶち込めよ、おお、なしだ」
 という八番「なしだ」の応援歌を、香菜ちゃんはなんのためらいもなく、うたっていたのだが、この歌詞の作者であるぼくが香菜ちゃんの耳もとに詞に込めた真の意味を説いたのちに三節めの歌詞を若干変えてうたうよう指示すると、
「そ、そのバット……」
 と案の定香菜ちゃんは猛烈に恥ずかしがって顔を両手で覆ったりしていて、だから香菜ちゃんの専属講師でもあるぼくは、
「まだまだ改善へのスパルタ教育は、継続しておこなわなくちゃいけないな」
 とその場で反射的に創っていた「なしだ」がバットにロジンを擦り込んでいる振付をすみやかに正当化し、かつ近鉄時代の本物の梨田選手の途方もないバッティングフォームの物真似も披露して「股間」というストレートな表現も、つい吐露してしまった詞に込めた真の意味のほうも、写実主義うんぬんといった方向で煙に巻いておいたのである。
 お見合いする場所をまだ決めかねているという山城さんは、
「いやぁ、てっとりばやく〈高はし〉にしようと思ってたんですけど、川上さんが真面目好色の人に好印象をあたえるには〈ホテル・マコンド〉のほうがいいんじゃないかっていってるんですよ。どうします?」
 とぼくの意見をもとめてきて、
「〈ホテル・マコンド〉は、ジョギングのとき通るけど、あそこは普通のホテルじゃなくて、たぶん、ラブホテルなんじゃないかな……でも、川上さんがいってるんじゃね――」
 とこちらもどちらか決められずに悩んでいると、
「とりあえず、あの近辺を調査してみますか? おもてに料金も出てるでしょ」
 と山城さんは大きくのびをして今度はファミスタ接待の技術的な指導を、
「ああ、駄目だよぉ。ボールゾーンにそんなキレのいいスライダーを投げたら『ぶうま』はぜったい手を出しちゃうよぉ」
 と香菜ちゃんにほどこしていたのだけれど、ファミスタのほうはとりあえず山城さんに任せておくことにしたぼくは、
「あっちですか?」
 と謎の婦人におききして、吉野さんが川上さんの特訓を受けている奥の部屋をのぞきに行って、すると、ちょうどふたりはソファーにすわって、紅茶を飲むさいのお皿のそえ方と小指の立て方の最終調整をおこなっていた。
「ホントにもう合格なんですか?」
 というぼくに、
「うん」
 とこたえていた川上さんは、
「いちおう、この方法で臨もうと思ってるんだけど、ちょっと観てくれます?」
 とその方法とやらをさっそく披露してきたのだけれど、
「まずトレンチコートをこうやって、閉じとくでしょ」
「はい」
「で、相手の顔をジイッと観て、タイミングを見計らって、バァーって、トレンチコートを開くの」
「ええ! ももも、もう一回」
「ジイッと観て、バァー!」
「ええ!」
「バァー!」
「ええええ!」
「バァー!」
「ええええええええ!」
 と何度もぼくにみせてくれた川上さんもぼくも、この方法にはじゅうぶん手応えを感じて、ふたりで大いに盛りあがっていたので、
「もう一回」
「バァー!」
「もう一回お願い」
「バァー!」
 とくり返している最中に謎の婦人に肩をたたかれるまでぼくは当事者のことをすっかりわすれていて、
「あっ!」
 とそんなわけでようやく主役の吉野さんに、
「それでは、どうぞ」
 とコンコンをしたのちに“バァー”をうながしたのだった。
 川上さんとおそろいのトレンチコートを着ていた吉野さんは、
「わ、わ、わ、わたし、ひひひ、冷え症なんです」
 とだがしかし、なかにいつもの服を着ていて、それでも、
「お、お、お、お見合いの当日は、かかか、川上さんとおなじようにします」
 と吉野さんはガチガチになりながらも高らかに宣言していたのだが、このようにお見合いの方向性がくっきりしてくると、なるほどたしかに料理屋〈高はし〉より〈ホテル・マコンド〉のほうが、方法によりマッチするかもしれないという気持ちにもなってきて、だから、
「わたし、四時間休憩の無料チケット持ってるの。でも、ああいうところはひとりじゃ入れないから」
 といっていた川上さんといっしょに、このお見合いにある程度責任のあるぼくは〈ホテル・マコンド〉をあくまでもあくまでも責任者のひとりとして、下見してくることにした。
 川上さんは古い型の真っ赤な日産マーチを持っていて、その助手席に、
「おねがいします」
 と乗り込むと、川上さんは無料チケットのことを、
「夏にいっしょに行った下着専門店。うんうん、あの店長にもらったんです」
 などとちょっといい訳するみたいにいってもいたのだけれど、半地下になっているホテルの駐車場にマーチを停めて、
「倉間さん、腕組んでいいですか?」
「ええ、よろこんで」
 と最後の打ち合わせをしていると、別口の見合いがらみの下見でもしていたのか、かおるさんが三原さんに腰のあたりを抱かれつつ半地下のせまい出入口から出てくることになっていて(川上さんは携帯をみていて気づいていないようだった)、まあ他人の空似ということも世の中にはけっこうあるから、これについては深くかんがえずに愛人役の川上さんとともにホテルにチェック・インしていったのだけれど、部屋の棚には、
「ご自由にお試しください」
 とのことだった粗品(?)がいろいろ用意されてあって、普段はかなりいい人ぶっているこのぼくでさえも、おもむろにそのひとつを川上さんにお試ししていたので、このホテルを会見の場とする、という案を出していた川上さん自身も、
「こんなのをおもむろにお試しされたら、吉野さん、たじたじになっちゃうかも……」
 とその案をさすがに改めていて、だからけっきょくお見合いの場は、当初の予定通り、料理屋〈高はし〉とすることにしたのであった。
「これは、どうやってお試しすればいいのかな?」
「それはね、こんなふうに使うのよ、あっ」
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