第17話

文字数 3,051文字


      その十七

 ダンボール六箱分のクルミニンニクを軽トラの荷台に積んでK市に帰ってくると、その後二日間はひたすらスマイリイ・オハラの対談集を熟読することになっていたのだけれど、かなり重要な箇所をみつけたぼくは、
「もしもし民吾さん、サセレシアです」
 と秘密の合い言葉で第一人者の三原民吾氏にその発見を知らせていて、
「そうですか! しかしきょうは、カラオケ大会の審査員の仕事が入ってしまっているのですよ。ですからあした、そちらにおうかがいします」
 ということだった民吾氏は、そんなわけでF島からしばらくぶりにこちらへ来てくれることになった。
 三原民吾氏の父親はF島でかなり立派なホテルを経営していて、いちおう民吾氏も肩書はそこの役員だか社員だかになっているらしいのだけれど、はなれの工房でエリマキトカゲの焼物をつくってお土産コーナーに寄与しているほかは、たいてい民吾氏は先にあがったような謎の大会の審査員を務めたりスマイリイが著作に組み込んだとされている暗号の解読をおこなったりしていて、自然にかこまれた〈三原ホテル〉が全国探険愛好会や全日本お化け同好会の常宿になっていることから、たまに親父さんやお姉さんに宇宙人役とかムー原人役とかをたのまれることもあるみたいなのだが、近年はそういう商用(?)すらも、いろいろ理由をつけて氏はかわしているという。
 四月生まれの民吾氏は、船着場付近で商売をしているカラオケ好きのなんとかさんという旦那からいつも借りているライトバンで、夕方直接アパートに来ると、
「これでお互い三十七ですね」
 とまずプレゼントが入った紙袋をドスンと玄関マットに置いてくれたのだが、
「うわぁ! 天地小巻ちゃんのファンクラブ会報はなかなか手に入らないんです。ふーん、こんなにダッコちゃん人形もってたんだぁ」
 とおもいがけずいただくことになった『毎月小巻ちゃん』をお茶を出すのもわすれてパラパラやっていると、しおりをはさんでおいた対談集のページをすさまじい集中力で読んでいた民吾氏は、
「うん! わかりましたよ、倉間さん」
 と対談集の問題の箇所をさっそく解読しだした。
「倉間さん、ここに暗号はありませんよ」
「でも、よく意味のわからないカタカナで……」
「対談相手の竹岡明子さんがしゃべっているところですよね」
「ええ」
「読みますよ――ワダス、オデラナハガナヨゴデ、オドゴサニ、パンテーンナッカ、ナガヨビデ、エジリャアテ、ンデ、『エグエグ』エッタァ、オドゴサ、『エッダガ?』キグガラ、『ンダヨォ、オメガ、イッペー、エジッカンダヨォ』ッデ、オスエダンダ。ソンドギガ、ハズメデノ、シェエタイゲン。ンダナァ、ハダズンドギダッダガ」
「どういう意味なんですか?」
「これは対談相手の竹岡さんが、はじめてのプライベートな体験を語っているのです。どうもお寺の墓の影かなんかで、おこなったようですね。二十歳のときということです」
「じゃあ、やっぱり暗号は入ってないんですか?」
「ここの部分はね。でも、ほかのページには、ぜったいスマイリイは、なにかしらのメッセージを組み入れてますよ」
 民吾氏の説明によると、竹岡さんはその体験以降「アゲエ、パンテー」しか着用しないらしく、スマイリイにそれを対談中チラチラみせて、
「シェンシェー、ワタズのパンテーミデャアナ、オガオニ、ナッデル」
 とスマイリイを赤面させていたみたいだったが、先日リクエストした、おなかのところに紺と黄色と赤の太い三本線が入っている白のワンピースをお召しになって八時過ぎにアパートにたずねてきた和貴子さんは、奥の六畳でタンスによりかかって対談集を研究していた民吾氏に気づかずに、玄関口で、
「体操着とブルマもさがしてみたんですけど、学生時代のものとなると、もう二十年以上もまえになってしまうでしょ。だからさすがに処分してしまったみたいなんです。あいすみません。ほかになにか着てほしいものあって」
 といきなりいっていたので、スマイリイとおなじようなアゲェナオガオになってしまったぼくは、やはりスマイリイとおなじようにクネクネと激しく踊りつつ、
「うっかりしてたんですけど、民吾さんに電話するまえから、こちらの和貴子さんとは約束してあったんです」
 と両方に弁明することになって、とはいえ、夕飯は研究に没頭しすぎていてお互いまだ食べていなかったし、民吾氏はK市に滞在するときは、祖父が生きていたころからの習慣で、お玉さんが住んでいる古書店の二階のほうにいつも泊まることになっているので、このあとはとくに気まずい雰囲気でギクシャクすることもなく、三人で八〇年代を想起したりして、おもいのほかたのしく晩飯を食べたわけなのだけれど、民吾氏が対談集を数冊もって、
「じゃあ、お玉さんとも、ひさしぶりにお話したいんで。おやすみなさい」
 と古書店に移動すると、それまでウーパールーパーなどの話で気を紛らわせていたぼくと和貴子さんは案の定、
「このページの北川たか子さんの発言を音読しなさい」
「はい。『関係をもってからのチャアリイは、それまでとはちがって、デートの序盤からすぐわたしを求めてくるようになりました。海に行ったときも、いきなり四つん這いになることを』あっ、そんなことされたら、音読できなくてよ」
 とすぐ切り替わることになっていて、三本ラインの白ワンピースや和貴子さんの四つん這いポーズに心を奪われていて、二度目のインターバル時までじつは深くかんがえなかったのであるが、婦人たちだけでおこなっている押売ゼロ運動の成果を報告していた要所要所で個人的な悩みをスマイリイに打ち明けているこの北川たか子さんの交際相手のチャアリイは、もしかしたらその後師匠のスマイリイに謀反をおこすあのチャアリイ・サクラダなのかもしれなかった。
「この見おとしは迂闊だったな……あたまにかわいくゲンコを二個お見舞いしなくちゃ。コンコン」
 チャアリイ・サクラダはスマイリイ・オハラの唯一の弟子で、スマイリイの晩年にはお買い物係や口述原稿の筆記役という重要な仕事も任されていたのだが、スマイリイが老体にむち打ってクネクネ踊りながら口述した最後の大作を、チャアリイはたぶんこき使われつづけたことへの復讐かなんかで持ち逃げしていて、で、一般的にはそのショックでスマイリイはお雑煮をのどにつまらせて息を引き取ったといわれているのである。
 チャアリイ・サクラダは知られているかぎりだと独り身だったので、はじめてチャアリイの女の情報を得た民吾氏は、
「この北川たか子さんに、お話をうかがうのも、ひとつの方法ですね」
 と翌朝早々に動きだしていた。
 吾氏は暗号のほうも早々にひとつ発見していて、なんでも対談集の第七巻には、わたくし倉間哲山が二〇一一年にあるおじさんをめぐって激しく闘う、と組み込まれているとのことだったけれど、おじさんということでいえば、英光ご老公とか幕臣とか、とにかく多数のおじさんたちと普段ぼくは接しているわけだから、なんだか対象が広すぎて、
「なにか心当たりありますか?」
 と氏にきかれても、まったくなにも思い浮かばなくて、しかし温厚なわたくし倉間哲山でも、ダイアンさんとか四十前後の松尾嘉代とか秋田で遭遇した色白のあの後家さんとか五十手前の松尾嘉代とか、そういうこちらのスケベ中枢をとてつもないスケールで刺激してくる婦人がからんだ争いであるならば、おそらく激しく闘うことになるだろうなとは思ったのだった。
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