第1話

文字数 3,416文字

      第一部 五月

      その一

 マミーさまの言い付けはいつも唐突で、用向きによっては夜中の二時とか朝の五時とかということもあるのだけれど、今回の場合は天地小巻ちゃんのアルバムを聴きながらおやつをたのしんでいるときだったから、あわてて目ざまし時計を探したり、みていた夢の流れでそもそも存在しない妻を「レネーちゃん」と呼んでしまうこともなくて、
「まあ、どうぞどうぞ」
 とだからぼくは落ち着いた物腰で使者の吉野さんに応対した。
 吉野さんが使者としてこの部屋にやってきたのはこれで二回目で、前回のときはマミーさまの屋敷でそれまで顔を合わせたことはあったけれどもおしゃべりしたことはなかったので、
「ええ、本日はお日柄も良く……」
 あたりからはじめて「舞子さん」という下のお名前や二十七歳というぼくより九つほど若い実年齢なんかも要所要所でお聞きしたわけだけれど、いわゆる「あがり症」らしい吉野さんはこのあいだあれだけ親交をあたためたにもかかわらずこの日もやはり最初のときのようにガチガチになってしまっていて、
「マミーさまからですか?」
 とぼくが「ほ、ほ、本日は、お、お、お日柄も良く……」以降なにもいえない彼女にしびれをきらして、耳のあたりをティッシュでつくった“ネコジャラシ”で軽くくすぐると、
「キャオ!」
 とようやくその刺激に反応して、手に持っていた茶封筒をこちらに差し出してきたのだった。
 マミーさまは携帯でよく側近に指示を出しているし、メールみたいなことも又聞き情報によれば無難にこなせるようなのだが、だいたいぼくへの依頼はこのように使者を立てるか、あるいは電報をよこすかということになっていて、なんでもそれはぼくへの礼儀としてそうしているらしいのだ。
 先日親交をあたためたさい、吉野さんはこのマミーさまに、
「こここ、講演をたのまれたんです」
 といっていたので、紅茶を出しながらぼくは、
「例の件はどうなりましたか?」
 とまずはそのことをおうかがいしてみたのだけれど、マミーさまが奉仕活動の一環としてたぶん運営しているいわゆる「改善大学校」で何度か臨時講師や講演をしたことがあるぼくに吉野さんは、
「お、お、お、お受けすることにしたんですけど、ど、ど、どういうふうにすれば……」
 とさっそく助言をもとめてきて、
「演目はなんですか?」
 ときくと、なんでもとくに恥ずかしがりやさん学部の生徒に向けて自身のあがり症エピソードを語るとのことだったので、
「じゃあ、あとで、予行演習みたいなことでもやろうか」
 とそれをかんがえると緊張して砂糖もカップになかなか入れられない吉野さんを、もちろんネコジャラシも意表をつくかたちでもちいたりしながら、ぼくははげましてあげたのだった。
 茶封筒には手紙と「ファミスタ招待券」というマミーさまの似顔絵が印刷されたチケットが入っていて、吉野さんのスプーンをくるくるしてあげたのちにまず手紙を読むと、案の定奉仕活動の依頼みたいなことが遠回しにしるされてあったけれど、マミーさまが「英光おじいちゃん」と呼んでいるどうも相当な財産家らしい翁への奉仕であれば、のちのちこちらにいろいろな益が舞い込んでくるだろうし、招待券のほうはというと、こういうチケットがあろうとなかろうと定期的にファミスタというむかしのテレビゲームをマミーさまとすることに事実上定められているわけだから、ぼくは、
「そのときに、くわしいことはきけばいいな」
 とかわいく首をかしげながらつぶやいて、また茶封筒にそれらをもどし、かわいさをキープしたまま、先ほどまでたのしんでいた残りのクッキーもおちょぼ口でいただいたのである。
 それで先に明言したとおり、講演の練習というか指導みたいなことをすることになったのだが、電源こそ根こそぎ引っこ抜いたが、未練がましく布団はまだ掛けてあるコタツのうえに吉野さんを立たせて、
「パチパチパチ」
 などと声に出しながら拍手をしてあげても吉野さんはやっぱりただガチガチふるえているだけだったし、また無理にこちらがはやし立てても、
「チュチュンガチュン、チュチュンガチュン」
 と最高潮に達した緊張状態の効用でよくわからない音頭を踊りだすくらいで、
「本日はお日柄も良く……」
 という第一声にすら、彼女はたどり着けないのだった。
「あ、あのう、倉間さんのお店に『講演を大成功させる方法』というような本はありませんか?」
「どうだろう、たぶんないと思うよ」
 いま吉野さんがいった「お店」というのは、ぼくがこぢんまりとやっている古書店のことで、ちなみにこれは三年ほどまえに他界した祖父が老後の道楽というか晩年の誇大妄想の一環としてはじめた店なのだけれど、母屋の裏にあるこの古書店の二階にはお手伝いさんという名目で祖父に十年ほど寄り添っていたお玉さんという六十前後の婦人が現在も継続してお住みになっていて、まあぼくも二代目を襲名した当初はこの二階で寝起きしたりあるじ然としたりしていたのだが、ここを住居にしていると、家長気分でどっしりかまえすぎてしまって、お客さんに「せめて週に二日くらい店を開けてよ」というご批判を受けることにもたびたびなっていたし、また義姉のつぐみさんからも、
「お玉さんと変なことにならないうちに、もどってきたほうがいいわよ」
 というようなアドバイスをひんぱんに受けていたので、こんにちのぼくは油小路家に嫁いだ妹も一時住んでいた、やはり実家の近隣にある〈ロングハウス倉間〉というアパートにひとりで暮らしているのである。
 吉野さんの問いに先のようにこたえたのは本の買い取りを現在はしていないのと、それから先代の方針で創業時よりかなり通好みのものしか取り扱わないことに〈古書店倉間〉はなっているからで、まあ買い取りをしないのは、これ以上クラッシャー身上氏著の『朝寝朝酒朝湯を謳歌しながら億万長者になる』を増やしたくないという二代目の希望およびお玉さんのお人好しによる大ちょんぼを懸念してそのようにしているのだが、親族のもの、とくに親父がいろいろ難癖をつけているだけで、じっさいのお玉さんは襖の張り替えも専門家なみにできるくらいしっかりした人で、お玉さんは店番もそれなりにこなしてくれるし、二階のほうもいつもきれいにしてくれている。
 生前、お玉さんをたいへん信頼していた祖父も店にもちこんでくる本はほとんどつっぱねていて、いわゆる仕入れのほうはもっぱら自分自身で地道にこつこつ探す、という方法をとっていたのだけれど、孫のぼくを連れて地方の蔵のあるような屋敷をたずねてまわったときなんかはそのままてきとうな温泉旅館等に泊まることもしばしばあって――おもえば、そういう縁であの三原民吾(ミハラミンゴ)さんとも知り合いになったし、「愛子ちゃん一座」とも面識をもったのだ。
 現在の愛子ちゃん一座は〈三途の川〉という健康センターのほぼ専属という感じで公演をおこなっているのだが、経営状態が悪化していた〈三途の川〉をこういう興行によって好転させたのは、結果的にはわたくし倉間哲山(くらまてつざん)の功績、ということにもっぱらグループ内ではなっているので、事あるごとに、
「これからは宇宙ですよ。断言しますけど」
 などと発言してしまって、ぼくはさらに自分の器量を空手形的に大きくみせてしまっているのである。
 健康センター〈三途の川〉はオムライスグループの傘下におさまる以前はなんでも老舗の銭湯だったらしいが、その銭湯だった当時から業者としてここに出入りしていて、いまではグループのなかでも五本の指に入る大物といわれている守重(モリシゲ)内府は二百万オムの大大名なのにもかかわらずオムライスグループのいちばん偉い人であるマミーさまにどうも受けがわるくて、だから内府はなにかあるたびにぼくをマミーさまとのパイプ役みたいなことにもちいて、小さなピンチを凌いだり呼ばれてもいない極秘会議にさりげなく参加したりしているのだけれど、天地小巻ちゃんフリークという共通の話題もあるからだろうか、ぼくはこの守重内府に祖父にたいするそれとおなじような感情をいだいていて、内府とはぼくも顔パスで利用できることになっている健康センターでばったり会えばたいていどちらかのお目目がまわるくらいのサウナ勝負をするし、勝負ののちも勝敗がどうであろうと宴会ホールに移行していって、先の一座などを観ながら一杯やっている。
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