第3話

文字数 3,315文字


      その三

 マミーさまの屋敷には車や自転車で行くこともあるのだが、最近はお酒をいただいて側近さんに帰りは送ってもらうことが多く、そうなると、後日、車なり自転車なりを取りに行って、タイミングによっては、
「倉間くん、ちょっと」
 と二日連続のファミスタ接待なんてことにもなりかねないので、ぼくはなるべくバスを利用することにしている。
 若干大回りするが、それでも乗り継ぎなしにマミー邸そばまで行けるバスが実家ちかくを走っていて、十七時過ぎにそれに乗って、
「ごめんくださーい。ごめんなさい」
 とインターホンにお辞儀しつつ呼びかけると、
「はーい」
 とここに居候している謎の婦人が門をすみやかに開けてくれたが、これから出かけるというマミーさまは入念なおめかしをしながら、
「ねえ、今夜はIBCの会長と会うのよ。ごめんなさい」
 と鏡越しのぼくにほほえみかけてきて、とはいえ、依頼のくわしい内容は山城さんにすでに伝えてあるみたいだったので、ぼくはさっきの婦人が出してくれた青汁を喉を鳴らして飲み干すと、
「ごめんなさーい。ごめんください」
 とまるで逃げるようにお暇することにした。
「よかった……ファミスタ五時間コースも覚悟してたからな」
 帰りのバスを待っているあいだに、その山城さんに電話をかけると、
「もしもーし」
 と元気よく出た山城さんはなんでもこれからオムライスグループに段取りをつけてもらった女の子と初デートをするらしくて、
「ねえ、倉間さん、ぼくだってもう四十なんですから、そろそろ結婚したいですよぉ」
 とこのところどんな話のさいにも最後に付け加える先の希望をまたぞろ訴えてきたが、落ち合う場所が〈高はし〉という料理屋であれば、われわれはマミーさまへの“ツケ”というかたちである程度旦那面できるわけだから、
「ねえ倉間さんも、介添役として、来てくださいよぉ」
 といったお誘いにも、
「じゃあ、カウンターのほうで飲んでますよ」
 と気軽にこたえることができて、いったんアパートにもどって旦那らしい身なりに着がえてから、
「いらっしゃいましぃ」
「ども」
 とだから堂々と〈高はし〉に入って、天ぷらを食べながらビールを飲んでいると、
「ところで、おかみさん、山城さん来てますか?」
「ええ。〈槇の間〉で、とてもお若いお嬢さんと」
 ということだった山城さんが左肩に装着したよくわからない飾りをジャラジャラさせながらやがてこちらに降りてきて、
「だめです。歳がいっちゃってますよぉ」
 と二本目のラガーを注いでいたぼくに耳打ちしてきた。
 先月だかに守重内府に紹介された三十歳くらいの女性にたいしても、先のような評価を山城さんは有無を言わさず下していたのだから、おききしてみると二十三歳だったお相手の香菜ちゃんという子に釈明も兼ねて山城さんのそのような特異性をともかく説明して、
「まあ、これもなにかの縁ですからね。あはははは」
 とそのあとはぼくも加わった三人で結婚うんぬん抜きに飲むこととなったのだけれど、香菜ちゃんは胸の谷間を限界まで強調させるような服を着ていたので、お銚子を三本ほど空けたのちのぼくはついつい灯台の明かりのように一定のリズムでそちらに眼光をあててしまっていて、で、限界まで太ももを強調できるホットパンツへも眼光をあてられ、いよいよお顔をあからめることになった香菜ちゃんは、とうとう、
「ナルシス輝男先生に指示されたんで、こういうのを着てるんです……」
 と辺見マリの『経験』を聴くと卒倒してしまうくらい禁欲的な生活をしている修行僧に弁明するかのように訴えてきた。
 ナルシス輝男先生とは改善大学校で臨時講師をしているときにぼくは面識をもって、この界隈のショッピングモールや総合公園で会えば、
「ああ、しばらくです」
 と二、三十分くらいはたいていお話するのだけれど、ほんらいは「モテモテ教室」という市民講座の講師で、改善大学校に赴任したばかりのころは、
「しかし倉間先生、恥学の生徒にどのように指導すれば、かれらの恥ずかしがりや、という特性を、せめて中和させてあげることができるんですかね……」
 と悩んでいたナルシス氏もなるほどいまではこんな荒行を生徒にやらせるほど指導力をつけたらしく、山城さんに確認すると、
「ええ。“課外授業”としての逢引きってことは、きいてますよ」
 とこのデートの真の目的を知っていたので、ぼくはホッと胸を撫で下ろしつつも、ついついまた谷間に強い光をあててしまったのだが、かんがえてみれば山城さんはお花見大会のシンポジウムに参加するさいも、
「集団お見合いっていうのは苦手なんですよね」
 という心構えだったので、そもそもよけいな気づかいはかれにはいっさい無用なのであった。
 その山城さんは、香菜ちゃんがナルシス先生の話をしていると、
「じつはこのルアー、ナルシス先生にアドバイスされて、身につけるようになったんですよ」
 と左肩にジャラジャラ付けている例の飾りを誇らしげに見せていた。
 愛用者が熱弁するには、この焼き芋を模したルアーを三つほど束ねてつくったバッジは女性をひきつけるための極めて実用的なアイテムとのことだったが、アイテムうんぬんでいえば、香菜ちゃんが身につけていたマリアローザ製の「ウルトラ・ウォッチ」は、オムライスファミリーである一種の証ということもできた。
 香菜ちゃんは麦焼酎に移行したあたりから、
「わたしのこういうむちむちした感じって、倉間さんにはかわいいんですか?」
 というような質問を椀子そばのお給仕のように投げかけてきていて、だからぼくはその連祷をいったん止めさせるねらいもあって、香菜ちゃんに腕時計のことを、
「それ、どこで買ったの?」
 とうかがってみたのだけれど、案の定その腕時計は「マミーさまからいただいたんです」とのことらしくて――しかし香菜ちゃんは、それがピグモンなのかガラモンなのかはまったく判別がつかないようであった。
 時計はマミーさまにたのまれてKの森総合公園の第一広場で四葉のクローバーをどこかの後家さんのために探したさいに贈与されたみたいだから、いずれ香菜ちゃんはオムライスのどこかの課に配属されるのかもしれなかったけれど、このお話の最中に、
「あっ!」
 と思いだしてあたまにかわいくゲンコを二個お見舞いしたぼくが例の依頼の詳細について山城さんにようやくたずねると、山城さんはずんぐりむっくりしたからだをこちらにこすりつけるようにしながら、
「今回はまた、めんどうな依頼ですよぉ」
 とポケットからいつもの手帳を出してきて、
「えっ、山城さん、畑に、なにが捨ててあったんですって?」
「だからタンスですよぉ。子ども用のちっちゃめのタンスが畑のはじに無造作に置かれていたんです」
「タンスはどうなったんですか?」
「英光ご老公が保管してます。『不法投棄の犯人をおもいっきりこらしめてやる』って、息巻いているようですよ」
「役所とかでお願いできないんですかね」
「英光ご老公も最初はそうかんがえたみたいなんですけど、さすがに不法投棄の犯人を血眼になって、しらみ潰しに捜すなんてことは役所もしないでしょうからね」
「たしかに……」
 という会話ののちにまずぼくが思いついたのは、その英光ご老公という金持ちの爺さんの怒りがおさまるまで、なるべく沈黙しているという作戦だったけれども、日をあらためて畑に捨てられてあった子ども用タンスを見に行くらしい山城さんは、
「まぁ辛抱強く、やるしかないでしょうね」
 といったん〈槇の間〉を出ると、しばらくしてたぶん従業員に手わたされたおしぼりで手をふきながらあわててもどってきて、
「ねえ、倉間さん倉間さん、そういえば今晩、Kの森テレビで『どこまでも生討論』やりますよね。あれは録画して観たんじゃ、意味ないんですよぉ」
 と急遽、自宅に帰ることになっていて、だからほとんどぐでんぐでんになっていた香菜ちゃんのためにクルマを手配したぼくも、
「わたしのこのむちむちしたからだ、倉間さんにはたまらないんですか?」
 とタクシーに乗るさいにもきいてきた香菜ちゃんに、
「そうだよ」
 と再度返答して帰ることにした。
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