第15話

文字数 3,047文字


      その十五

 この日をむかえるにあたって、ぼくは料理屋〈高はし〉に二夜連続でナルシス輝男先生を招いて、いわゆる「モテモテ講義」をお聴きしたのだが、
「じゃあ、その日のお手手さわりも、かならずしもぜったいにダメ、というわけではないんですね? ナルシスさん!」
 という三十七歳としては異例の質問にも、ナルシス氏はていねいに、
「もちろん! でも、いいかい倉間さん、こういうのはすべて、モテモテテクニックを活用しなければ、ならないんだよ」
 とこたえてくれていたから女将にも手伝ってもらった実地講習のときでも、
「そう、それで女性が『わたしが洗いますわ』って、台所にさがっていったら、そっとついていく。で、スポンジをくしゅくしゅやりだしたら、『ぼくがやるよ』といって、スポンジを取るとみせかけて、手をにぎる! はい、そう!」
 と講習を受けている最中に、
「あの先生、スポンジをくしゅくしゅしまくって、顔とかにわざと泡をつけて、それで『目がしみるから風呂に入りますね』って、まず女性にことわるじゃないですか。で、そのあと『よかったら、お嬢さんもいっしょに入りませんか』とか、そういうのはダメですか?」
 と細かい確認も逐一とることがおかげさまでできて、しかもナルシス先生は二晩目の最後に、
「じつは、倉間さんが熱望しているナニのほうも、まったくの夢というわけではないのさ!」
 とモテモテスーパーテクニックのほうも今回とくべつに教えてくれていたので、ライオンだとか虎だとかの猛獣系のぬいぐるみを部屋に配置しておいて、
「キャッ」
 と女性がさけんだら、
「だいじょうぶかい!」
 とここぞとばかりに抱きしめるというそのモテモテスーパーテクニックの準備もいちおう万全にしておいたのだけれど、マミー屋敷よりお借りしたピグモンのぬいぐるみをみると、
「まあ、めずらしい。これ、ガラモンかしら?」
 と和貴子さんはすぐそれをお手にとってほほえんでいて、だからけっきょくぼくは、
「なんでもそいつは、ピグモンらしいですよ。ぼくも最初は和貴子さんとおなじようにガラモンかと思ったんですけどね。まあなんにしても、ピグモンとガラモンはよく似てますなぁ、あはははは」
 という応対をするにとどまったのである。
「倉間さんのお名前、これはテツザンさんとお読みするんで、よろしいんですの?」
「そうです。まあ、いまどきこんな名前、なかなか見かけないですけどねぇ。なんでも祖父がつけてくれたみたいでしてね」
「あら、わたしの和貴子っていう名前もやっぱり祖父につけてもらいましたの」
「じゃあ、おなじですね」
「ええ」
 和貴子さんのお祖父さんは一昨年まではお元気だったらしく、
「おいくつで亡くなられたんですか?」
 と湯飲みにお茶を淹れながらたずねると、和貴子さんは、
「それがよくわからなくて、九十八歳説っていうのと、百十一歳説っていうのがあるんです」
 と口もとにハンカチをそえてわらっていたけれど、そのような流れでさりげなくご自身の年齢も、
「一個上のお姉さんよ。それでもよくって?」
 と公表していた和貴子さんは、そのいいまわしに一瞬お目目をギラつかせたぼくのスケベ魂を感じ取ったのか、そのあとは話題を変えるようにあの呉服店でクルマを運転できるのはわたしだけだから、午後はたいてい配送を任せられて、そのまままっすぐ帰宅することもしばしばですのよ、といってきて、それで愛子さんが太鼓判を押していた「その気がある」というのは先のような事情もあるのだからやっぱりちがうんだな、と思ったぼくは、なんだかなげやりな気持ちになってしまって、
「自分のは、あっちでくしゅくしゅ洗ってください」
 とたしょう段取りをまちがえてお手手大作戦を仕掛けてしまったのだけれど、
「わかりました」
 と立ちあがった和貴子さんは浴室にタオル等を用意すると、
「お湯張りましたから、哲山さんもご一緒にどうぞ」
 とぼくの手を引くことになっていたので、そのあとは案の定かなり短いインターバルで二回ほどぼくたちは、まあなんていうかナニすることになって、軽食をとったのちの三回目の最中には、
「現在されていることを具体的に説明するようにって、和貴子の耳もとに命令してください」
 という催促も和貴子さんはこちらにしていたのだった。
 最初のインターバルのさいに好みの酒をきいていたので、
「はい、和貴子さん」
「すみません」
 とロックにした日本酒も和貴子さんはチビチビ飲んでいたのだが、
「哲山さん、お強いのね」
「だけど、四回目はどうかな……」
「ナニのことじゃなくて、お酒のことよ」
 などとしゃべっていると、
「えっ、ウルスラ・タウン? そこに、ぼくのお袋と伯母さんも入ってるんだよ」
 とそのうち和貴子さんが例の老人ホームにもたまに配達に行っているのもわかったので、「用七(ヨウシチ)さん」というその洒落者のお得意さんに興味をもったぼくは、つぎのウルスラ・タウンへの御用聞きのさいには、ぜひ同行してその翁と接触したいと願い出ることになって、すると和貴子さんは、
「三時間以上、お話になることもあってよ」
 とわらいながら用七老人にこれまで聞いた“仕掛け人”としての手柄話をまたかいつまんでおしえてくれたのだけれど、お話をきけばきくほど、この用七翁はぼくの大きなちからになってくれると確信するのだった。
 オムライスグループが冠スポンサーになっている『突撃、となりのお食事』は現在たいへんな人気番組に成長していて、これは新しく突撃レポーターを務めることになった玄米くんのおもいがけない躍進によってきっとそうなったのだろうけれど、レポーターを務めるに先立って「小森のおばちゃま」を玄米くんに伝授していたぼくは、幕臣たちから、
「小森のおばちゃまになりきって、お食事中の民家に突撃するなんて……さすがですなぁ、倉間殿」
 とオムライスの幹部会議のあとにオムオムバーガーの無料券をまたぞろもらっていて、しかしそのときは美恋愛子さんのレコードデビューの話がいよいよ本格的になってきてもいたので、まだ天地小巻ちゃん関連の陳情はひかえておいたのだった。
 翌朝六時に目をさますと、もう和貴子さんは朝飯の支度をしてくれていて、
「お口にあいますかしら」
 とコタツテーブルにならべてくれたおかずは、あからさまにこちらの滋養をおもんぱかっていたので、しかと受け止めたぼくは、呉服店に行く身支度がすべて整うのを見計らって、
「あっ、おやめになって。あっ、そんなところまくり上げちゃって、あっ、おやめになって、いまバスタオルでまくらを微調整いたしますから、待ってらして。あら、髪飾りはそのままのほうがおよろしいの、あっ」
 とまた和貴子さんとナニすることにあいなっていたのだが、出がけに、
「今晩、またお寄りしてもよろしくて?」
 ときいてきた和貴子さんには、お昼過ぎごろ、
「急遽買い付けに行くことになりました。二、三日留守にします。リクエストしましたワンピースのほうは後日堪能させていただきます」
 とメールで訂正しなければならなくなっていて、お昼まえにしばらくぶりに電話をよこしてきた妹の京子は、あさっておこなわれる伝統行事への不満をまたぞろぶつぶつこぼしていたのだけれど、
「嫌だなぁ……」
 という愚痴のあいまに、
「ああ、そうだ、ねえお兄ちゃん、なんかスマイリイの本、いっぱいあるみたいよ」
 と手にしていた髪飾りを畳に落としてしまうほど衝撃的なこともいってきたのだった。
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