第10話

文字数 3,001文字


      その十

 ダイアンさんはキャンディーズの振付をほとんど知っていて、なんでもそれはお父さんに指導されながら十歳ごろまでほぼ毎日キャンディーズごっこをやっていたためらしいが、普段はやさしくても、キャンディーがからむと人が変わるというお父さんは、そのキャンディーズにかんすることで最近ショックを受けて、なかば家出みたいなことを現在敢行しておられるのだそうで、
「そういえば倉間さんも、スーちゃんのことで、しょんぼりしてたよね」
 とすみれクンがなにげなくいうと、ダイアンさんは、
「じゃあ、一番好きなのは天地小巻ちゃんで、二番目に好きなのは太田裕美ちゃんで、三番目に好きなのは香野百合子ちゃんで、四番目に好きなのはキャンディーズなんですか」
 と校長が差し出したくじ引きにより、いつのまにか代役することになってしまった児童の下校の見守りにも付いてきていたのだけれど、加津さんが先日いっていた全国行脚うんぬんというのはどうもこのダイアンさんのお父さんのことみたいだったし、それに先にも吐露したようにダイアンさんには松尾嘉代に匹敵するほどの刺激を受けていたわけだから、このあとのぼくは案の定、
「それで三十三位は、三浦リカで、三十四位は……」
 と交差点の双方で黄色い旗を振りながら、ダイアンさんと大声で話し合うことになっていて、見守り終了後も、
「じゃあ、六十二番目に好きなの教えてあげようかな。あのね……」
 などと〈マツザカケイコ〉けやき通り二号店にて、ひきつづきうちあけ話をすることになったのである。
〈マツザカケイコ〉という、ちょっとドラッグストアみたいな名の喫茶店はこの十年K市のあらゆる地区に店を出していて、つぐみさんがいうには、なんでも経営者は駆け出しのころ、バニーガールの格好でチラシを配って市内全域にたいへんなセンセーションを巻き起こしたとのことだったけれど、こんなふうにどんどん店を増やせているのは、バニーガールとかまるポチの尻尾とかそういう理由ではなく、きっとぜんたいの雰囲気とか味とかが良いからで、
「はじめて入ったんだけど、マツケイって、落ち着くねぇ」
 とだからぼくは「マツケイ抹茶」をてきとうな作法で飲んだりしながら店員のまるポチの有無なんかをさりげなくチェックしていたわけだが、「マツケイホットココア」をふーふー飲んでいたダイアンさんにとってはどうもここは単純にくつろげるところではないみたいで、彼女は要所要所で間をとるためのふーふーをココアに色っぽく与えながら、この店にまつわる一種の思い出話をぽつぽつ語りだしているのだった。
 いまから四年ほどまえ、二十四歳だったダイアンさんは、あこがれもあったし、同級生の美保ちゃんも前年出産していたし、交際相手もいたので、お父さんに、
「結婚しようかと思ってるんだけど――」
 とある日相談したみたいなのだが、数日後婚約者を猫なで声で呼びつけたお父さんは、自身のライフワークだったいわゆる「極め食い」の勝負を、
「べつに勝ち負けじゃないが――まあ、きみの人となりを、親として、みてみたいのでね」
 といきなり申し込むと、当時食べ放題のキャンペーンをやっていた「マツケイボロネーゼ」を要所要所で雄叫びをあげつつ二十八杯もたいらげたようで、
「試合前はカズくんも『とりあえずきょうは、十杯食べて、お父さんに誠意をみせるよ!』って意気込んでたんだけど、四杯ちょっとで鬱血みたいになっちゃって……」
 という結果だったカズくんは、その後徐々に電話もよこさなくなって、お父さんがちがう食べ物で再試合をもちかけると、すぐどこかへ夜逃げしてしまったらしいのだけれど、しかし娘に責められたお父さんは懺悔の意味も込めてこれ以降、医者にいわれても無視しつづけていた「極め食い」をきっぱりやめてくれて、健康状態で冷や冷やし通しだったお母さんもだからこの夜逃げ破談を逆に喜んでいたくらいだったのだが、先月、大好きだったスーちゃんが夭折したことにより、お父さんはまた「極め食い」という悪行を復活させてしまったわけだから、皆見家は現在、娘さんがあんなチャーハンをつくってしまうほど途方に暮れていて、そんなわけで、さっきまでスケベ本能を成就させたくて、これまでの奉仕活動の実績を窓枠に足をかけ、西日にお目目をきらつかせてアピールしていたこのぼくも、
「ももも、もちろんもちろん、なんとか解決しますよしますよ……しかし、どうすればいいかな――奉仕課の話をしてモテようとしたことが、完全に裏目に出てしまっている……」
 と途方に暮れることになっていたのである。
 マミーさまに依頼されたこれまでの奉仕活動の詳細を知ったダイアンさんは、マミーさまをほとんど宇宙人のように捉えていたが、
「いやいや、あんがいそういう感じでもなくてね……」
 とわざわざ訂正したのは義理でもなんでもなく、じっさいにマミーさまには立派なところもたくさんあるからで、たとえばマミーさまは、ファミコンだとかワープロ専用機だとか、そういうなかば淘汰されたものたちに救いの手ややさしい眼差しを必要以上に向けておられるし、それから、うらぶれた商店街や活躍の場を失った技術者たちにも、なにかしらのチャンスを、非定期にではあるが、あたえている。
 オムライスグループの社員旅行や改善大学校の各行事のさい起用されている厚川カメラマンはA地区の旧商店街で長年〈厚川写真〉という自営のご商売をされている方なのだが、近年デジカメだとかプリントゴッコだとかそういう機材が進化したために、なんか黒い布が付いている箱みたいなので、
「はい、撮りますよ」
 と頑固にやりつづけていた厚川さんはいつしか安普請の建売に住んでいるくらいで貴婦人気取りになっていやがる界隈のつまらない奥様たちなどにも、
「色、古、みたいな。パッ、みたいな」
 と敬遠されるようになっていた。
 それでも、元気だったころのお袋がいうには、
「あそこには裕福な家しか頼めなかったのよ」
 ということらしく、つまり、かつての厚川さんはテクノロジーや富の象徴のような存在だったみたいなのだが、厚川さんが好んでいるアグファなんとかっていう昔のフィルムも、たしか五十ミリのワイドじゃない旧テレビサイズの画面も、じつのところ、身内にすら評判はかんばしくなくて、おこりんぼうさん学部の原田くんなども、いつだったか、
「あんな低い位置に固定して遠目から撮ってたんじゃ、騎馬戦の臨場感が出ねぇや」
 と遠慮のない感想を述べていた。
 幕臣たちが画策した例の偽善映画を、
「相当時間に余裕があるらしい、という見地から、脚本ならびに監督を、倉間殿に任せることにした。なにしろプロにたのむと、おおごとになってしまうのでな。よろしいですな?」
 とおっつけられていたぼくは、この厚川さんに、
「そうなったあかつきには、ぜひ撮影のほう、おねがいします」
 といちおう事前にたのんでおいたのだが、ご存じのように、その後幕臣はパソコンが使えることを図書館のレファレンスさんにくり返し自慢するほどの転向をしていたので、監督が指示した超ローアングル用の三脚まで入念に手入れして待ってくれていた厚川さんにも、
「――というわけなんです。申し訳ありません」
「そうですか……それは残念でしたね、倉間監督……」
 とけっきょくぼくはお茶菓子を持って行ったのだった。
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