第19話

文字数 2,923文字


      その十九

「かれは、あいかわらずだなぁ」
 と苦笑しつつ原田くんがすわっていた椅子に腰かけた男の事務員さんは、
「あっ、それは……」
 とぼくのTシャツに興味をもってきたので、バトルフィーバーJの「ミス・アメリカ」に倣ってヘルメットのうえに金髪のかつらを装着した、五人のなかではいちばん不人気のクロスピンクのことをともかく説明した。
「うーん、バトルフィーバーJは観てないなぁ……わたしの世代だとやっぱりゴレンジャーになるんですよね――そういえばバーディーをつかって空を飛んでいるミドレンジャーのパジャマ、よく着てたな」
「好きだったんですか?」
「ええ。ゴレンジャーが放映されてたとき、わたしは小学一年生とか二年生とか、それくらいでしたからね、買ってもらってた雑誌の付録にゴレンジャーのシールがあると、ものすごくうれしかったのを、おぼえてますよ」
「ああ、ぼくも家の柱なんかに、バトルフィーバーのシールとか賀川雪絵ちゃんのシールとかを貼りまくってましたよ」
「うんうん。わたしも自分専用のタンスに、ペタペタ貼ってましたね。そのタンスのうえに乗って『バーディー!』って、ミドレンジャーのようにジャンプして、よく母親にしかられたなぁ」
 男の事務員さんが「付録のシール」といった時点で、
「むむ、英光ご老公の畑に不法投棄されてあった子ども用タンスには、ゴレンジャーのシールが猛烈に貼られてあったな」
 と思いだしていたぼくは、先のように自分のシール関連のエピソードをなにげなく披露して、相手の出方をまずはうかがったのだけれど、男の事務員さんが事実上口をすべらせた“自分専用のタンス”というのは、おそらくいくぶん小さいもののはずで、もちろんそのことを、
「じじじ自分、自分専用って、引き出しのところに、こんなクマの絵が入ってるやつですか? タンスの大きさはだいたいこれくらいでしょ? だからうえに乗ってバーディーもできたんでしょ? でしょでしょ?」
 と目の色を変えてたずねると、迂闊な相手でもやはり警戒してくるだろうから、あえてこの場ではそちらの確認は取らなかったわけだが、
「『サンバルカン』が放映されていたころは、ちょうど、消しゴムのカスをあつめてましてね。兄貴が消しカスを分けてくれたときには、なんて気前のいい兄貴なんだって、思いましたよ。あの当時、もし相続の交渉があったら、ぼくは消しカスという取り分だけで、あとは兄貴にぜんぶ譲ってたでしょうね」
 とまたぞろカマをかけると、
「おもしろいなぁ、倉間さんは。だけど、わたしもあつめてましたよ。消しカスも、それからこんなちっちゃくした鉛筆もね。友だちと競い合ってましてね」
 と男の事務員さんはさらに口をすべらすことになっていたので、きょうのところはもう収穫じゅうぶんだと思ったぼくは、これ以上長居していると、
「倉間さん、なにが『しめしめ』なんですか? いっときますけど、この食券はあげませんよ」
 とこちらのほうが逆に口をすべらすことにもなりかねないので、残りのアイスミルクティーをグイッと一息に飲んだのちにとにかくこの食堂を、
「♪ ズンズン、チャーカ、ズンズン、チャッ」
 とすみやかに出ることにした。
 さっき原田くんと歩いてきた廊下をズンズンチャーカのリズムでもどっていると、
「あっ、いたいた」
 とダイアンさんにうしろから呼び止められたのだが、香菜ちゃんの肩を抱くようにしていたダイアンさんは講義を実質サボっていたこの臨時講師に注意をあたえるためにあちこちを捜していたのではなく、
「香菜ちゃん、胃が痛くなっちゃったから、早退することになったの。だから、送っていってほしいんだけど、いい?」
 という用があって、どうもそうしていたらしくて、こういうことにかこつけてダイアンさんのほうのおなかを撫で撫でする、という神業の習得は永遠の課題だなと思いつつ事情をよくうかがってみると、なんでも香菜ちゃんはいつも軽自動車で通学しているとのことだったので、
「たしかに胃が痛いんじゃ、運転はちょっとあぶないね。ましてや急に激痛が走るっていうんじゃね」
 とぼくは香菜ちゃんの三菱ミニカを運転してあげることにした。
「もう重複してるダイアンさんの講義ないよね」
「うん」
「じゃあオレ、このまま帰るよ」
「わかりました」
 ミニカを運転しながら、
「胃、だいじょうぶかい」
 とたずねると、香菜ちゃんは、
「はい。さっきは『やさしい悪魔』の衣装を手わたされたので、急にキューッとなっちゃったんです」
 とおなかを撫でながらこたえていたけれど、
「その紙袋に入ってるのが、そうなのかい」
「ええ」
 という教材(?)はさらに説明をきいてみると、なんでも恥学の希望者のみが私服にするのを条件に私物にできるとのことだったので、すくなくとも香菜ちゃんには恥ずかしがりやさんを改善しようという意志は相当あるようだった。
 講師が夢想しているデビルポーズ以上に難易度の高いポーズのほうも受け入れる意志が相当あるようだったので、
「偉い!」
 とともかくほめてみると、香菜ちゃんは、
「だって、今月から、倉間さんたちのアシスタントになったんだもん。もっと改善していかなくちゃ」
 というようなこともなにげにいっていたので、こちらは、
「わっ、ひさしぶりにまちがえた!」
 と右折の合図を出すときにおもわずワイパーのほうを最高速度で作動させてしまったのだが、アシスタント問題はいつだったか、山城さんだか吉野さんだかに提案されたような気もするので、ファミスタ歴等の質問などはせずに、
「オレたちの課はバスツアーのチケットとか、たまにもらえるよ」
 とそのあとはわれわれの仲間というのを前提として、もうおしゃべりしていることになっていた。
 香菜ちゃんちの駐車スペースにミニカを停めると、施設から連絡を受けていたらしい香菜ちゃんのお母さまがすぐおもてに出てきてくれたが、
「わざわざすみません。ちょっとあがって、お茶でも飲んで休んでください」
 といってくださったお母さまに、
「ああ、そうですか! じゃ、せっかくですから、いただきます。あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは」
 と元気いっぱいにこたえていたのは、要は香菜ちゃんのお母さまが秋田で遭遇したあの後家さんに匹敵するほど色が白くてつるつるのお肌だったからで、もちろんお母さまのお肌が白くてつるつるでも、こちらのスケベ中枢に壮大なスケールではたらきかけてくるものがなかったら、これほどのすばやい反応はきっと示さなかっただろうけれど、しかし通していただいた応接間のラックにあった『ノーパン美容法』という本にたいしてもおなじようにすばやく反応してしまうと、
「香菜は倉間さんのことを『改善させるために執拗に撫で撫でしてくれて、ほんとうにやさしい人なのよ』って、いつもいってるんですよ」
 という人格者としてのぼくの評判に傷がついてしまうおそれもあったので、その本への反応はお母さまがキッチンにさがっているあいだにさりげなく素敵にパラパラやっている程度に抑えておいたのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み