第25話

文字数 3,963文字


      その二十五

 けっきょくその晩の山城さんはいわゆる“説得”に失敗したらしく、朝飯のサンドイッチをつくっていると、
「わたしが『英光ご老公は、きちんと手をついてあやまれば許してくれるから、だいじょうぶですよ』って、何度もいってんのに、あの野郎、ずっとしらばっくれていやがるんですよ」
 と電話で報告してきたのだが、こういう根くらべのような戦いをあちらさんが挑んできているのであれば、こちらも非情になって、子ども用タンスの写真を持って、市内全域を現在走り回っているデミグラスソースをいよいよ投入すればいいわけだし、最後は根負けしてしまった山城さんも、
「あいつだったら……」
 とやはりおなじことをかんがえているみたいだったので、
「監督の指示だって、いっちゃっていいですよ」
 とこたえたぼくは、朝食をすますと、まず、
「あっ、きょうは、不燃ごみの日だったな」
 とほとんど酒類のビンやら缶やらを指定の場所に出しにいくことにして、すると母屋のほうから、すみれクンも台車をひいてビン缶ペットボトルを出しにきた。
「うわー、倉間さん、ひとりなのに、母屋よりビン多い」
「うん。あっちはほら、兄貴なんかもあまり酒は飲まないしね。大好物のカニ缶だって、野郎はいい子ちゃんだから、月に何個までって、なんか決めてるみたいだしさ。ん? いやぁ、まえ、シーチキン缶のことでお説教されたことあるんだよ」
 この界隈には通称「あさりちゃん」という出されてある家庭ごみを気まぐれにがさごそあさる老婆がいて、お袋がかつていっていたところではこの老婆は年金なんかもけっこうもらっているみたいなので、ほんとうはごみをあさる必然性はまったくないはずなのだけれど、何年かまえ、父母ともたいへん教育熱心な家庭の少年が、ポテトチップスの袋のなかにたばこの空き箱をしのばせていて、それがこのあさりちゃんによって、表沙汰になってしまったことがあって、
「最近はあさってないみたいだけど、でもわすれたころ、いきなりやりだすからね。まあ、めんどうかもしれないけれど、重要書類とかは、やっぱりきちんとシュレッダーにかけてから捨てたほうがいいね。母屋にあたらしいのあるから、それつかいな」
 とだからすみれクンにこう助言すると、
「そうなんですってねぇ。でもなんで、あさってるんだろ?」
 ともうこの注意事項はつぐみさんからきいているようだった。
 歴代の居候者たちもおおむねそこで寝起きしていた一階の昔風の洋間(?)をやはり自室としたらしいすみれクンは、
「あのエッシャーのだまし絵、本物なんですか?」
 ともいっていたのだが、きょうは昼の部の舞台に出るというすみれクンは、あまりのんびりもしていられないらしくて、このあとはすぐ、また台車をひいて母屋にもどってしまった。
 うしろから、
「おはようございます」
 と声をかけてきたさおりさんは、きのうあげたモロコの煮つけとスジコのお礼をいっていて、
「あれ、もらい物なんですよ。ひとりじゃ、食べきれないかな」
「いいえ。ゆうべは主人も降りてきていたものですから――」
 というのはぼくも気づいていて、さおりさんはこちらが消灯して布団でどうにか眠ろうとしているころ、となりの部屋で他界されたご主人の名前を何度も呼びながら、ご主人と激しく交わっていたのだけれど、さおりさんは、まだ残っているモロコの煮つけはあさってまたご主人が降りてきたときに酒の肴にするうんぬんともいっていたので、
「ここんところ、よく降りてきますね、旦那さん」
「ええ。とくに夏は小股の切れ上がったわたしが欲しいみたいで――」
 と宣言していたように、近日中にまたぞろ激しく交わるはずで、ぼくは、ただでさえすぐには眠れないたちだから、こうひんぱんに旦那さんが降臨なされてくると、さらに深夜まで悶々としてしまって翌日睡眠不足でちょっときついといえばきついのだが、その睡眠不足の影響が出始める午後一時ごろ、日傘をさして、
「ごめんください」
 とたずねてきた香菜ちゃんのお母さまは、寝付けないどころか、夜明けまでお目目が爛々としてしまうような包みをこの日は持参してきていて、お母さまは、
「わたし、倉間先生に頼まれたことを、母親としてきちんと務めるために、これを先生に捧げたいと思いまして」
 とご自身のパンツが詰め込まれてある贈り物用石けんの空き箱を風呂敷をほどいてさしだしてきたのだった。
「どうぞ、お手にとってみてください」
「はあ」
「ご遠慮なさらないで、その純白のも、さあ」
「は、はあ」
「わたしも人妻ですから、ノーパンになってる証拠をまさか先生にみせるわけにもまいりませんでしょ。ですから、これで、わたしが務めをはたしていると、信じていただきたいんです。信じていただけるかしら?」
「は、はい。ちなみに、いま現在は……」
「ええ。キャミワンピのなかはスースーしてます」
 お母さまはパンツの受け渡しを公的なものにするために、きちんと譲渡証明書(?)のようなものを書いてきてくれていて、文の最後には「小嶋あさ美」と署名捺印されていたので、
「あさ美さん」
 とためしに呼んでみると、やはりお母さまは、
「は、はい」
 といきなり名前を呼ばれたためか、あるいはすごいふりふりのついたやつをお手にとられていたためか、とにかく若干動揺している表情をみせていたのだが、あさ美さんが日傘をさして帰ったあと、
「ややややややややややあ、よよよよよよよようこそ」
 と動揺しながら和貴子さんを招き入れたのは、チャイムを押されるまで、ふりふりのやつとそれから黒のすごい角度のやつをまだお手にとっていたからで、急いでパンツを隠したぼくは、
「いま一軒、お着物を届けてきましたの。きょうはまだもう一軒あるんですが、その家は午後五時って、指定してきてるんで、しばらく時間があるんです」
 といっていた和貴子さんのさっそくのおねだりも最初はよく理解できないほどじつはあたふたしていたのだけれど、
「うしろから手をまわして和貴子のからだを洗いながら、和貴子の耳もとにたくさんいやらしいことを、おっしゃってください」
 というのは、もうこのまえからたのまれていたことで、風呂場にて、ていねいにそれをおこなうと、最終的にはこちらのからだも自主的に洗ってくれていた和貴子さんは、
「あっ、そろそろ四時になるわ」
 とまた仕事にもどっていたので、短いインターバルをはさんで二度ほどしっかり泡立ててもらっていたぼくは、今度は冷静な気持ちで、
「川上さんに選んでもらったポケモンの下着なら新品だから、なんとでも言い訳ができるけれど、あさ美さんのパンツは、たいせつにしまっておくと、誤解されるおそれもあるから、どうにか処分しなくちゃな……」
 と長考していて、しかし、ごみの日に出すといっても「あさりちゃん」のがさごそが心配だったし、ハサミで細かくしたとしても、逆にパッチワーク作品みたいに仕立て直して堂々と部屋に飾ってしまいそうだったので、けっきょく処分の方法は決まらなかったのであった。
 五時過ぎに送信してきた山城さんのメールによると、つい先ほどデミグラスソースが男の事務員さん宅に乗り込んで行ったらしく、ということは男の事務員さんが不法投棄したことを認めるのも、いよいよ時間の問題になったわけだが、Kの森テレビの新番組『びっくりKの森新記録』が終わって、きょうは八時から放送の『どこまでも生討論』が始まってもまだ山城さんからの吉報は送られてこなくて、例のジャーナリスト氏がパネラーのひとりに、
「あなた、料理研究家なんて肩書で最近よく出てるけど、このまえ『反抗期』の紙上に載せてたカリカリ男爵コロッケ、あれは〈がぶりえる、がぶりえる!〉のお惣菜コーナーで買ってきたものじゃないか!」
 と噛みついていたころ、山城さんがやっと電話をかけてきたのだが、しかしそれは、
「倉間さんのほうに、デミグラスソースからの報告、来てませんか?」
 と逆にたずねてくるもので、なにげにデミグラスソースも説得に苦戦しているみたいだった。
 Kの森総合公園の多目的広場は中森市長の公約通りに現在は市民が自由に屋台などを出せるスペースになっていて、普段そこでクレープ屋をやっている料理研究家はさらにジャーナリストさんに、
「今度の『Kの森祭り』では、あなたの屋台はいちばんいい位置に出せるそうですね。たいへん結構なことで。ところで、あなたは先日、多目的広場に立ち寄った中森市長にイチゴクレープとバニラクレープを手わたしました。わたしがあるルートから得た情報によりますと、このときあなたは代金を受け取っていません。つまりあなたはワイロとしてクレープをわたした! だから、あなたはいちばんいい位置に屋台を出せるんです! ちがいますか?」
 と厳しく追及されていたけれど、守重内府が送り込んだ学生ふうの間者が、
「ぼくはジャーナリストの鶴田氏が〈がぶりえる、がぶりえる!〉の試食コーナーで、カリカリ男爵コロッケを、お口をほぐほぐさせながら何個も食べていたという情報を、あるルートから得ていますよ!」
 と客席からさけんだことにより、場内は一転なごやかな雰囲気に変わっていて、オムライスファミリーの息がかかっているベテランの司会者も、
「はい、CM! ん? あっ、まだダメなの?」
 といったのちに視聴者がおそらくいちばんたのしみにしている夜食用の出前を、
「もしもし、俺だけど、みそコーンバターの太麺に半チャー。それから、うーん、きょうはジャンボシューマイにしとくか」
 と贔屓にしている〈カロリー軒〉から早めに取って、ジャーナリスト氏の関心をも「半チャーなのにジャンシューかよ……」と惹きつけて、ワイロ疑惑を根こそぎふき飛ばしていた。
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