第18話

文字数 3,104文字


      その十八

 民吾氏は北川たか子さんを捜すためにしばらくK市に留まることにしたらしく、さっきどこかへ出るさいに、
「すみませんが、そのあいだ、ライトバンをこちらに駐車させてください」
 と母屋のつぐみさんにも了承を得に来たとのことだったが、お昼ちょっとまえに帰ってきた姪っ子と、
「智美はもう夏休みかぁ」
 などとそうめんを食べてまた自室にもどると、ちょうどアパート裏の路地にダイアンさんの新しい日産モコが入ってきて、
「やあ」
 とだからミラーに映るようにてきとうに手を振ると、クルマを降りたダイアンさんも、
「わあ、おもてはやっぱり熱い」
 といいながらハンカチを振ってきた。
「どうでしたか、臨時講師は。順調かい?」
「うん。そのことで、きょう来たの」
 キャンディーズの振付をほとんど体得しているダイアンさんは今月から例の改善大学校で恥ずかしがりやさん学部の生徒にその振付を仕込んでいて、だから恥学に所属しているあの香菜ちゃんも、ダイアンさんの指導を受けながら『春一番』のひじ鉄や『やさしい悪魔』のデビルポーズなんかをきっと毎日決めているのだろうが、なまけものさん学部で毛玉取りの手順を教えていたある講師が「ミイラ取りがミイラになる」といった感じで、いつのまにか生徒以上の怠け者になっていたことから今週のダイアンさんは怠学のほうの教壇にも立たなければならなくなっているのだそうで、
「講義が重複している時間だけでいいから、キャンディーズの振付を、どっちかの生徒に教えてほしいの」
 とダイアンさんは、きょうの講義のお手伝いをぼくにもとめてきたのだった。
「いま、どこまで教えたの?」
「とくに、年代順に教えてるわけじゃないんだけど、きのうはとりあえず『アン・ドゥ・トロワ』を集中的にやったの」
「ああ『アン・ドゥ・トロワ』はね、右手を差し出すとき、肩から出すイメージでやるといいんだよ」
「こういうふうに?」
「うん、そうそう。こ、こうね」
「倉間さんのほうがわたしよりくわしいんだから、手伝って」
「じゃあ、手伝うか。そもそもマミーさまにダイアンさんのことを推薦したのは、おれだからな」
 このところのマミーさまは、ファミスタの試合もほとんどおこなわないほど多忙な日々を過ごしていて、ピグモンのぬいぐるみの紛失も、さらには玄米くんの大躍進も、
「人気出てきたの。あっ、そう」
 とほとんど関心をもっていないわけだが、真っ赤なスーツをカチッと着たマミーさまがじきじきに接待しているIBCの会長というのは、幕臣たちが力説するにはなんでも健康ビジネスを牛耳っている超大物とわれわれオムライスグループとの橋渡しになってくれる重要な人物なのだそうで、
「IBCって、なんですか?」
 とある会議の後にきくと、幕臣のひとりは、
「それは、国際ぶら下がり委員会ですぞよ、倉間殿」
 とこたえたり、またちがう幕臣は、
「おお、ミスタークラマ、それは、インターナショナル・バーベキュー・コミッティー、の、こと、でーす」
 と英語がペラペラの人みたいな発音と身振りでいってきたりしていたので、
「さまざまな方面にさまざまな人間がいる。接待の方法もさまざま。ディファレント・ストロークス・フォー・ディファレント・フォークス!」
 と両手を広げていた発音の良いその幕臣にたいしては、
「じつに、じつにね。三十前後の松尾嘉代が好きな人もいる。四十前後の松尾嘉代が好きな人もいる。鰐淵晴子が好きな人もいる。五十手前の松尾嘉代が好きな人もいる。人さまざま。カネボウ・フォー・ビューテホー・ヒューマンライフ!」
 とこちらの発音も負けずに披露して、いちおう威嚇しておいたのだけれど、とにかくマミーさまはそちらのほうにかかりきりで、臨時講師の選抜のときでも、
「じゃあ、そのダイアンさんて子で、いいんじゃない」
 とじつにあっさり採用していたわけで、だからなまけものさん学部妄想科の生徒にキャンディーズの振付を伝授するという危なっかしいプログラムも、チェック機関が事実上機能を停止しているので、このように組まれてしまっているのだろう。
 モコの助手席に乗って大学校まで行くと、さっそくぼくはジャンケンでそう決まった怠学のほうの教室にガラガラァっと入って行ったのだが、ぜんたい的にゴロゴロしていた生徒のなかには数名ではあるが、
「ラン、泣かないでよ。わたしたちには、あしたがあるじゃない」
「そうよ、ラン。世界のキャンディーズになるまで、涙は禁物よ!」
「さあ、ラン。わらって」
「う、うん」
 ともうキャンディーの症状がやや出てきている者もあったので、いま振付を教えると、火に油を注ぐことになると判断したぼくは、けっきょくこの時間は大事をとって、
「でも『♪ ズンズン、チャーカ、ズンズン、チャッ!』のリズムに昂揚して、外出とかしちゃだめだよ」
 と注意したのちに自由時間とすることにした。
 それで「資料をどうのこうの」だとかともぐもぐつぶやきつつ教室を出ると、おこりんぼうさん学部の原田くんがいつものように講義をサボって廊下を大股で歩いていたので、ぼくはかれを誘って食堂でとりあえずお茶でも飲むことにしたのだが、
「栗塚さんは、まだ〈はしばや旅館〉にいるんだぜ。たいくつだろうなぁ」
 と原田くんがいってきたのは、怒学の栗塚くんがマミーさまにたのまれて、幽霊が出るといううわさで困っている旅館のその部屋に二ヶ月以上も屯営しつづけているからで、剣術の道場を栗塚くんの代わりに仕切っている原田くんは、
「このあいだ手紙が来たんだけどもね、幽霊なんて、ちっとも出てこないって、書いてあったよ」
 とまたぞろ大きなあくびをしていたけれど、幽霊のほうもきっと栗塚くんの殺気に恐れをなして出てこれないんだろう、とぼくがいうと、
「道場の奴らもそういってますぜ」
 と原田くんもわらっていて、それから栗塚さんが帰ってきたら、いよいよおれたちは守衛組織を立ち上げることになるんだ、と目を輝かせていた。
「マミーのばあさんも、援助してくれるって、いってんだよ、倉間さん」
「シッ! ばあさんなんて、禁句だぞ、原田くん」
「あっ、これはいけねぇ」
 栗塚くんが理想としているのは、かんたんにいえばあの幕末の新選組のような組織らしく、大幹部という地位を約束されている原田くんとはなんでも、
「そういえば、組の名前は倉間さんにつけてもらうって、栗塚さん、いってましたぜ」
 という話もぽつぽつしているみたいだったが、
「そういう新選組みたいなのをやるんなら、例のほら、水色のだんだらっていうのかい、近藤とか土方とか、みんな着てるあれ――おれはああいうの着てえなぁ」
 と想いをはせていたいわゆるだんだら羽織だったら、和貴子さんが勤めている呉服店に注文すれば、またぼくの男振りもあがるわけだから、原田くんに、
「じゃあおれ、知ってる店あるから、マミーさまに提案して、あつらえてもらうよ」
 とこたえていたぼくは、命名のほうも、
「わかった」
 と冷たいミルクティーをカラカラさせながら軽く引き受けていて、原田くんは男の事務員さんにみつかって、
「倉間さん、じゃあ、失礼するよ」
 とこの後、どこかへ走り去って行ったのだけれど、かわいく首をかしげてかんがえてみると、マミーさまがこまめに恩を売っている金持ち連のなかには、ああいうあらくれさんたちの派遣をありがたがる者もけっこういるだろうから、
「うんうん。バーディー!」
 奉仕活動を押しつけられているぼくたちにとっても、ひいてはオムライスぜんたいにとっても、この栗塚くんの部隊はあんがいたのもしい存在になってくれるかもしれない。
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