第12話

文字数 3,058文字


      その十二

 小股の切れ上がったさおりさんは、一時間ほどお給仕をしてくれると、
「主人の霊がそろそろ降りて来ますので――」
 とやがて隣の自室にもどっていったが、掃除機をかけたり、『聖子のおねだり』をまたぞろ熟読したりしていると、
「ごめんくださーい」
 と今度はダイアンさんがチャイムを鳴らしてきた。
「倉間さん、いま三時ですよね?」
「うん、そうだよ――午後三時十五分」
「さっき市内放送で『市民のみなさま、おはようごさいます!』って、流れてたから、ちょっとキョロキョロしちゃった」
「ここんとこ、ずっと調子わるいんだよ、あれ」
 つぎの市長選はたいへん厳しいといわれている中森市長は、それを打開するために朝の七時だとか夕方の五時だとかに時報代わりとして自身が力強く録音したいわゆる“ごあいさつ”を流しているのだが、先月は午前八時ごろに、
「お子たちよ! どうか、すこやかに、帰宅してほしい!」
 と市内放送で流してしまって『反抗期』という雑誌によく記事を書いているジャーナリストにかなりしつこく追及されていたし、同月の午後一時に、
「市民のみなさま、きょうもわたしは、全力で、はたらいた! おやすみなさい!」
 と流してしまったときも、やはりその天敵ジャーナリスト氏に、
「市長はそんな時間から、もう寝ていらっしゃるんですか!」
 と地元のラジオ局の番組を通して嫌味をいわれていた。
 市長は健康や若さをアピールするために、
「市民のみなさま、わたしは、朝から、ほんとうにビンビンだ! もちろんたまには、ふにゃビンのときもある! しかし、たいていは、ビンビンだ!」
 という台詞のごあいさつも酔った勢いで録音していて、これは泥酔状態でこのプロジェクトを企ててしまったぼくと内府とで後日説得してなんとかお蔵入りにしたのだけれど、
「悪酔いはしないんですか――だったらわたしもそのお酒、飲んでみたいなぁ」
 とこのエピソードをきいてわらっていたダイアンさんはさっき例のキャンディー狂のお父さんとひさしぶりに連絡を取ったのだそうで、これまでもお父さんは自分の弟などに「おれは世捨て人なんだぜ!」と大見得を切っているにもかかわらず、ダイアンさんの携帯で電話をかけると、
「もしもし、あっ、好子!」
 と応答することは、ときどきあったらしい。
 ダイアンさんはお父さんに、キャンディー的教養のある男の人ときのうお料理教室で知り合ったうんぬんとしゃべったらしく、すると、
「『どれがいいかしら』の振付を知ってるなんて、感心な青年だなぁ」
 などとお父さんはぼくのことをどうもほめてくれたみたいだったが、ダイアンさんがさらに奉仕課のことやデビルポーズのぼくの熟練具合を報告すると、
「キャンディーズより太田裕美のほうが順位が上っていうのがすこし引っかかるけど、しかし好子が気に入ったんなら――うん! お父さんが、親として、その青年の人となりをみてもいいぞ」
 とお父さんは放浪を中断して、わざわざこちらにお越しになる気になってしまわれたのだそうで、なんでもK市のC地区にあるバイキング形式のレストランで人となりをみる、という方向ですでにスケジュールやコンディションを調整しているらしい。
「あしたか、あさってだって、父はいってるんですけど」
「あしたもあさっても嫌だけど、まあ、あ、あ、あさって、あさってにしますよ……」
 お父さんとバイキングレストランの経営者とは、新キャン連で活動していたころからたいへん親しくしているとのことで、午後の二時から五時までの三時間なら店を貸し切りにもしていただけるそうだったが、
「あっ、もしもし、お父さん。わたし、好子。うん、あのね、やっぱりあさってがいいって。うん、うん、わかった、エチケット袋持参ね、はい。ん? 特大のエチケット袋ね、はい、伝えとくね、じゃあね、バイバイ」
 ともはや賽は投げられてしまったのだから、太りやすい体質なんだとかといまさらいっても始まらないわけで、ぼくは、
「いいカッコしたのちに、ナニしようなんて、夢想してるから、こうなるんだよな……」
 などと自身にゲンコしつつも〈ビッケ〉というそのレストランのかんたんな地図を、この日も案の定猛烈にスケベ中枢を刺激されていたがために、ダイアンさんに描いてもらったのだった。
「倉間さん、お父さんに勝って、極め食いを引退するように、説得してくださいね」
 とダイアンさんが帰ったあとは、その極め食いに備えてとにかくすこしでも体重を落としておこうと思って、ぼくはいちばんアップダウンのはげしい「マコンドコース」を走ることにしたのだが、〈ホテル・マコンド〉を通過して、いよいよ坂道が遠目にみえてくる地点にさしかかると、二つ先の交差点から勢いよく曲がってきたデミグラスソースが全力疾走で今度はこちらに向かってきて、一瞬パニックになったぼくはそれでも反射的にもよりの銅像になりすまして、あらぬ方向を指さしていたのだけれど、ほかでもないこのぼくの似顔絵を手に持って聞き込み調査をしていたデミグラスソースにそんなことはまったく通用しなくて、
「あっ、監督!」
 とけっきょくぼくはかれにかんたんにみつかってしまったのだった。
「午前中にスーパーをしらみつぶしに調べて、安いデミグラスソースはもう大量に確保しましたよ!」
「おお、そうか」
「それで監督、クランク・インはいつなんですか?」
「それはあさってだ! デミグラスソース」
「あさって! 撮影現場は?」
「バイキング形式でお食事がたのしめるC地区の〈ビッケ〉というレストランだ!」
「ビッケ!」
「知ってるか?」
「いえ。知りません」
「バカヤロー! デミグラスソース! おまえ、それでもデカか!」
「すいません、ボス」
 撮影するシーンをざっと説明すると、デミグラスソースは、
「監督、そのとき『ジーパンのテーマ』を大音量で流してもらえませんかね? おれ、それ聴きながらさっき走ったんですけど、自分ちから〈マツザカケイコ〉まで十九分三十二秒っていうタイムが出たんです! 自己最高記録なんスよ! だから、本番も、あれ聴きながらだったら、おれ、相当食えると思うんです!」
 と熱く要望してきたけれど、
「『ジーパンのテーマ』って、『♪ ゴリさーん、走るー、すべるー』ってやつか?」
「いえ、ちがいます。それは『太陽にほえろ! メインテーマ』です。ジーパンのテーマは『♪ たたたーーーーー。たたたーーーーー。たたた、たたァたった、たたた、たたァたった、たたたっ、たっ、たたったァー』ですよ!」
「あっ、そっちかそっちか! わかった、なんとかするよ」
 とそれを了承すると、デミグラスソースは、また、
「♪ たたたーーーーー」
 と口ずさみながらたぶん〈ビッケ〉を探しに走り去ってくれることになっていたので、ホッとひと息ついたぼくは、つぎに〈厚川写真〉に出向くことにし、厚川カメラマンにもあさってのことをしっかりたのんでおいたのである。
「どういう感じで撮りますか?」
「そうですねぇ――〈ビッケ〉自体まだ見てないんで、はっきりしたことはいえないんですけど、大雑把にいうとまず店の看板をしばらく映して、つぎに飾ってある花瓶なんかをしばらく映して、そのあと調理場に赤いやかんがあったらそれをしばらく映して、で、いよいよふたりが対戦するテーブルをローアングルでしばらく映す、という運びになると思います」
「移動撮影はしますか?」
「移動はいっさいなしで、極め食いしてる最中もずっと固定で撮りましょう」
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