第8話

文字数 3,173文字


      その八

 たとえ居留守を行使しても、パチーノくんは各ジョギングコースに待ち伏せしている可能性もじゅうぶんあるので、ぼくは念のためにしばらく運動は〈三途の川〉のスポーツジムのみでおこなうことにしたのだが、そういう事情で時間割りを若干組み替えて、朝から母屋でスマイリイ・オハラの研究をすることになったこの日は、
「哲山くん、スパゲティー食べる?」
 と呼んでくれた義姉とお昼を食べたほかは三時過ぎまで書斎にこもっていて、
「センチメンタルなんだ……」
 とだからその後ジムに移動してもぼくは悶々としながらトレッドミルなどをこなしていたのだけれど、
「シュークリームがなんだって、倉間くん」
 と声をかけてきた守重内府はなんでもきょうはあたらしい愛人さんのお付き合いでジムに来ているのだそうで、内府はその愛人さんに、
「ねえ」
 と手招きされると、からだを密着させながらやるストレッチ体操を、
「あはは、あはは!」
 と迫力ある声量でわらいつつおこなっていた。
 ところで、
「シュークリームが好きなんだな……」
 うんぬんとつぶやいていたのは、午後研究していた『聖子のおねだり』に関係することだったので、浴場に移行したのちのぼくは内府にそのことをともかく報告しておいたのだけれど、
「しかし、センチメンタルな女の子が、あんな肝の据わった女になるかね……」
 などと腕を組んでいた内府は滝湯を脳天に受けだすと、
「あっ、そうそう。玄米くんが『突撃、となりのお食事』の突撃レポーターに推薦してくれって、いってきてるんだけど、どうする?」
 ともきいてきて、まあいつごろからか、宴会ホールの総監督は発案者のわたくし倉間哲山ということになってしまっているので、先のようなことまでも内府はぼくにわざわざ確認を取ってきたのだろうけれど、かんがえてみれば玄米くんがステージに出る日は宴会ホールどころかカプセルルームもスポーツジムもすべて極端に客の入りがわるくて、内府もぼくもそれでしょっちゅう、
「今週は二回も玄米くん出ますよ」
「うーん、まいったなぁ……」
 とあたまをかかえているのだから、玄米くん自身が突撃レポーターをやりたいというのであれば、健康センターサイドとしても、オムライス本部としても、たいへん都合がいいことになる。
 オムライスグループはKの森テレビの『突撃、となりのお食事』という番組の冠スポンサーになっていて、これは偏った食事をしている家を訪問してはオムライス印の健康食品を薦める、といった趣の番組なのだけれど、約半年ほど突撃レポーターを務めた楠木さんという方はこのレポートから生じるストレスにより、先月とうとうドクターストップがかかっていて、ちなみに楠木さんの前のレポーターもこの仕事で体調をくずして、うわさでは南北ヨーロッパのどこかのサナトリウムで静養しているとのことなのだ。
 そのように二代続けて再起不能(?)にしているためだろう、さすがの幕臣たちも今回はかなり神経質になっていて、先日マミー邸でばったりそのひとりに会ったときも、オムオムバーガーの無料券を例によってこちらににぎらせながら、
「いまは総集編で時間を稼いでいるが、その……突撃レポーターの件、倉間殿の貫祿で、なんとか取り計らってくれぬだろうか?」
 と耳打ちしてきたほどなのだけれど、〈三途の川〉サイドから玄米くんを擁立してこの問題を落着させれば、幕臣たちも今後はマミーさまに毛嫌いされている内府の領地にも重きをもっと置くはずで、そうなれば、奇跡的に天地小巻ちゃんをみつけた場合の出演料等も、本部のほうから工面してくれる可能性が高くなるわけだ。
 玄米くんのエンターテイナーとしてのささやかな名誉のためにいっておくと、かれにもまったく支持者がないわけではなくて、たとえばつぐみさんの実姉の藤原かおるさんなんかは、
「あの子、おもしろいじゃない、哲山くん」
 とこの宴会ホールに寄るたびにいっている。
 しかし、森進一ファンのかおるさんにとってはそうかもしれないが、たった一人しかレパートリーがないかれのものまねショーにお客さんたちは「何回『こんばんは。森進一です』って、いってるんだろう」とすっかりたいくつしていて、もちろんこのままではいけないのはわかりきっているので総監督(?)のぼくも唯一できる「小森のおばちゃま」を最近かれに伝授してあげたりしたわけだけれど、いまだ稽古中のそのおばちゃまを苦し紛れに披露するよりも、あの番組の突撃レポーターに鞍替えしたほうが、なんというか、よっぽど手っとり早いはずで、だからぼくも内府も、
「かれも、あんがい、そういう嗅覚はもってるのかもしれないですね」
「正当な理由があるんだから、愛ちゃんも、なにもいわないだろうしな」
 とサウナ勝負もわすれて、くり返し盛りあがることになっていたのである。
 内府が気にしていた“愛ちゃん”というのは「愛子ちゃん一座」の座長さんのことで、美恋愛子さんは、これまで辛い旅回りをしてきたからだろうか、たとえば玄米くんみたいな人を降板させようとすると、
「だったら、わたしたちも出ないもん」
 と荷物をまとめるくらい、ある意味では仲間思いなのだけれど、ここ数年この〈三途の川〉を拠点としている座長はそういう舞台上の同僚だけでなく、たとえば旅先で知り合ったぼくなどにたいしても過剰に親切にしてくれるところがあって、愛子さんは宴会ホールでショーを細々とやりだしたころも、わずかばかりの出演料で『愛子ちゃんの愛嬌』という舞台劇を連日演じてくれたし、裏方さんの祝いの日などでも、かならず場を明るくするような若づくりで、感謝をあらわしている。
 劇の第二部が開けるまえに、
「倉間さん、しばらく」
 とわれわれの座に来てくれた今夜の愛子さんもまたぞろだれかを祝ったのだろう、たいへんな若づくりをしていて、うかがってみると、そのお召し物は、
「うん、つくしのこ幼稚園のと、まったくおなじなの」
 という水色のスモックおよび黄色い丸帽とたすき掛けカバンだったけれど、通常の四十二歳には到底許されないこんな格好も界隈の熱烈なファンにいわせると、
「あの少女趣味が逆に色っぽいんだよ」
 ということなのだそうで、たしかにあらためて観てみると、なにかしらスケベ中枢に強くはたらきかけてくるものがあるような気もしてくる。
 愛子ちゃん一座とは買い付けに行った先の旅館で知り合って、翌日、愛子さんにおしえてもらった骨董屋でずうっと探していた茶器を思いがけずみつけた祖父とぼくは、
「あの娘さんは運をもってる。哲山、付いていこう」
 とその後何日か一座と旅を共にしたのだけれど、愛子さんも合わせるとちょうど二十人いる現在のメンバーのうち、その当時から一座に属していたのは渡部さんという事実上愛子さんの世話係といっていい七十前後の男性だけで、あとのメンバーは、このK市に拠点をかまえてから加わった地元の子たちということになっている。
 今年から一座の一員になった伊藤すみれクンという娘は、学生のころから〈オムオムバーガー〉やこの健康センターでアルバイトをしていたくらいだから、新メンバーといってもぼくたちにとってはすっかりお馴染みの子なのだけれど、先日知り合った香菜ちゃんよりも、もっとむちむちしているすみれクンは、
「もうすぐ二十二歳になるのに、わたし、まだ、男を知らないんです」
「いいか、すみれ。酒の肴をチャチャッとつくる女は男にモテるぞ、おぼえときな、あはは、あはは!」
 ということから最近お料理に凝っていて、一度ぼくもすみれクンがこしらえた煮物を、
「なんだ、わざわざ、もってきてくれたのかい」
「はい」
 と味見したことがあるのだが、いますぐ男ができてもまったく心配ないくらい、その煮物は上手にできていた。
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