黒き矢

文字数 3,250文字

 ユーグが目を覚ますと、近くに姉の姿は無かった。ユーグは、代わりに姉の布団を抱き締め、目を細めて欠伸をする。
 欠伸を終えたユーグは起き上がって伸びをし、姉の布団を元の場所へ戻した。そして、部屋着を脱いで黒い服に着替えると、頭を掻きながら寝室を出る。その後、ユーグは眠そうに目を擦り、姉が居るであろう台所へ向かって行った。
 
 ユーグが台所に着いた時、姉はガス台の前に立ち、琥珀色のスープを掻き混ぜていた。一方、姉の姿を確認した者は朝の挨拶をなし、それを聞いたアンナは笑顔を浮かべる。
「お早う、ユーグ。花壇の水やりをお願いして良いかしら?」
 アンナの願いを聞いた者は小さく頷き、その仕草を見た姉は嬉しそうに目を細めた。
 
「ありがとう。じゃあ、よろしくね」
 姉は、そう言うと鍋の下を覗き込んで火力の調節をし、ユーグは静かに玄関の方へ向かって行く。ユーグが玄関に行くと、その下部から黒い封筒が投げ込まれていた。横に長い形をした封筒には朱色の蝋封がなされ、それを確認したユーグは軽く頬を膨らませる。
 
 蝋封の中心には十字架が描かれ、それには口を開いた蛇が絡みついていた。また、そこには蛇の頭部を貫く矢も描かれ、ユーグは黒い封筒を持ったまま家の外に出る。その後、ユーグは姉の言い付け通りに花壇の水やりをし、蝋封に刻まれた紋章を見つめながら台所へ戻った。
 ユーグは台所に戻ると姉へ声を掛け、アンナは声のした方に顔を向ける。この時、ユーグは封筒を胸の位置まで上げ、朱色の蝋封を指差していた。
 
「姉さん、ごめん。お見舞い、行けないや」
 ユーグは、そう伝えると頭を下げ、持っていた封筒を握りしめる。対するアンナは優しく微笑み、ユーグの頭を軽く叩いた。
 
「分かった。仕事なんだし、お見舞いは私に任せて行ってらっしゃい」
 アンナは、そう言うとコンロの火を止め、両手を広げて腰に当てる。
「じゃ、スープも出来たし、冷めないうちに食べましょうか」
 姉の台詞を聞いたユーグは無言で頷き、スープ用の皿を用意する。その後も二人は朝食の準備を進め、ユーグは準備が済むなり料理を食べ始めた。
 
 ユーグは、素早く朝食を終えると立ち上がり、開いた食器を片付ける。この時、姉はまだ食事中だったが、ユーグは構うこと無く玄関に向かっていった。
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
 アンナは、椅子に座ったまま言葉を発し、それを聞いたユーグは姉の方を振り返る。
 
「ん、行ってきます」
 ユーグは、そう返すと家を出、玄関のドアに背中を預けて封筒を開いた。そして、その中から一枚のカードを取り出すと、そこに書かれた内容を黙読する。
 
 書かれた内容を読み終えた時、ユーグは封筒の中から一本のマッチ棒を取り出した。そして、マッチの先端を家の外壁に擦り付けて点火すると、その炎でカードを燃やす。カードが半分程燃えた時、ユーグはそれを乾いた地面へ落とした。また、マッチの柄をカードの燃えている部分に落とし、それも一緒に燃やしていく。ユーグは、カードが全焼したところで燃え滓を靴底で踏み、土に練り込むようにして灰を砕いた。その後、ユーグはつま先を使って燃え滓に砂を掛け、見た目には分からないようにしてから歩き始める。
 
 家を出てから十数分後、ユーグは古い建物の裏口を見つめていた。ユーグは、周囲に人が居ないことを確認してから目を瞑り、所々削れている木製のドアを数回叩く。
「我、堕ちた者を、裁く。黒き矢の、一人」
 ユーグは、そう言うと空になった封筒をドアの隙間から差し込んだ。すると、その封筒は屋内から引っ張られ、ドアノブの下部からは金属の擦れ合う音が生じる。金属音を聞いたユーグはノブに手を掛け、それを静かに手前に引いた。ユーグは、屋内へ入ると素早くドアに鍵を掛け、目を瞑って息を吸い込む。この時、ユーグの入った屋内は酷く暗く、内側から解錠した者の顔すら判別出来ない程だった。
 
 ユーグは、それでも屋内を真っ直ぐに進み、突き当たったところに在るドアを引いた。ドアを開けた先には厚い布が掛けられており、ユーグはそれを避けるようにして進んでいく。
 ユーグが黒い布を避けて進むと、そこには薄暗い小部屋が在った。その部屋には、中心に使い古された机が置かれ、机から半歩程離れた位置に背もたれの無い椅子が置かれている。また、机の上には書類が置かれ、それには黒い布が掛けられていた。
 
「今回も、厚い」
 ユーグは、そう呟くと椅子を引き寄せて腰を下ろした。すると、部屋には新たに男性が入室し、それに気付いたユーグは男の方へ顔を向ける。
 
「酷いなあ。俺が一生懸命集めた情報なんだから、大事にしてよ」
 部屋に入った男性はそう言うと苦笑し、ユーグの目を見下ろした。その男性は紺色のシャツを身に付けており、肩に届く長さの髪は黒かった。また、男性は熱い珈琲が注がれたカップを持っており、湯気の立つカップを見たユーグは呆れた様子で溜め息を吐く。
 
「それ、何処から? っていうか、美味しいの、それ?」
 ユーグの台詞を聞いた男性は思わず吹き出し、片目を瞑って話し始める。
「ん? それは秘密。俺、最近あまり眠れていないから、これが無いときついんだよね」
 男性は、そう言うと珈琲を一口飲み、やや軽くなったカップを机上に置いた。そして、書類に掛けられた布を取ると、ユーグの正面に在る椅子へ腰を下ろす。
 
「で、今回の仕事だけど……説明を始めても良いかなあ?」
 ユーグは頷き、肯定の返事を得た者は書類を用いて説明を始めた。ユーグは、男性が説明をしている間中無言で、時折小さく頷いている。
 一通りの説明を終えた時、男性はユーグの目を見つめて微笑んだ。見つめられたユーグと言えば、男性の視線を避けるように目線を動かし、それから気怠るそうに口を開く。
 
「大体の事情は分かった。これ、許せない」
 ユーグは、そう言うと目線を落として書類を見た。数秒そうした後でユーグは顔を上げ、正面に居る男性の目を見つめる。対する男性は軽い笑いを浮かべ、テーブルに肘を付いて手を組んだ。
 
「じゃ、受けてくれる? 実行は、君の準備が済んでからでいいから」
 男性は、そう問い掛けると自らの手の甲に顎を乗せた。一方、ユーグは無言で頷き、その仕草を見た男性は嬉しそうな笑みを浮かべる。
 
「良かった。じゃ、時間も時間だろうし、景気付けに食事でも行こうか。情報を集めているうちに、個室の在る良い店を見つけたから」
 男性の提案を聞いたユーグは困ったように目を細め、話し手から離れるように椅子へ深く座り直す。一方、そんなユーグの仕草を見た男性と言えば、顔を傾けて左手の人差し指を立てた。
 
「勿論、誘ったからには俺の奢り。大変な仕事の前に、肉を食べて力を蓄えて欲しいって思ったんだ。けど、ユーグが嫌なら」
「肉?」
 ユーグは、男性の話を遮るように声を上げ、それを聞いた者は慣れた様子で言葉を続ける。
 
「そ、肉料理の美味しいお店。メニューも豊富で、飽きも来ない」
 男性の話を聞いたユーグは興味深そうに上体を前に傾け、それに気付いた男は組んでいた手を解いた。
 
「それに、締めに食べたシャーベットがまた格別でね。種類もそれなりにあるから、これまた」
「行く」
 ユーグは、またしても男性の説明を遮るように話し、待ちきれないといった様子で立ち上がった。また、ユーグの一言を聞いた男性も立ち上がり、二人は部屋の外へ向かっていく。
 
 それから数時間後、二人は食事を終え、ユーグは男性に礼を言った。礼を聞いた男性と言えば、片目を瞑り気にすることは無いとだけ返す。
 この時、空は既に暗くなり始めており、男性は空を仰いでからユーグの目を見つめた。
 
「じゃ、後はよろしくね。何時も通り、君が呼べば後片付けはやっておくから」
 男性の言葉にユーグは頷き、それを見た者は安心したように笑顔を浮かべる。その後、男性はユーグに背を向けて歩き出し、残された者は人通りの少ない路地へと向かって行った。
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登場人物紹介

???
内容の都合上、名無し状態。

顔に火傷の痕があり、基本的に隠している&話し方に難有りでコミュニケーション力は残念め。
姉とは共依存状態。

シスターアンナ
主人公の姉。
ある事情から左足が悪い。
料理は上手いので飢えた子供を餌付け三昧。

トマス神父
年齢不詳の銀髪神父。
何を考えているのか分からない笑みを浮かべつつ教会のあれこれや孤児院のあれこれを仕切る。
優しそうでいて怒ると怖い系の人。

シュバルツ
主人公の緩い先輩。
本名は覚えていないので実質偽名。
見た目は華奢な青年だが、喧嘩するとそれなりに強い。
哀れな子羊を演じられる高遠系青年。

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