決別

文字数 4,620文字

 食堂を出てから十数分後、シュバルツはアンナの元へと戻ってきた。この際、青年に変わった様子は見受けられなかったが、食堂で待つアンナはどこか疲れている様子だった。
 
「ごめんね、仕事の連絡が入ってさ」
 そう伝えると、青年はアンナと向かい合う形で椅子に腰を下ろした。その後、彼は既に冷めてしまった珈琲に口を付け、空になったカップをプレートの上に置く。
 
「気持ちが落ち着いたら言ってね。ここまで来たんだし、会いたいでしょ?」
 青年の問いを聞いたアンナは小さく頷き、眼前に在る紅茶を一口飲む。
「はい……連れてきて頂いた訳ですし、あれを見たら余計に」
 アンナは、そう言ったところで言葉を詰まらせた。対する青年は細く息を吐き、心配そうにアンナの目を見つめる。
 
「無理は駄目だよ? 辛いなら、日を改めるのも一つの手だし」
 青年の気遣いに気付いたアンナは目を瞑り、自らの考えを纏め始めた。彼女は暫くそうした後で首を振り、青年の目を見つめて話し始める。
 
「無理はしていません。長く生きていると、辛いことなんて沢山ありますから」
 アンナの台詞を聞いたシュバルツは目を丸くし、微苦笑しながら話し始める。
「長く生きていると……か。小さい頃から知っている俺としては、なんだか変な感じ」
 青年の台詞を聞いた者は首を傾げ、浮かんだ疑問を口にする。
 
「変、ですか?」
 アンナの疑問を聞いたシュバルツは頷き、笑顔を浮かべて口を開いた。
「うん。俺からしたら、まだまだ子供だから。長く生きている……って言うのが、なんかおかしくて」
 そう返すと、青年は椅子を後ろに動かして足を組んだ。
 
「ま、俺だって年上の人から見たら、子供だろうけどね」
 そう言ってシュバルツは小さく笑い、それを見たアンナは釣られて笑う。その後も、二人は他愛の無い話をし、一時間程経ったところで食堂を出た。

 食堂を出た二人は病室へ向かい、その中を覗いた。すると、そこには重い空気が立ち込めており、気軽に入室できる雰囲気は無い。また、先程医師達が取り囲んでいたベッドはそこに無く、二人が病室を訪れる理由は無いように思われた。
 
「まだ、処置が終わって無いのかな?」
 青年は、そう言うと頭を掻き、アンナの方に向き直った。対するアンナは目を伏せ、右手で左肘を強く掴んでいる。
 二人がそうしているうちに、看護師がベッドを押して現れた。看護師の押すベッドには誰も乗っておらず、掛け布団やシーツも用意されていない。
 
 看護師は、病室の開いていた場所にベッドを移動させると退室し、無表情でシュバルツらの顔を覗き込んだ。
「どうされました? 気分が悪いようなら、車椅子をお貸ししますよ?」
 看護師の問いを聞いたアンナは首を振り、その仕草を見た青年は苦笑する。その後、シュバルツは病室を軽く覗き、看護師の目を見つめて話し始めた。
 
「ああ、すみません。ベッテンドルフ氏の見舞いに来たのですが、居ないようでしたので」
 青年は、そう説明すると笑顔を浮かべ、アンナの顔を見下ろした。一方、シュバルツの話を聞いた看護師は目を細め、言いにくそうに言葉を返す。
 
「ベッテンドルフさんですか……その、申し上げにくいのですが、どういった御関係でしょうか?」
 看護師の質問を受けたアンナは小さく肩を震わせ、その様子を見たシュバルツは優しい声で話し始める。
 
「ベッテンドルフ氏は、彼女の父親です。まあ、小さい頃に色々有って、ずっと別れて暮らしていたのですが」
 青年は、そう言うとアンナに向き直り、自らの胸元を指先で叩いた。その後、彼はアンナの耳に口を近付け、左手で口元を隠しながらそっと囁く。
 
「ほら、あれを見せてあげなよ」
 青年は、そう伝えると体を離し、再度胸元を指で叩いた。彼の仕草を見たアンナは首を傾げ、数秒の間考えた後で背中側に手を回す。
 アンナは、そうした後で首に掛けていたペンダントを外し、そのトップを右手に乗せた。アンナが身に付けていたペンダントは銀製で、円形をしたトップには十字が刻まれている。また、それは側面に手を掛ければ開く様になっており、アンナは左手を軽く添えて蓋を開けた。
 
 すると、その中には家族写真が納められており、アンナは右手を看護師の方に差し出してそれを見せる。
「随分前のものですし、身分の証明になるかは分かりませんが」
 そう言ってアンナは苦笑し、看護師の目をそっと見つめた。対する看護師は差し出された写真を確認し、笑顔を浮かべてアンナの目を見つめ返す。
 
「失礼しました。ご存知のことと思いますが、入院理由が理由ですから心配で」
 看護師はそう言ったところで溜め息を吐き、先ほどベッドを運び込んだ部屋に目線を向けた。
「どうせ知ることになるでしょうから話しますが、先程も騒ぎがありましてね」
 そう話すと、看護師は不安そうにアンナの目を見つめた。この時、アンナは写真の入った飾りを握りしめ、他者へ動揺を見せぬように努めている。
 
「傷が塞がっていない状態で腹部を強く叩かれていまして、出血が多い上に内臓も損傷してしまったようです」
 何が起きたのかを聞いたアンナは体を振るわせ、表情を隠そうとしてか顔を伏せた。その様子を見た看護師は慌てて口を覆い、青年は渋い顔をしながら息を吐き出す。
 
「それで、ベッテンドルフ氏の容体はどうなんですか? 普通、見舞いに来た者が知りたいのは、病室を出なければならなくなった経緯で無くそちらでしょう」
 そう言い放つと、シュバルツは目を細めて看護師を見つめた。すると、看護師は気まずそうに目線を逸らし、俯きながら口を開く。
 
「その……大変申し上げにくいのですが、先ほど亡くなられました」
 看護師の話を聞いたアンナは両手で口元を覆い、シュバルツは無言で眉を顰めた。
「詳しい話は担当医が行いますが、先ずはお会いになられますか?」
 看護師の提案を聞いたアンナは小さく頷き、右手に力を込めて話し始める。
 
「お願いします」
 言って、アンナは看護師の目を見つめた。一方、彼女の返答を聞いた者は踵を返し、遺体が安置されている場所への案内を始める。
 その後、アンナは看護師の後を追いながらペンダントを首に掛け、シュバルツは彼女が倒れないよう見守っていた。ついに安置所の前に着いた時、青年は看護師に案内を任せドアの外側で待つと告げる。
 
 この際、看護師は一緒に行かないのかと青年に問うが、シュバルツは何度か首を横に振った。そして、自らは故人の血縁者では無いことを告げると、アンナの方に向き直って微笑する。
「俺の事は気にせず会ってきなよ。知らない仲じゃないけど、俺が一緒に行くなんて野暮過ぎる」
 青年は、そこまで話したところで看護師を一瞥し、それからゆっくり息を吸い込んだ。
 
「俺は、外で待っているから。気が済むまで会ってきなよ」
 シュバルツの台詞を聞いたアンナは頷き、小さな声で礼を述べた。一連のやり取りを見ていた看護師と言えば、二人の会話が途切れたところで安置所のドアを開ける。
安置所の中は病室等より涼しく、部屋を照らす光は落ち着いた色をしていた。また、死者が安置されているせいか静かで、アンナと看護師の足音だけが室内に響いている。
 
 看護師は、男性の遺体とアンナを対面させると会釈をし、部屋の隅へと移動した。対するアンナは看護師へ礼を言い、命なき男性の顔を静かに見下ろす。
「お久しぶりです。貴方は変わっていませんね。良い意味でも、悪い意味でも」
 アンナは、そう言うと目を瞑り、細く息を吐き出した。
 
「貴方のせいで、妹は変わってしまいました。だから、妹には会わせないことにします。あの子は、私の唯一の肉親ですから」
 言って、アンナは涙を流し、それを指先で軽く拭った。
 
「本当は、貴方と話せるうちに会いたかったです。言いたい事や、聞きたいことは有ったけど……長話は看護師さんの迷惑になりますから、これで」
 アンナは、そう言ったところで目を開き、看護師の方へ向かって行った。そして、対面が済んだことを伝えると礼を言い、それを聞いた看護師は遺体の方へ向かって行く。
 
 その後、遺体を本来の保管場所へ戻した看護師はアンナと共に安置所を出、外で待つ青年に頭を下げた。一方、シュバルツはアンナの目を優しく見つめ、微笑しながら話し始める。
「お疲れ様」
 彼の話を聞いたアンナは無言で頷き、看護師は二人に向き直ってから話を始める。しかし、直ぐにアンナが倒れてしまった為、看護師は慌てた様子でしゃがみ込んだ。
 
「大丈夫ですか?」
 看護師の呼び掛けにアンナは頷き、ゆっくりではあるが上体を起こす。彼女の仕草を見た看護師はアンナの背中を支え、青年は心配そうな表情を浮かべて膝を付いた。
「一旦帰ろうか。ここに居続けるのは、心の負担が大き過ぎる」
 シュバルツの提案を聞いたアンナは青年の顔を見つめ、暫く考えた後で頷いた。彼女の返答を受けた青年と言えば、看護師の顔を見つめ申し訳無さそうに話し始める。
 
「すみません、看護師さん。説明が有るのは分かります。ですが、今は彼女の家で休ませてあげて下さい」
 彼の話を聞いた看護師は驚いたような表情を浮かべ、アンナの顔を一瞥した。すると、その顔色は悪く、無理に動かさない方が良いことが窺える。
 
「ここは病院ですし、休むなら」
「いいえ、場所を取らせるのは手間ですから。それに、自宅で休んだ方が良い時だって有るでしょう?」
 シュバルツは、そう言うとアンナの体を抱き上げる。
 
「それじゃ」
 そう言い残すと、青年は看護師に背を向けて歩き始めた。この際、看護師は彼を追い掛けようとするが、運悪く患者に呼びとめられてしまう。
 その後、シュバルツは上手く人目を避けて駐車場まで移動し、車の後部座席にアンナを横たわらせた。その座席は大人が横になるには狭かったが、それでも立ち続けるよりは楽に思われた。
 アンナを乗せ終えた青年は運転席に座り、そこから後部座席を振り返る。
 
「なるべく揺れないように走るから、暫く我慢してね」
 そう伝えると青年は車のエンジンを掛け、ゆっくりアクセルを踏み込んだ。一方、アンナは状態が落ち着いたのか体を起こし、側頭を押さえながら目線を前方へ動かす。
 
「起きて大丈夫? 辛い時は、無理しちゃいけないよ?」
 アンナが起きたことに気付いたシュバルツは、心配そうに話し掛けた。この時、アンナはドアに上体を寄り掛からせており、その顔色は優れない。
 
「大丈夫です。それに、横になっていると酔ってしまいそうで」
 そう返すとアンナは微笑し、運転席の方へ目線を向けた。
「あと、子供っぽいと思われるかも知れませんが、窓越しに流れる景色を眺めるのは楽しいですから」
 アンナの話を聞いた青年は細く息を吐き出し、目線を前に向けたまま小さく頷く。
 
「確かにね。でも、辛い時は言うんだよ? そうしたら、車を停めて休むから。
 そう伝えると、シュバルツはミラー越しにアンナの顔色を見やった。この時、アンナの顔色は病院に居た時より良くなっており、それを確認したシュバルツは目線を前方へと戻す。
「はい……ありがとうございます」
 そう言ってアンナは笑顔を浮かべ、座席に深く座り直した。それから暫く、二人の間に会話は無く、青年は時折アンナの様子を見ながら運転を続けている。
 二人の乗る車が目的地に近付いた頃、アンナは暗い表情を浮かべて話し始めた。
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登場人物紹介

???
内容の都合上、名無し状態。

顔に火傷の痕があり、基本的に隠している&話し方に難有りでコミュニケーション力は残念め。
姉とは共依存状態。

シスターアンナ
主人公の姉。
ある事情から左足が悪い。
料理は上手いので飢えた子供を餌付け三昧。

トマス神父
年齢不詳の銀髪神父。
何を考えているのか分からない笑みを浮かべつつ教会のあれこれや孤児院のあれこれを仕切る。
優しそうでいて怒ると怖い系の人。

シュバルツ
主人公の緩い先輩。
本名は覚えていないので実質偽名。
見た目は華奢な青年だが、喧嘩するとそれなりに強い。
哀れな子羊を演じられる高遠系青年。

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