必要な犠牲

文字数 6,324文字

 アンナがドアを叩くと直ぐに、部屋の中からは神父の声が響いた。その声は、訪問者へ中に入るよう伝えており、彼の声を聞いた者は部屋へと入る。
 
「お帰りなさい、アンナ。疲れたでしょうから、先ずはソファーに座りなさい」
 そう言って神父は立ち上がり、アンナの行動を促す様にソファーの置かれた方へ向かった。この時、アンナは少々戸惑いながらもソファーへ向かい、入り口に一番近い席へ腰を下ろす。
 
「その様子だと、良い報告は聞けそうにございませんね」
 神父は、そう言うとアンナの前に腰を下ろした。対するアンナは目を伏せ、呼吸を整えてから言葉を返す。
「神父様は、何時でもお見通しなのですね」
 アンナは、そこまで言ったところで顔を上げ、微笑しながら神父の顔を見つめた。
 
「生きて、会えることは出来ませんでした。シュバルツさんが居なければ、顔を見ることさえも」
 そう伝えるとアンナは目を瞑り、苦しそうに細く息を吐き出す。
「私は、無力で決断力も無い。それに」
 アンナは、そこまで話したところで言葉を詰まらせ、彼女の様子を見た神父は不思議そうに首を傾げた。
 
「それに?」
 神父は、そう問い掛けると微笑み、優しい眼差しでアンナの目を見つめる。
「心が冷たいのです。大切な妹の筈なのに、本当の妹では無いように思えてしまうことがあって……それで、その度にとても不安になるのです」
 そう伝えると、アンナは辛そうに目を細めた。すると、神父は顎に手を当てて何度か頷き、暫く考えた後で口を開く。
 
「人間、誰しも不安になりますよ。人間とは、不完全な存在ですからね」
 そう伝えると、神父は顎に当てていた手を離した。
「まあ、本当の妹を取り戻したいというのなら、話してみてはどうです? 案外、簡単に帰ってきてくれるかも知れませんし」
 神父の話を聞いた者は目を丸くし、無言で話の続きを待つ。
 
「精神的な病は、原因が取り除かれれば自然に治ることが有ると聞きます」
 神父は、そこまで言ったところで目を瞑り、ゆっくりとした呼吸を繰り返した。
「ですから、アイデンティティを脅かす存在……それが無くなったと知れば、目を覚ましてくれるかも知れません」
 そう言って神父は溜め息を吐き、閉じていた目を僅かに開く。
 
「しかし、成功する保証は御座いませんし、更に悪い状態へ向かってしまうことも有るでしょう」
 男性の説明を聞いたアンナは目を伏せ、右手で胸元を押さえて何度か深呼吸を行った。
「ですから、先ずは良く考えなさい。今の生活を壊してまで、本当の妹を取り戻すべきかどうか」
 神父は、そこまで話したところで目を開き、アンナの顔を覗き込んだ。対するアンナは顔を上げ、暫く考えた後で口を開く。
 
「はい……良く考えて決めます。今の生活も、嫌いではないですから」
 そう返すとアンナは微笑し、力無く神父の目を見つめた。一方、話を聞いた者は心配そうにアンナを見つめ、彼女の真意を探ろうとする。
「今までも、そうやって生きてきたのです。これから同じ様に生きていくことになったとしても」
 そこまで話した時、部屋に備えられた電話が鳴り、アンナは話すことを止めた。一方、神父は頭を下げてから電話の在る方へ向かい、左手で受話器を持ち上げ耳に当てる。
 
「はい、パトリックで……ああ、シュバルツですか。お疲れ様です」
 神父は、そう言って頬を緩ませ、右手を軽く机に衝いた。
「今は駄目です」
 神父は、そう言ったところで微苦笑し、受話器を右手に持ち変える。
 
「ええ。終わったら、こちらから掛け直しますから」
 神父は、そこまで話したところで電話を切り、静かにアンナの元へ戻って行った。そして、先程まで座っていた場所に腰を下ろすと、アンナの目を見つめて笑顔を浮かべる。
「待たせてしまって申し訳ございません。話の続きをしましょうか」
 そう話すと、神父は膝に手を乗せて小さく首を傾げた。対するアンナは気持ちを落ち着ける為に深呼吸をし、それから明るい声で話し始める。
 
「話は、またの機会になさいませんか? 電話の相手を待たせるのも悪いですから」
 そう問うと、アンナは胸の前で手を合わせて微笑する。この際、神父は思いもよらなかった言葉に驚くが、それを表情に出すことなくアンナの提案を受け入れた。
 その後、アンナは静かに部屋を去り、神父は室内に在る電話から連絡をとる。すると、その十数分後には部屋のドアを叩く音がし、それを聞いた神父は訪問者へ入室するよう告げた。
 
「再び今日は、神父様」
 訪問者は、そう言うと頭を下げ、神父の方へ歩みを進めた。この時、神父は仕事用の椅子に座っており、シュバルツの存在に気付くなり立ち上がる。
「こんにちは、シュバルツ。先ずはソファーへどうぞ」
 そう言うと、神父はソファーの方へ腕を伸ばした。対するシュバルツは直ぐにソファーの在る方へ向かい、入り口側に在るソファーへ腰を下ろす。一方、神父は彼と対面する位置に腰を下ろし、二人は無言で顔を見合わせた。
 
 その後、神父は微笑みながら首を傾げ、青年の目を見つめながら口を開く。
「それで、お話って何です? 下らない内容なら、承知しませんよ」
 そう伝えると神父は微笑し、彼の台詞を聞いた者は苦笑する。
「怖いこと言わないでよ。色々と、報告しなきゃならないことがあるんだから」
 そう返すと、青年は大腿の上で手を組んだ。そして、上体をやや前方に傾けると、神父の目を見つめて話を続ける。
 
「とりあえずは二つ報告。病院で起きたことと、そのせいで起きたお話」
 そう伝えると青年は小さく首を傾げ、彼の仕草を見た者は無言で頷く。
「じゃ、先ずは病院で起きたことについて」
 シュバルツは、そう言うとソファーに深く座り直した。
「あの子達の父親ね、亡くなったよ。止めは、あれの奥さんだって。病院でコトに及ぶだなんて、相当、溜まっていたみたいだね」
 そう話すと、青年は呆れた風に首を振った。一方、神父はシュバルツの話を真剣に聞いており、青年は聞き手の反応をみながら話している。
 
「ま……俺からしたら、何であんなのに心酔するのか。って、感じなんだけどね」
 青年は、そう言って溜め息を吐き、気怠そうに左目を瞑る。
「でも、実の子供からしたら、どうしたって唯一無二の存在だからね。そのことを……うん、犯人の事は知らないにしても、ショックだったんだと思う」
 シュバルツは、そう伝えると眉根を寄せ、話しにくそうに言葉を紡ぐ。
 
「口では大丈夫って言うんだけど、俺から見たってバレバレ。対面した後に倒れちゃったし」
 そう言うと青年は苦笑いを浮かべ、彼の様子を見た者は無言で話を聞き続ける。
「だからさ、あんまり話を聞かない方が良いかも。自分から話してくる分には別だけど」
 シュバルツは、そう話すと神父の目を見つめた。対する神父は小さく頷き、微笑みながら話し始める。
 
「話してくれましたよ、アンナは。心配させまいとしたのか、倒れたことまでは話してくれませんでしたがね」
 神父は、そう返すと溜め息を吐き、僅かに目を細めて頬を掻く。
「少しは、弱音を吐いてくれても良いのですけどね。そうすれば、私達はより多くの手助けが出来る」
 神父は、そう言ったところで目を瞑り、ゆっくりとした呼吸を繰り返す。
 
「まあ、そうでなくとも手助けはしますよ? でも、それって結構なおせっかいじゃ無いです?」
 神父の話を聞いた者は頷き、笑顔を浮かべて口を開く。
「神父様は凄いね。手助けばかりが、相手の為になる訳じゃないって分かってる」
 青年の台詞を聞いた神父は苦笑し、それから細く目を開いた。
 
「凄くなんて無いですよ。ただ、強がってばかりいるのを見るのが辛いだけです」
 そう返すと、神父は細く息を吐き出した。その後、彼はシュバルツの目を見つめ、自嘲気味の笑みを浮かべる。
「つまり、エゴですよ、エゴ。誰かに幸せになって欲しいという願いでさえ……ね」
 神父の話を聞いた者は苦笑し、ソファーの背もたれに体重を預けた。
 
「難しいなあ。俺には、理解出来そうにもないよ」
 そう言ってシュバルツは溜め息を吐き、首を傾げて言葉を続ける。
「で、報告を続けて良い?」
 青年の問い掛けに神父は頷き、その仕草を見たシュバルツは姿勢を正した。
 
「病院を出た後の話なんだけどね、一応話しておこうと思って」
 そう話すと、シュバルツは目を瞑って呼吸を整える。
「妹が、本当の妹じゃないみたい……だってさ。それに、生まれ付いたものじゃない人格を生み出した奴。そのきっかけを作った奴は居なくなったのに……とも」
 シュバルツは、そこまで話したところで薄目を開くが、神父の反応を見ることなく話し続ける。
 
「言い方は違っているかもだけど、大体そんな感じ。仲が良さそうにみえても、思うところって有るもんだね」
 青年は、そう伝えるなり気怠そうに首を振り、それからぼんやりと天井を眺めた。一方、神父は不安定な様子の青年を無言で見守り、シュバルツが話し終えるまで行動を起こす様子は無い。
「俺には理解できない。理解出来る訳が無い。だって、そこまで大切に思える相手が居ないんだもん」
 そう言うと青年は笑顔を浮かべ、神父の目を真っ直ぐに見つめる。
 
「だからこそ、神父様にご意見を伺おうと思いまして」
 青年の話を聞いた者と言えば、暫く考えた後で頷いた。そして、無言で呼吸を整えると、自らの考えを話し始める。
「実はですね、既にアンナから相談を受けているのですよ。自分は冷たいのでは無いか……と、心配されておりましたね」
 神父は、そこまで話したところで片目を瞑り、部屋に置かれた電話を一瞥する。
 
「まあ、彼女が本格的に話してくれるよりも前に、誰かさんから電話が掛かってきた訳ですが」
 神父は、そう話すと笑顔を浮かべ、シュバルツの目をじっと見つめた。一方、彼の台詞を聞いた者は気まずそうに頭を掻き、それから小さな声で話し始める。
「あー……うん、ごめん。でも、早く報告をしておきたくてさ」
 そう返すと、青年はおどけた様子で舌を突きだす。一方、彼の仕草を見た者と言えば、何度か小刻みに頷いた。
 
「仕事熱心なのは、良いことですよ。それに、直ぐに答えが出る話では無かったので、助かりましたし」
 神父の台詞を聞いたシュバルツは目を丸くし、静かに話の続きを待つ。
「いえ、ね……心の問題と言うのは、簡単ではないのですよ。ほら、あの二人って互いに支え合って生きてきたじゃないですか。それこそ、貴方が助けるよりも前から」
 神父は、そこまで話したところで呼吸を整え、話しにくそうに言葉を続ける。
 
「言い方を変えれば、互いが互いに依存をしている。そして、二人共どちらかが居なくなってしまうことを酷く恐れている」
 そう言って、神父は長く息を吐き出した。そして、ゆっくりとした呼吸を繰り返すと、気怠るそうに溜め息を吐く。
「引き離してでも、治療を行うことは出来ました。ですが、あの子の心理的な枷として、アンナを使うことを選んだのもまた事実」
 神父は、そう言うと目を瞑り、何度か首を横に振る。
 
「ですが……あの子が、今のあの子で無くなるのだとしたら、二人の関係は変わるのでしょう。それで仕事の記憶が封印されるのであれば、それも悪くは無いのかと思うのです」
 そう言って神父は苦笑し、青年の目をじっと見つめる。対するシュバルツは首を傾げ、不安そうに話し始めた。
 
「それって、あの子を引退させるってこと? 確かに、あの子は情報収集とか出来そうに無いし、後輩を育てるのにも向かない性格だけどさ」
 そう問い掛けると、青年は細く息を吐き出す。
「でも、あの子の意思はどうなるの? そりゃ、元々の人格じゃ無いけど」
 シュバルツは、そこまで話したところで神父の反応を窺った。一方、神父は暫くの間無言で考え、それからシュバルツの問いに答え始める。
 
「使えない駒として処分されるのを待つか、記憶を失い違う名で生き延びるか……その二択だとしたら、どうです?」
 その一言を聞いた青年は訝しげな表情を浮かべ、掠れた声で話し始める。
「ちょっと待ってよ。処分って、どういうこと? 俺、そんな話は聞いてないよ?」
 疑問を言い放つと、青年は目の前に在る机に手を付いた。そして、それを支えにするようにして立ち上がると、怒りと困惑の入り混じった眼差しで神父を見つめる。
 
「仕方無いのですよ。将来のことを考えたら、他の子を育てた方が良いだろう……と、言われてしまったのですから」
 言って、神父はシュバルツの肩に手を置いた。そして、両腕に力を込めて青年を座らせると、疲れた様子で話を続ける。
 
「今は、単なる脅しでしょうが……貴方も、上に逆らえないことは御存じでしょう? ですから、いっそのこと賭に出てみるのも有りかと考えたのですが」
 そう言って神父は苦笑し、それから首を傾げてみせた。
「幸か不幸か、あの子の素顔を知る方は少ないですからね。名乗る名前が変われば、結構騙せるんじゃないかと思いますよ」
 神父の話を聞いた者は深い溜め息を吐き、それからソファーに座り直す。
 
「まあ、騙せないこともないと思うけど……それって、ユーグが居なくなる前提だよね? 神父様は、本当にそれで良いの?」
 そう問い掛けると、青年は目を細めて神父の顔を見つめた。対する神父は首を振り、小さな声で話し始める。
「そうは言っておりませんよ。ですが、何もせずに命を落とすより良いのでは?」
 そう伝えると神父は苦笑し、青年の目を真っ直ぐに見つめた。対するシュバルツは暫くの間考えた後で頷き、どこか疲れた様子で口を開く。
 
「まーね……いわゆる、命あってのモノダネ、ってやつ?」
 シュバルツは、そこまで言ったところで細く息を吐き出した。
「でも、さ、あの子のままで生き続けることって出来ないの? ディックだって、特例を認められたクチじゃん?」
 青年は、そう言うと腕を組み、ソファーの背もたれに体重を預けた。一方、彼の話を聞いた者は首を振り、話し辛そうに答えを返す。
 
「無理ですよ。まあ、ディックが亡くなるなら話は別ですが……それにしたって、あの子はアンナと離れようとはしないでしょう」
 神父は、そう話すと深い溜め息を吐いた。そして、シュバルツの目を見つめると、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
 
「シュバルツ、貴方だって分かっているでしょう? 使えない子は消されてしまうことを」
 そう伝えると神父は目を伏せ、ゆっくり息を吐き出した。
「私だって、やらないで済むならそうしたいですよ。でもね、あの子がああいう性格である以上、上の言い分を覆すことは難しいのです」
 そう加えると、神父はシュバルツの目を見つめ、その反応を窺った。対する青年は大きな溜め息を吐き、それから掠れた声で言葉を発する。
 
「分かってるよ、痛いくらいにね。でも、直ぐには納得出来ない。だけど……俺は決まったことには従うし、協力もする」
 そう返すとシュバルツは悲しげに目を細め、静かにソファーから立ち上がった。
「じゃ、やることが決まったら連絡して。ちゃんと手伝いますから」
 そう言い残すと、青年は部屋の出入り口に向かって行った。この際、神父は何も言うこと無くシュバルツを見送り、青年は部屋の中を振り返ること無く退室する。
 
 その後、一人残された神父は仕事机の方へ向かい、疲れた様子で椅子に座った。そして、机に肘をついて手を組むと、手の甲に額を付けて目を瞑る。
「嫌な役割ですよ、全く」
 そう呟くと、神父は顔を伏せたまま溜め息を吐いた。彼は、そうした後で顔を上げ、ゆっくりとした動きで机上に書類を広げ始める。
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登場人物紹介

???
内容の都合上、名無し状態。

顔に火傷の痕があり、基本的に隠している&話し方に難有りでコミュニケーション力は残念め。
姉とは共依存状態。

シスターアンナ
主人公の姉。
ある事情から左足が悪い。
料理は上手いので飢えた子供を餌付け三昧。

トマス神父
年齢不詳の銀髪神父。
何を考えているのか分からない笑みを浮かべつつ教会のあれこれや孤児院のあれこれを仕切る。
優しそうでいて怒ると怖い系の人。

シュバルツ
主人公の緩い先輩。
本名は覚えていないので実質偽名。
見た目は華奢な青年だが、喧嘩するとそれなりに強い。
哀れな子羊を演じられる高遠系青年。

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