飲と食と

文字数 4,368文字

 見舞いの後、二人はそれぞれにやるべきことを終えると、暗くなる前に家へ帰る。

 ユーグとアンナの家は教会の近くにあり、二人で暮らすには十分な広さだった。また、家の周囲には様々な種類のハーブが植えられ、野菜の苗なども植えられている。
 家の玄関には、二人の名を記したプレートが貼られ、それを囲うようにドライフラワーの輪が在った。ドライフラワーの花弁は小さいが沢山縒り合わせて作られており、微かに甘い香りを放っている。
 
 家の一室には使い古された木製の机があり、二人の食事の場として使われていた。その机の上には、レースの施された白いクロスが乗せられている。また、長方形をした机の周りには、古ぼけた椅子が辺に沿うようにして一脚ずつ置かれていた。

 机にも椅子にも多数の傷が有り、鑢をかけるなどして繕おうとした跡が在った。そして、椅子には弾力の無いクッションが置かれ、端切れを縫い合わせて作ったカバーが掛けられている。
 
 リビングとして使われるその部屋には、台所に置ききれなかった食料も有った。それらは、板を継ぎ合わせて作られた箱に仕舞われ、見た目を良くする為か藍色の布が被せられている。

 台所は、その部屋の直ぐ隣にあり、椅子に座る位置によって調理場が見えた。また、リビングは浴室や寝室へ通じる廊下にも繋がっており、日当たりや風通しは申し分無い。
 
 リビングに入ったユーグは、出入り口に背を向けて椅子に座り、疲れた様子で腕を前に伸ばした。そして、左前方にある台所を一瞥すると、息を吐き出しながら机に伏せる。

「姉さん。今日の御飯何?」
「新鮮な牛乳が手に入ったし、シチューでも作ろうかしら」
 姉の返答を聞いた者は目線を上げ、嬉しそうにアンナの目を見つめる。

「やった。姉さんの作るシチューって、美味しいんだよね」
 ユーグは、そう言うと体を起こし、腕を組む。そして、自らの意見に賛同するかのように、無言で何度か頷いて見せた。
 
「ありがとう。じゃ、作るから待っていてね」
 アンナは、台所へ向かい鉄製の鍋を洗い始めた。一方、ユーグは暫く姉を眺めた後で天井を見上げ、安心した様子で目を細める。

「姉さん」
 呼びかけを聞いたアンナは顔だけをユーグに向け、そのまま続く言葉を待つ。
「手伝うこと有る?」
 ユーグの言葉を聞いたアンナは笑顔を浮かべ、左目だけを軽く瞑った。
 
「じゃあ、野菜を水洗いして貰おうかしら」
 姉の言葉を聞いたユーグは立ち上がり、台所へ向かっていった。この時、アンナは鍋を洗い終えており、開いたシンクの前にユーグが立つ。アンナは持っていた鍋をコンロの上に置くと、土が付いたままのジャガイモを隣に立つ者へ手渡した。
 
「じゃ、お願いね」
 アンナは、そう言うとナイフと玉葱を手に取り、その根を切り落とした。彼女はナイフを置いて切り落とした根を捨てると、茶色い皮を剥き始める。

 この時、ユーグは渡された野菜を洗っており、それに付着した土が殆ど落ちたところで手を止めた。そして、横に立つ姉の顔を見ると、ジャガイモを掴んだ手を上下に振って水を切る。
 
「終わった」
 ユーグが言葉を発した時、アンナも皮むきを終えていた。アンナは、持っていた玉葱を置くと馬鈴薯を受け取り、笑顔を浮かべてユーグの目を見つめる。

「ありがとう、助かった」
 感謝の言葉を聞いたユーグは恥ずかしそうに目を逸らし、微かに口先を尖らせた。
 
「他に、何かある?」
 ユーグの問いを聞いたアンナは首を振り、ナイフを手に取った。
「いいえ。ナイフはこれしか無いし、後は一人で出来るわ」
 返答を聞いたユーグは無言で頷き、リビングへ戻っていった。アンナはその背中を見送ると、野菜の皮を剥き始める。

 その後もアンナは調理を続けていき、シチューを煮込み始めたところで一息吐いた。
 
「ねえ、ユーグ。何か飲みたいものは有る?」
 ユーグは目を瞑り、ゆっくり上体を横に揺らした。
 
「そうそう、デザートにクッキーも有るわよ」
 ユーグは体を揺らすのを止め、目を開いた。そして、右手の人差し指を立てて前に出すと、嬉しそうに答えを返す。

「じゃ、紅茶が良い」
 返答を聞いたアンナは頷き、戸棚からティーポットと茶葉の入った缶を取り出した。その後、彼女は小さめのケトルで湯を沸かし始め、二人分のカップをリビングに運ぶ。
 
 そのカップはどちらも白い陶器製のもので、内側には茶渋が付いていた。また、その側部には取っ手が付いており、それは青い色が付けられている。

 カップを運び終えたアンナはコンロの前に戻り、煮込み中のシチューをかき混ぜた。彼女は、何度か掻き混ぜたところでコンロ前を離れ、乾いたスプーンを使ってティーポットに茶葉を入れる。
 
 数分して、ケトルの中の水が沸騰した時、アンナはそれをコンロから下ろした。そして、熱湯をティーポットの中に注ぎ込むと、それを持ってユーグの居る方へ向かう。

「はい、紅茶。少し待ってから注いでね」
 アンナは、そう言うとユーグの前にポットを置いた。対するユーグは無言で頷き、それを見た姉は台所へ戻っていく。
 
 アンナは、コンロに掛けた鍋の前に立つと、中に有るシチューをゆっくり混ぜた。それから、彼女はレードルでシチューの具を掬うと、それを幾らか冷ましてから口に含む。

「うん」
 アンナはコンロの火を消し、戸棚から食器類を取り出した。そして、ユーグを自らの近くに呼ぶと、円形の皿にシチューを注ぐ。
 
 アンナは、シチューを注いだ皿をユーグに手渡し、皿を受け取った者は溢さぬようリビングに運んでいった。リビングに戻ったユーグが台所を振り返ると、そこにはパンを入れた籠やスプーンを持つ姉の姿が在った。

 アンナの姿を見たユーグは机の上に皿を置き、静かに椅子へ腰を下ろした。机の上には、丸皿の他に紅茶の注がれたカップやポットが有り、それは温かな熱を発している。

 アンナはパン籠を机の中程に置き、スプーンをシチュー皿の横に置いた。そして、彼女はユーグと対面の席に座ると、皿やカップを使いやすい位置に置き直す。
 
 その後、アンナはユーグの目を見つめて微笑み、胸の前で手を組んだ。彼女は手を組んだまま目を瞑り、そのまま食前の祈りを捧げ始める。

 暫くして、食前の祈りを終えたアンナは目を開き、それを見たユーグは机に置かれたスプーンを手に取った。
 
「頂きます」
 そう言うと、ユーグはシチューを掬って口に含んだ。そして、数秒間味わってから飲み込むと、嬉しそうに目を細める。

「やっぱ、姉さんが作るシチューは美味しい」
 言って、ユーグはシチューを口にし、それを口に含んだままパンへ手を伸ばす。アンナは、その姿を見ながら微笑し、自らもシチューを口に運んだ。
 
 その後、二人の食事は進んで行き、アンナは机に置かれた食べ物が無くなったところで立ち上がる。彼女は、空になった皿を持って台所に行くと、代わりにクッキーの入った瓶を持って戻った。その瓶はほぼ透明で中が良く見え、金属製の蓋は側面に凹凸が付いている。また、菓子は茶色や桃色のものが有り、様々な味付けがなされているようだった。
 
 その瓶は、片手で持つにはやや大きく、アンナはそれを落とさぬよう両手で持ちながら運んでいた。机の傍まで来たアンナは、パン籠を机の端へ動かすと、籠の有った場所に瓶を置く。

「おすそわけで頂いたの」
 そう言ってアンナは椅子に腰を下ろし、ユーグは瓶を手に取った。そして、その蓋を捻って開けると、一番上に有ったクッキーを摘んで取り出す。そのクッキーは円形で桃色をしており、ユーグは何度か指先で転がしてから口に入れた。
 
 その後、クッキーの甘さを味わうように咀嚼し、ユーグは手に持った瓶をアンナの前へ差し出す。
「姉さんも」
 アンナは瓶を受け取り、中から一枚のクッキーを取り出す。そして、茶色をした菓子を二つに割ると、その一つを口に含んだ。彼女は、それを味わってから飲み込むと、笑顔を浮かべて口を開く。
 
「うん。甘くて美味しい」
 アンナは瓶を机の中程に置き、ユーグはその瓶に手を伸ばす。ユーグは、左手で瓶を掴んで傾けると、新たなクッキーを手に取った。

「もっと紅茶が欲しいわね」
 アンナは立ち上がり、ティーポットを持って台所へ向かう。そして、新たに湯を沸かして紅茶を淹れると、ポットを持ってリビングへ戻った。
 
 アンナは、ポットを机に置くと椅子に座り、暫くの間を置いてから近くのカップに紅茶を注いだ。この際、ユーグは自らのカップをアンナの方に寄せ、それに気付いた姉はそのカップにも紅茶を注ぐ。

「ありがと」
 ユーグは、カップを引き寄せ紅茶を飲んだ。そして、その香りを楽しむように目を瞑ると、ゆっくりとした呼吸を繰り返す。
 
「そう言えば」
 ユーグの声を聞いたアンナは首を傾げ、姉の仕草を見た者は目の前にある瓶を差し示す。
「これ、誰からのおすそわけ?」
 アンナは口の辺りで手を合わせ、笑顔を浮かべながら話し始めた。

「神父様からよ。孤児院に寄付が有ったのだけれど、子供達には多いからって」
 姉の説明を聞いたユーグは頷き、アンナはクッキーに手を伸ばす。
 
「甘いお菓子は子供も好きだけれど、食べ過ぎるのは良くないものね」
 アンナは、そう言うと小麦色のクッキーを摘んで口に入れる。彼女は、それを味わってから飲み込むと、瓶を眺めながら話を続けた。

「食べないまま古くなっても困るし、湿気てしまっても下さった方に悪いものね」
 アンナの話を聞いたユーグは頷き、瓶に手を伸ばして口を開く。
 
「じゃ、遠慮なく食べよ」
 ユーグは、そう言うと数枚のクッキーを手に取り、そのうち一枚を食べ始める。その様子を見た姉は微苦笑し、温かな紅茶を一口飲んだ。

「止めはしないけど、程々にね」
 アンナの言葉を聞いたユーグは動きを止め、手に持った菓子を見下ろした。
 
「ん。これだけにしとく」
 そう言うと、ユーグは持っていたクッキーを口に入れた。一方、アンナと言えば、クッキーの入った瓶に蓋をする。

「さて……私は、食器を洗ってくるわね」
 アンナは立ち上がり、空になったカップを持って台所へ向かって行った。それを見たユーグは残った紅茶を飲み干し、空のカップとポットを持って姉の後を追う。
 
 この時、アンナはシチュー皿を洗っており、ユーグはカップをシンクに置くとティーポットの蓋を開けた。そして、残った茶葉をゴミ箱に捨てると、空になったポットをシンクに置く。すると、ユーグの行為に気付いたアンナは笑顔を浮かべ、隣に居る者の目を優しく見つめた。

「ありがとう、ユーグ。後は私がやっておくから、シャワーを浴びてきたら?」
 提案を聞いたユーグは頷き、台所を出る。そして、寝室に立ち寄って部屋着を用意すると、それを抱えてバスルームへ向かっていった。
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登場人物紹介

???
内容の都合上、名無し状態。

顔に火傷の痕があり、基本的に隠している&話し方に難有りでコミュニケーション力は残念め。
姉とは共依存状態。

シスターアンナ
主人公の姉。
ある事情から左足が悪い。
料理は上手いので飢えた子供を餌付け三昧。

トマス神父
年齢不詳の銀髪神父。
何を考えているのか分からない笑みを浮かべつつ教会のあれこれや孤児院のあれこれを仕切る。
優しそうでいて怒ると怖い系の人。

シュバルツ
主人公の緩い先輩。
本名は覚えていないので実質偽名。
見た目は華奢な青年だが、喧嘩するとそれなりに強い。
哀れな子羊を演じられる高遠系青年。

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