苦しき決意

文字数 5,821文字

 神父が電話を終えてから十数分程経った時、彼の居る部屋にドアを叩く音が響いた。この時、神父は訪問者に部屋へ入るよう指示し、それを聞いた者は彼の指示に従う。訪問者は金属製のプレートを持っており、その上には紅茶の注がれた白いカップが三つ乗せられていた。
 
 部屋に入ったアンナと言えば、そこに居た人数を見て不思議そうな表情を浮かべた。しかし、彼女はその疑問を口に出さず、シュバルツらの居るソファーへ近付いて行く。
 ソファーの傍に来たアンナは、神父やシュバルツの前にカップを置いた。アンナが三つ目のカップに手を伸ばした時、神父はアンナの目を優しく見つめ、開いているソファーへ向けて腕を伸ばす。
 
「座って下さい、シスターアンナ」
 神父の指示を聞いたアンナは目を丸くし、動きを止めた。一方、その仕草を見た神父は微笑し、落ち着いた声で話を続ける。
 
「貴女に話が有るのですよ、シスターアンナ。ですから、先ずは座って下さいな」
 その一言を聞いたアンナは、カップの乗せられたプレートを机の端に置き、神父と向かい合う形で腰を下ろした。そして、膝に手を置いて深呼吸をすると、不安そうに神父の目を見つめる。
 
「詳しいことは、シュバルツから聞いて下さい。私は、彼から知らされたまでですから」
 そう言うと、神父は青年の横顔を見つめた。その視線に気付いたシュバルツと言えば、アンナの目を見つめて笑顔を浮かべる。この際、彼の表情を見たアンナは笑顔を作り、そのまま青年が話し始める時を待った。
 
「えっと……君達の父親のことなんだけど、聞いてから後悔しない?」
 そう伝えると、シュバルツは気まずそうに苦笑した。対するアンナは驚きの為か瞬きの回数を増やし、無言で青年の台詞を反芻する。
 それから数分後、アンナは胸に手を当てて呼吸を整え、目を細めて話し始めた。
 
「分かりません。ですが、こう言った形で呼び出す様な内容なら、聞かなければ余計に後悔することになるのでしょう」
 アンナは微苦笑し、青年に向けて頭を下げた。
「お願いします、シュバルツさん」
 その一言を聞いた青年は頷き、口元に手を当てて小さく咳払いをした。その後、シュバルツはアンナが頭を上げた時を見計らって話し始め、数分経ったところで説明を終える。
 
 話を聞き終えたアンナの表情は暗く、彼女の様子を見た二人も辛そうな表情を浮かべている。そのせいか室内は静まり返り、アンナが話し始めるまで物音すらしなかった。
「返答は、明日にさせて頂いても宜しいですか? その……直ぐには、心の整理が出来ないので」
 そう伝えると、アンナは深く頭を下げ、彼女の仕草を見たシュバルツは神父の顔を一瞥する。
 
「俺は別に良いけど……手遅れになるかも知れないことだけは、覚えておいてね」
 そう言って、シュバルツはアンナの目を見つめた。対するアンナは無言で頷き、それを見た青年は細く息を吐き出す。
 
「神父様は何か有る? 俺と違って、育ての親みたいな立場だし」
 シュバルツに問い掛けられた者は小さく頷き、それからアンナの目を真っ直ぐに見つめた。
「シスターアンナ、貴女がそう思ったのなら待ちますよ。私は、貴女を見守る義務は有っても、行動を強制する権利はございませんから」
 そう話すと、神父は柔らかな笑みを浮かべてみせた。すると、アンナは神父に対して礼を述べ、対面に居る二人に対して深く頭を下げる。
 
「話は終わりです。他にやることも有るでしょうし、カップの片付けは私がやりますから、貴女はもう戻りなさい」
 そう言うと、神父は笑顔を浮かべてアンナを見つめた。一方、アンナは顔を上げると肯定の返事をなし、ゆっくりと部屋の外へ向かって行く。

 アンナが退室した後、シュバルツは気まずそうに苦笑し、神父の横顔を見つめた。そして、彼はアンナの足音が遠ざかった事を確認すると、小さな声で話し始める。
「俺、早まったかな……取り乱しはしなかったけど、かなり衝撃を受けていたみたいだし」
 青年は、そこまで言ったところで立ち上がり、神父と向かう合い形で座り直した。そして、先程まで自分の前に在ったカップを引き寄せると、そこに注がれた茶を一口飲む。
 
「早まった、ということは無いでしょう。重体と言うことは、知らせが遅れれば生きて会えないこともあるのですから」
 そう返すと、神父は既に温くなった紅茶へ手を伸ばした。
「第一、何時かは知ることになるでしょう。他人である誰かさんが、気付いた位なのですから」
 言って、神父はカップに口を付けた。この時、シュバルツは苦笑しながら後頭部を掻いており、そうしながら神父に返す言葉を模索している。
 
「それもそう……かな? 本人が気付かなくても、話題に上がることだってあるかも知れないし」
 そう言ってから青年はソファーに深く座り直し、天井を見上げた。
「ま、会うか会わないかは本人が決めるんだし、俺は入院先でも調べておくよ」
 それだけ言うと、青年は紅茶を飲み干して息を吐き出した。
 
「報告はこれだけ。長居するのも変だし、俺は帰るね」
 青年の言葉に神父は頷き、その仕草を見たシュバルツは立ち上がる。
「じゃ、連絡が来たら知らせてね。あの子らが望めば、送迎くらいは出来るし」
 そう言い残すと、シュバルツは今まで居た部屋を出た。この時、一人残された神父は溜め息を吐き、残っていた茶を飲んでカップを片付け始める。

 神父に呼び出された次の日、アンナは父親の話を聞いた部屋を訪れていた。彼女の眼前には神父の姿が在り、二人ともソファーに腰を下ろしている。また、ソファーに座るアンナは真剣な表情をしており、それを神父は見守っていた。
 
「良いのですか? 見舞いは一人だけで」
 神父の話を聞いたアンナは小さく頷き、それから胸に手を当てて話し始める。
「はい。あの子と会わせるのは酷だと思うので……先ずは私だけで行って、それから改めて考えようかと」
 アンナの返答を聞いた者は頷き、目の前に居る女性の目を真っ直ぐに見つめた。
 
「分かりました。では、シュバルツに連絡しますから、行ってきなさい。こちらの事は、私が良いようにやっておきますから」
 そう言って、神父は笑顔を浮かべた。対するアンナは深々と頭を下げ、掠れた声で礼を述べる。
「では、連絡をしてしまいますね。ここに来るよう言いますから、少し待っていて下さい」
 神父は、そこまで言ったところで立ち上がり、笑顔を浮かべてアンナを見下ろした。
 
「ああ、お手洗い位なら言わずに退室して構いませんよ? シュバルツが、直ぐに来るとも限りませんし」
 その台詞を聞いたアンナは小さく頷き、彼女の仕草を見た男性は仕事机の方へ向かった。そして、机の上に有る電話へ手を伸ばすと、受話器を手に取って幾つかのボタンを押す。
 
 数秒待って電話が繋がった時、神父は咳払いをして喉を通した。
「車付きで来て下さい。ええ、お願いしますよ」
 神父は、そう言って電話を切り、直ぐにアンナの居る方へと戻って行った。

 神父が電話を掛けてから数十分後、彼の居る部屋にシュバルツが現れる。部屋に現れた青年は藍色のスーツを身に纏っており、その手には車の鍵が握られていた。
 部屋に入ったシュバルツは、直ぐにソファーの在る方へ向かい、アンナの横に立つなり笑顔を浮かべる。
 
「お待たせ。準備が出来ているなら、直ぐに行けるよ?」
 青年は、そう言うと車の鍵を上方に投げて掴み取った。一方、それを見たアンナは目を丸くし、青年の顔をじっと見つめる。
「えっと……私は大丈夫です」
 そう言ってアンナは立ち上がり、それを見たシュバルツは笑顔を浮かべた。
 
「じゃ、行こうか。病院までは、俺が案内するから」
 そう伝えると青年は部屋のドアを開け、アンナに先に出るよう目線で伝えた。一方、彼の視線に気付いた者は足早に部屋を出、ドアのすぐ傍でシュバルツを待つ。
 その後、青年はアンナの後を追って退室し、礼拝堂とは逆の方へ向かって廊下を進んだ。
 
 神父の居る部屋を退室してから数分後、彼らは黒い車の停められている場所へ到着する。車の近くに来たシュバルツは助手席側のドアを開け、アンナにそこへ座るよう促した。一方、アンナは青年に促されるまま乗車し、それを見たシュバルツは開けていたドアを静かに閉める。
 その後、青年は運転席に座り、発車の準備を始めた。シュバルツは程なくしてその準備を終え、ゆっくり車を走らせ始める。
 
「直ぐ来ちゃったけど大丈夫? 緊張してない?」
 青年は、そう言うとアンナの顔を一瞥した。話し掛けられたアンナと言えば、目を伏せて小さな声で話し始める。
「していない……と言えば、嘘になります」
 アンナは、そう言うと目を細め、ゆっくり息を吐き出した。
 
「別れたのは、十年以上も前のことですし……久しぶりに会った時のこともありますから」
 言って、アンナは目を瞑った。この時、彼女の手は震えており、少なからず緊張していることが窺える。
「そっか……そうだよね。俺だったら、逃げてるかも」
 シュバルツは、そう返すと微苦笑し、小さく息を吐き出した。
 
「でも……会わないままでいるのは、もっと辛いのです。楽しかった時の記憶も、残っていますから」
 アンナは、そう言うと薄目を開け、青年の横顔をそっと見つめる。
「会って、何かが変わる訳でも無いのでしょう。でも、会いたい気持ちを拭えないのです」
 そう加えるとアンナは苦笑し、その目線を前方へ向ける。
 
「そっか。それなら、会わなきゃだよね」
 シュバルツは、そう返すと微笑み、細く息を吐き出した。その後、車内に会話の無いまま病院へ到着し、駐車場に車を停めた青年はアンナの横顔を見つめる。
「着いたよ。病室の番号は414だけど、初めて来る場所だろうし案内しようか?」
 シュバルツの問いにアンナは頷き、その仕草を見た者は車のエンジンを切った。
 
「分かった。じゃ、案内するね」
 青年はそう言って車を降り、彼へ続くようにしてアンナも降車する。シュバルツは、アンナが車のドアを閉めたところで車に鍵を掛け、病院の入り口に向かって歩き始めた。
 
「ありがとうございます。その……一人だと、心細かったので」
 そう話すと、アンナは目を細めて苦笑する。そうこうしているうちに二人は病院の受付に到着し、そこで見舞うべき部屋番号を告げた。その後、二人は無言で顔を見合わせ、静かに病室へと向かって行く。受付を済ませた二人は階段を使って四階まで上がり、シュバルツの先導によって目的とする病室へ向かって行った。
 
 二人が、数分を掛けて病室の近くまで来た時、彼らの目的地はやおら騒がしくなる。その騒ぎにアンナは身を強張らせ、シュバルツは緊張しながらも足を進めた。
 シュバルツらが病室へ入る直前、医者や看護師らが慌ただしく病室に掛け込み、それを見た者達は足を止める。この時、青年はアンナの方を振り返り、言いにくそうに話し始めた。
 
「入りにくくなっちっゃたね……覗くだけ覗いてみる?」
 青年の提案を聞いたアンナは小さく頷き、その仕草を見た青年はゆっくり病室へ向かって行く。
シュバルツが部屋の中を覗くと、そこにはベッドを取り囲む医師達の姿が在った。医師は、ベッドに横たわる者へ大声で話し掛けるが、患者が反応を示す様子は無い。
 
 そのうち、医師は話し掛けることを止め、看護師らはベッドの端を持って移動を始めた。運ばれていく患者の腹部は赤く染まり、それを見たアンナはその場で膝をついてしまう。
 医師達が通り過ぎた後、青年は直ぐにしゃがみ込んでアンナの顔を覗き込んだ。
 
「大丈夫? 調子が悪いなら、どこかで」
「大丈夫です……その、ちょっと意識が遠のいちゃって」
 そう言って、アンナは立ち上がった。一方、シュバルツは心配そうにアンナを見つめ、彼女に合わせるようにして立ち上がる。
 
 この時、言葉とは裏腹にアンナの顔色は蒼白で、指先は小刻みに震えていた。それでも、彼女は手に力を込めて震えを抑え、青年の目を見つめて微笑する。
「でも、お見舞いは出来ないみたいですね。見舞うべき相手が、病室に居ないのですもの」
 アンナは、そう続けると目を伏せた。
 
「だって、運ばれていったのは……見えたのは一瞬でしたけど、その」
 アンナは、そこまで話したところで言葉を詰まらせた。対する青年は軽く周囲を見回し、それからアンナの頭を優しく撫でる。
 
「食堂で、一休みしようか? 院内の食堂なら外に出る必要も無いし……幾らかしたら、処置も終わっているかも知れない」
 そう伝えると、シュバルツは膝を折ってアンナの顔を覗き込む。この際、アンナは少し考えた後で頷き、二人は病院内に在る食堂へと向かって行った。
 
 二人が食堂へ向かうと、そこは今まで居た廊下より明るく、白く塗られたテーブルが幾つも並べられていた。また、テーブルの周りには様々な高さの椅子が置かれ、中には花瓶に挿された花が飾られている所も在る。
 食堂内の人影はまばらだったが、休憩中と思しき医師や比較的症状の軽い患者の姿も在った。また、見舞いに来た家族らの姿も見え、入りにくい雰囲気は殆どない。
 
 この為、シュバルツは開いている席へ座るようアンナに伝え、自らは注文をする為にカウンターへ向かって行った。程なくして、青年はカウンターで白いプレートを受け取り、アンナの元へ戻っていく。彼が持つプレートの上には二つのカップが乗せられ、それぞれに熱い紅茶と珈琲が注がれていた。
 シュバルツは、アンナの前に在るテーブルの上にプレートを置き、それから静かに椅子へ座る。
 
「飲み物、紅茶と珈琲どっちにする? どっちも、甘くは無いけど」
 そう問うと、青年はアンナの目を見つめて微笑んだ。対するアンナは二つのカップを見下ろし、それから紅茶の入った方を引き寄せる。
 
「じゃ、俺はこっちで」
 言って、シュバルツは珈琲の入ったカップを手に取った。彼は、カップに注がれた液体を一口飲むと、目を細めて息を吐き出す。
 
「ま、こんなもんか」
 そう呟いた時、彼の胸ポケットが小刻みに震えた。それに気付いたシュバルツは直ぐに立ち上がり、アンナに向けて頭を下げる。
「ごめん、ちょっと出てくるから待っててね」
 それだけ伝えると、シュバルツはアンナの返答を待つことなく食堂を出た。この時、アンナは無言で青年を見送り、目線を落として溜め息を吐く。
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登場人物紹介

???
内容の都合上、名無し状態。

顔に火傷の痕があり、基本的に隠している&話し方に難有りでコミュニケーション力は残念め。
姉とは共依存状態。

シスターアンナ
主人公の姉。
ある事情から左足が悪い。
料理は上手いので飢えた子供を餌付け三昧。

トマス神父
年齢不詳の銀髪神父。
何を考えているのか分からない笑みを浮かべつつ教会のあれこれや孤児院のあれこれを仕切る。
優しそうでいて怒ると怖い系の人。

シュバルツ
主人公の緩い先輩。
本名は覚えていないので実質偽名。
見た目は華奢な青年だが、喧嘩するとそれなりに強い。
哀れな子羊を演じられる高遠系青年。

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