赤き顔

文字数 2,885文字

 空がすっかり暗くなった頃、ユーグは小さな家が立ち並ぶ一角に来ていた。その一角には街灯が無く、電気を灯している家も少ない。また、ドアや窓硝子が無い家も在り、そこに人が住んでいるかさえ怪しかった。
 ユーグは、その中で唯一明かりが漏れている家を見つめ、気怠るそうに溜め息を吐く。そして、その家へ慎重に近付くと、明かりが灯っている部屋の窓から室内を覗いた。
 
 その部屋には褐色のカーテンが掛けられており、布地には所々穴が開いている。この為、ユーグは簡単に部屋の中を覗くことが出来た。ユーグが覗く部屋の中は散らかっており、床には割れたままの食器まである。また、テーブルの上には喰い散らかされたパンなどがあり、その周りには無数の小虫が飛んでいた。
 
 明かりが灯っているにも関わらず、部屋に人の気配は無く物音もしなかった。その上、床には人が歩きにくい程に塵が溜まり、ユーグの見える範囲から床板が見えることは無い。
 黒衣の者は、数分間部屋を覗いた後でその場を離れ、周囲を警戒しながら歩き始めた。ユーグは家の壁沿いに進み、小さな窓が有る場所で立ち止まる。その窓は、辛うじて人の頭が通る程度の大きさで、光源が無いせいか中の様子を見ることは出来ない。また、ユーグの身長では背伸びをしなければ覗けない高さにあり、音も気配もしなかった。
 
 この為、ユーグは再び壁に沿って歩き始め、玄関に到着する数歩前で立ち止まる。
 玄関のドアポストからは薄汚れた手紙が覗き、それは雨に曝されたのか皺になっている箇所が有った。また、ドアノブは茶色の錆で覆われ、そこから人が出入りしているかさえ疑わしい。
 
 ユーグは、その様子を見てから玄関の前を通り過ぎ、音をたてないようにして歩き続けた。そのうち、ユーグはカーテンの掛けられた窓の前に到着し、その中の状況を確認しようとする。しかし、その部屋の照明は点いておらず、目で見て中を確認することは叶わなかった。この為、ユーグは窓に耳を近付け、その中の物音を探ろうとする。
 
 ユーグが耳を澄ませていると、その家に近付いてくる足音が聞こえてきた。この為、足音を聞いた者は音のした方へ顔を向け、警戒しながら後退する。
 すると、ユーグが覗いていた家の玄関には、顔を赤くした女が近寄って来た。女の足取りは覚つかず、指先は小刻みに震えている。また、月明かりに照らされる髪は乱れており、碧色の瞳は焦点が合っていなかった。女は、ユーグの存在に気付かぬまま玄関を開け、屋内に入った。一方、ユーグは足音をたてないようにして玄関へ近付き、仕事を始めるタイミングをじっと窺う。
 
 ユーグが息を殺して耳を澄ませると、女が歩いているのか屋内から床板が軋む音が聞こえてきた。それは、幾らか遠ざかった後で止まり、代わりに木の擦れ合う音が聞こえてくる。この際、ユーグは遠ざかった音をどうにかして聞き取ろうと、玄関のドアに耳を付けた。すると、屋内からは母親を呼ぶ子供の声が聞こえ、それを聞いたユーグは目を細める。聞こえてくる子供の声はか細く、自らの命の削っているようでさえあった。しかし、その声に応える者は無く、悲痛な声を聞き続けたユーグは強く目を瞑る。
 
 暫くして足音が玄関の方へ近付いてくると、ユーグは目を見開いて身構えた。この際、子供の声は聞こえてこず、それに気付いた者は下唇を噛む。
「裁く」
 ユーグは、そう呟くと拳を握った。そして、ドアノブに軽く左手を掛けると、そのまま女がドアを開ける瞬間を待つ。
 
 女がドアを開けた時、ユーグはノブを掴んで勢い良く手前に引いた。そして、中に居る女の顔を勢い良く殴り、間髪を入れること無く腹部に蹴りを入れる。女は、突然の出来事に低い声を漏らすことしか出来ず、蹴られた勢いで無様に尻をついた。その女は、動揺しているのかユーグを睨み付けることもせず、ただただ腑抜けた声を漏らしている。
 
 その様子にユーグはつまらなそうな溜め息を吐き、女の髪を掴んで頭を床に叩き付けた。頭部に打撃を受けた女は掠れた声を発し、それを聞いたユーグは髪から手を離して笑みを浮かべる。
 
「何? 酒の飲み過ぎで、思考力皆無なの?」
 そう言い放つと、ユーグは右足の踵を女の鳩尾に向けて勢い良く下ろす。一方、女は口から黄色い液体を吐いて咳き込み、目を見開いたまま動かなくなった。
 
「もう、終わり? これだから、酒乱は嫌いだよ」
 そう言葉を発すると、ユーグは懐から金属製の枷を取り出した。そして、それを女の足首と手首に掛け、動きを封じた女の髪を再度掴む。その後、ユーグは女の髪を掴んだまま引き摺っていき、廊下の突き当たりで手を離した。そして、そこから一番近い部屋のドアを開けると、慎重にその中を調べていく。
 
 ユーグが部屋の中を調べていくと、その部屋の端には膝を抱えて縮こまる子供の姿が在った。その子供は酷く痩せており、髪は半分以上抜け落ちている。また、その眼窩は窪み、体の大きさ以外に子供らしい点は見当たらなかった。
 その上、ユーグを見た子供は脅えた様子で体を振るわせ、膝を抱えたまま後退さろうとする。ユーグは、少しでも警戒を解こうと声を掛けながら子供に手を差し伸べるが、それは逆の結果となってしまった。この為、ユーグは大きな溜め息を吐き、懐から液体の入った硝子の瓶を取り出す。
 
「本当は、こんなことしたく無いけど」
 ユーグは、そう言うと大きく息を吸い込み、小瓶の蓋を開ける。そして、小瓶の口を子供へ向けると、それを小刻みに横に振った。すると、子供の目はゆっくり閉じられ、その数拍後に体が横に倒れる。子供が倒れたことを確認したユーグは瓶の蓋を閉じ、それを静かに懐へ戻した。
 
 その後、ユーグは倒れた子供を優しく抱き上げ、家の外に向かって行く。そして、人の気配に警戒しながら暗い道を進み、藍色をした車の前で立ち止まった。
 車の後部座席の窓硝子は黒く、その中を窺い知ることは出来ない。また、運転席に人が座っていたが、周囲に光源がない為に性別すら定かでは無かった。ユーグは、暗い運転席を覗き込むと、そのハンドルの中心をじっと見つめた。ハンドルの中心には、ユーグが受け取った封筒に押された蝋封と同じ紋章が在り、それは暗闇の中で微かな光を放っている。
 
 ハンドルに刻まれた紋章を見たユーグは運転席のドアを叩き、その音に気付いた運転手はドアを叩く者の顔を見つめた。そして、運転席に座ったまま後部座席の鍵を開けると、手の甲で車の窓を軽く叩いた。
 窓を叩く音を聞いたユーグと言えば、解錠されたばかりのドアを静かに開けた。そして、後部座席に子供を寝かせると、ドアを閉めてから運転席を覗く。
 
「完了。後は、任せた」
 ユーグの声が聞こえたのか、運転手はミラー越しに子供の姿を確認し、車のエンジンを掛けた。そして、運転手は直ぐにアクセルを踏み込むと、一言も発しないままユーグから離れていく。
 
 一人暗闇に残されたユーグは、夜空を見上げて目を細めた。そして、何度かゆっくりとした呼吸を繰り返すと、どこか疲れた様子で歩き始める。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

???
内容の都合上、名無し状態。

顔に火傷の痕があり、基本的に隠している&話し方に難有りでコミュニケーション力は残念め。
姉とは共依存状態。

シスターアンナ
主人公の姉。
ある事情から左足が悪い。
料理は上手いので飢えた子供を餌付け三昧。

トマス神父
年齢不詳の銀髪神父。
何を考えているのか分からない笑みを浮かべつつ教会のあれこれや孤児院のあれこれを仕切る。
優しそうでいて怒ると怖い系の人。

シュバルツ
主人公の緩い先輩。
本名は覚えていないので実質偽名。
見た目は華奢な青年だが、喧嘩するとそれなりに強い。
哀れな子羊を演じられる高遠系青年。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み