茶色いお菓子

文字数 3,030文字

「こんにちは。右の扉は、貴方達の為に開いておりますよ」
 神父は、そう言うと左手を横に向け、ユーグ達は右に在る戸を見やった。そして、神父に向かって頭を下げると、無言のまま示されたドアの方へ向かって行く。ドアの先には、大人が三人は並んで通れる広さの廊下が在り、大きな窓は見当たらなかった。また、ドアの近くに光源は無く、暫くは薄暗い廊下が続いている。
 
 ユーグらが廊下を進んでいくと、その道はなだらかに左に曲がっていった。二人は、左に曲がってから数歩ほど歩いたところで立ち止まり、青年は木で出来たドアを軽く叩く。
 
「どうぞ、開いていますよ」
 ドアを叩く音が聞こえたのか、部屋の中からは声が聞こえてきた。その声は低く落ち着いており、部屋に入る者に対する警戒心は感じられない。声を聞いた青年はドアノブに手を掛け、それを静かに手前に引いた。ドアを開けた者は足音も立てずに部屋へ入り、ユーグはその後を追うように入室する。
 
 二人が入った部屋は廊下より明るく、ドアの正面には木で出来た仕事机が置かれていた。また、その机の上には多くの書類が積まれ、机の向こう側に在る椅子にはローブを身に纏った男性が座っている。机の上には、ペンを始めとした様々な筆記用具も在り、男性の左側には電話が置かれていた。
 
 二人の訪問者が居るにも関わらず、男性は机上の書類に目線を落としていた。彼は、真剣に書類を読んでおり、ドアの閉まる音がしても顔を上げることは無かった。しかし、二人が机の前まで進むと顔を上げ、申し訳無さそうに苦笑する。
 
「申し訳ありません。少々お待ちいただいて宜しいですか? 仕事が増えてしまいまして」
 男性は、そう言うと目線を右に動かした。この時、彼の目線の先にはソファーが在り、それは低い机を挟んで数人が座れる大きさのものが二つ在る。
 
 男性の言葉を聞いたユーグは、小さく頷いてからソファーに座った。そして、その右隣には、黒髪の青年が腰を下ろす。
 一方、二人が座ったところを見た男性と言えば、受話器を手に取り何かを話し始めた。そして、電話越しに指示を出すと、真剣な眼差しで書類を読み始める。
 
 二人が部屋に入ってから十分程した時、その部屋にはドアを叩く音が響いた。音に気付いた男はユーグらに言ったものと同じ台詞を使い、それを聞いた訪問者は部屋に入る。
 部屋に入った女性は両手でプレートを持っており、その上には紅茶の注がれたカップや焼き菓子の乗せられた平皿が有る。女性は、正面に居る男性に会釈をすると目線を左に向け、ユーグらの目を見つめて頭を下げた。その後、女性はソファーに座る者達の前にカップを置き、最後に焼き菓子の乗った皿を机の中程に置く。そして、再び頭を下げると、女性は静かに部屋から立ち去った。
 
 女性が去った後、青年はカップを手に取って紅茶を飲み始める。一方、ユーグは焼き菓子に手を伸ばし、その一つを口に運ぼうとした。
 
「あれ? 手に傷があるけど、どうしたの?」
 青年の言葉にユーグは首を傾げ、それから自らの手の甲を見やった。ユーグの手の甲には小さいながらも傷があり、薄く皮が捲れている所もある。しかし、そこから出血している訳でも無く、ユーグは手の甲を見つめながら片目を細めた。
 
「どうも、しない。痛くも無いし」
 返答を聞いた青年は手に持ったカップを置き、ユーグは甘い香りのする菓子を口に運ぶ。
「そ? でも、仕事で負った怪我なら、言わなきゃ駄目だよ?」
 青年の台詞を聞いたユーグは紅茶で菓子を流し込み、息を吐きながら右手を見つめる。そして、青年の顔を横目で見ると、気怠るそうに話し始めた。
 
「仕事でじゃ、無い。昨日の、仕事、簡単、だったし」
 ユーグは、そう返すと再び菓子を食べ、それを聞いた青年は安心した様子で目を細める。
「なら良いや。仕事で怪我したんなら、俺の責任もあるし」
 青年は、そう言うと皿に乗っている焼き菓子を左手で摘んだ。一方、ユーグは目線を青年の居る方とは反対に向け、つまらなそうに息を吐き出す。
 
「だってさ、俺が向かわせた所での怪我じゃ嫌じゃん。それなら、行かせない方が良かったって思うし」
 青年は、そう言うと焼き菓子を口に放り込み、何度か咀嚼した後で飲み込んだ。彼の台詞を聞いたユーグは怪訝そうな表情を浮かべ、青年の顔を覗き込む。
 
「いや、仕事以外の怪我なら良い訳じゃないよ? でも、仕事に行かなかったら防げた怪我なら……みたいに思っちゃうじゃん、どうしても」
 青年の言葉を聞いたユーグは溜め息を吐き、顔を伏せた。そして、顔を伏せたまま目を瞑ると、呟く様に言葉を発する。
 
「心配、要らない。僕の意思でやるって決めたんだし」
 そう返すと、ユーグはカップを持ち上げ、そこに注がれた飲料を口に含む。一方、青年は前髪を掻き上げて苦笑し、目線を男性の居る方へ動かした。
 すると、男性は書類仕事に区切りが付いたのか立ち上がり、ユーグらの居る方へ向かって来る。彼は、ソファーの傍に来たところで立ち止まり、二人の顔を見てから頭を下げた。
 
「お待たせしました」
 男性は、そう言うとユーグや青年と向かい合う形でソファーに座り、微笑みながら首を傾げた。一方、男性の仕草を見た青年はユーグの姿を横目で見やり、左目を瞑って口を開く。
「ユーグの話から聞いてあげてよ。俺の話は、長くなるから」
 青年の話を聞いた男性は無言で頷き、ユーグの目をじっと見つめた。見つめられた者は少しの間思案した後で頷き、無言のまま懐に手を入れる。
 
「RaLaを使ったから、言っておこうと思って」
 ユーグは、そう言うと懐から小瓶を取り出し机上に置いた。硝子製の小瓶には微かに液体が残っており、その蓋はしっかりと閉められている。
 ユーグの対面に座る男性は指先で机上の瓶を摘み、それを傾けながら照明の白い光に翳した。すると、透明の液体は重力によってゆっくり流動し、それを見た男性は小瓶を手元に置く。
 
「了解しました。何時も通り、手続きをしておきますね」
 男性は、そう返すと目を細めてユーグの目を見つめた。男性の返答を聞いたユーグは小さく頷き、机に置かれた小瓶を一瞥する。
 
「さて、他に報告は?」
 男性の問いを聞いたユーグは首を振り、気怠るそうに口を開く。
「他は、特に無い。子供保護、したのは、分かってるだろうし」
 ユーグの台詞を聞いた男性は微笑を浮かべ、頭を何度か上下に動かした。
 
「そうですか。では、シュバルツの報告を聞きましょう」
 この時、青年は肯定の返事をなし、ユーグはシュバルツと男性の顔を交互に見やった。ユーグの仕草を見た男性は顎に手を当て、頭を左に傾けながら話し始める。
「ユーグ。シュバルツの話は長くなるようですから、他に用事が無いなら帰宅して構いませんよ。食べ足りないのなら、お菓子を持ってかえっても構いませんし」
 男性の提案を聞いたユーグは口角を上げ、皿の上の焼き菓子に手を伸ばした。そして、素早く片手で持てるだけ持つと、立ち上がって男性の目を見下ろす。
 
「じゃ、帰る。気になること有るし」
 ユーグは、そう言い残すと部屋の出入り口へ向かい退室する。他方、シュバルツと男性は座ったままそれを見送り、ユーグの姿が消えた後で顔を見合わせた。
 
「では、報告を聞かせて頂きましょうか」
 男性は、そう話すと目を細めシュバルツの瞳を真っ直ぐに見つめる。対する青年は目を瞑り、大きく息を吸い込んでから口を開いた。
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登場人物紹介

???
内容の都合上、名無し状態。

顔に火傷の痕があり、基本的に隠している&話し方に難有りでコミュニケーション力は残念め。
姉とは共依存状態。

シスターアンナ
主人公の姉。
ある事情から左足が悪い。
料理は上手いので飢えた子供を餌付け三昧。

トマス神父
年齢不詳の銀髪神父。
何を考えているのか分からない笑みを浮かべつつ教会のあれこれや孤児院のあれこれを仕切る。
優しそうでいて怒ると怖い系の人。

シュバルツ
主人公の緩い先輩。
本名は覚えていないので実質偽名。
見た目は華奢な青年だが、喧嘩するとそれなりに強い。
哀れな子羊を演じられる高遠系青年。

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