知らぬは罪か

文字数 6,350文字

 ユーグの怪我が治った頃、その家には黒い封筒が届けられる。封筒が届いたことに気付いたユーグは溜め息を吐き、気怠るそうに中を確認した。すると、そこには向かうべき場所が書かれたカードが入っており、それを読んだユーグは渋々といった様子で家を出る。
 家を出たユーグは、人気のない大木の前に向かっていた。ユーグが向かう場所にはシュバルツの姿が在り、その傍には黒い車が停められている。
 
「さ、乗って乗って」
 シュバルツは、そう言うなり助手席のドアを開けた。一方、ユーグは警戒をしながらも車に乗り、それを見た青年は助手席のドアを静かに閉める。その後、シュバルツは運転席に乗り込み、ユーグを一瞥してからエンジンを掛けた。
 
「じゃ、行こうか」
 言って、青年はアクセルを踏み込む。すると、車は低い音を発しながら進み始め、シュバルツは細かいハンドル操作をしながら公道に出た。シュバルツは、公道に出るなり音楽を掛け始め、そのテンポに合わせて体を揺らす。一方、ユーグは冷ややかな瞳で青年を見つめており、不機嫌そうに息を吐き出した。
 
「ん? この曲、気に入らない?」
 シュバルツは、そう言うと楽しそうな笑みを浮かべた。一方、ユーグはつまらなそうに溜め息を吐き、それから小さな声で言葉を発する。
「別に。ただ、危ない、って」
 ユーグは、そう言うと気怠るそうに欠伸をした。そして、息を吐き出しながら顔を上に向けると、目を細めてシュバルツの顔を横目で見やる。
 
「音楽が? 大丈夫、運転は慣れてるから」
 そう返すと、青年は軽い笑いを浮かべた。対するユーグは怪訝そうな表情を浮かべ、吐き捨てる様に言葉を発する。
「で、何処に、行くの?」
 その問いにシュバルツは苦笑し、体を揺らすことを止めた。そして、ゆっくり息を吸い込むと、ユーグの顔を一瞥する。
 
「それは、行ってのお楽しみ。と言うか、難しい話は運転中に話すべきではない……って言われてるし」
 そう話すと、青年は小さく息を吐き出した。彼の話を聞いたユーグは納得がいかない様子で口先を尖らせ、上着の中に顔を埋める。ユーグは、その姿勢のまま目を瞑ると、ゆっくりとした呼吸を繰り返して眠りについた。

 ユーグが車に乗ってから一時間以上経った時、シュバルツは車のエンジンを切った。運転を終えた青年はユーグの肩を揺すって起こし、今まで眠っていた者は薄目を開ける。
「おはよー、ユーグ。到着したから降りるよ」
 青年は、そう言うと車を降りた。一方、彼の台詞を聞いた者は右手の甲で瞼を擦り、ゆっくりとした動きで降車する。
 
 外に出たユーグを見たシュバルツは車の鍵を掛け、それから大きな欠伸をした。そして、ユーグの居る側に歩いて行くと、笑みを浮かべて口を開く。
「じゃ、行こうか。ちょっと歩くけど、そんなに遠くないから」
 青年の話を聞いた者は小さく頷き、その仕草を見たシュバルツは車を背にして歩き始めた。ユーグは、シュバルツの後を数歩ほど離れて追い掛け、二人は無言で細い道を進んで行く。
 
 二人が道を進んで行くと、その先には木の生い茂った山があった。また、生い茂る木々の手前には木製の小屋が在り、その窓には黒いカーテンが掛けられている。
 小屋が視界に入った時、シュバルツは少しだけ歩く速度を上げた。彼の後ろを歩くユーグは青年に速度を合わせ、シュバルツは小屋の入口前に来たところで立ち止まる。
 
「連絡していた物品、お届けにあがりました」
 青年は、そう言うと小屋のドアを三回叩いた。すると、小屋の中からは白髪混じりの男性が顔を出し、それを見たシュバルツは頭を下げる。
「どうも。今日は、ユーグのことをお願いしますね、ディックさん」
 そう伝えると、シュバルツは一歩下がってユーグの背中を軽く押した。背中を押されたユーグはディックに対して頭を下げ、それを見た青年は小さく頷く。
 
「じゃ、俺は帰るから。詳しいことは、この人に聞いてね」
 そう言い残すと、シュバルツはユーグの返事を待つことなく歩き始めた。一方、小屋の前に残されたユーグはシュバルツの背中を無言で見つめ、それからディックの方へ顔を向ける。しかし、男性は小屋の中に姿を消してしまい、それに気付いたユーグは不安そうな表情を浮かべた。
 
 小屋の中に入ってから数分後、ディックは使い古された鋤を持って現れた。彼は、手に持った鋤をユーグに手渡すと、山の方に向かって歩き始める。この際、ユーグは身動きすること無く男性の行く先を見つめ、足音が無いことに気付いたディックは舌打ちをした。
 
「それ持って、着いてこい」
 ユーグは、男性の低い声に体を震わせ、慌てた様子で後を追った。一方、ディックは慣れた様子で山道を登っていき、数十分程経ったところで立ち止まる。その場所は、今まで通ってきた山道に比べて開けており、雑草の隙間から褐色の土が覗いていた。ディックは、雑草の間に落ちていた小枝を拾うと腰を曲げ、自らを中心として地面に円を描いた。
 
 その円の直径は軽く腕を広げた程度のもので、円を描いた者は直ぐに小枝を投げ捨てる。ディックは、それからユーグの目を真っ直ぐに見つめ、不機嫌そうに話し始めた。
「描いた線に従って穴を掘れ。深さは、お前の腰が埋まる位な」
 それだけ伝えると、ディックは山を降りようとした。一方、ユーグは男性の態度に困惑し、震える声を漏らしてしまう。
 
「あ? 何か質問有るのか?」
 その言葉を聞いたユーグは慌てて首を振り、指定された場所を掘り始めた。すると、男性は満足げに山を下り始め、直ぐにユーグの視界から消えてしまう。
 山の中腹に残されたユーグは黙々と穴を掘り、数時間後には膝が埋まる位に掘り進めていた。しかし、慣れない作業をするユーグの表情には疲れが浮かび、次第に土を掘る速度も落ちていく。
 
 そうこうしているうちに日は暮れていき、一人で残されたユーグは落ち着かない様子で周囲を見回した。この時、指示された作業は殆ど終わっており、ユーグが掘った穴の横には多くの土が積まれている。
 
「お腹減ったけど」
 そう呟くと、ユーグは鋤を足元に突き刺し、額に浮かんだ汗を拭った。
「頑張らなきゃ」
 ユーグは、そう言うと力無く膝を付いてしまった。それでも、ユーグは鋤を支えに立ち上がり、指定された大きさの穴を掘り終える。仕事を終えたユーグは掘った穴から出、穴から数歩ほど離れた位置に鋤を突き刺した。しかし、ユーグが仕事を終えてもなおディックが来る様子は無く、ユーグは気怠るそうに溜め息を吐く。
 
 穴を掘り終えてから数十分後、ユーグの元にはディックが現れる。この時、ディックは大きな麻袋を背負っており、ユーグの掘った穴の横にそれを置いた。
「これ、中身を万遍なく穴に撒け。その後で、袋はしっかり燃やしておけよ。あと、その上から隠れる程度に土を掛けとけ」
 そう言うと、ディックは麻袋の上にマッチ箱を投げる。そして、彼は直ぐに踵を返すと、ユーグが何かを言うことの出来る前に山を下り始めた。
 
「また、帰っちゃった」
 そう呟くと、ユーグはマッチ箱を拾い上げて懐に入れた。そして、麻袋の中身を穴の中に撒くと、その上に空の袋を投げ入れる。ユーグは、懐からマッチ箱を取り出すと一本のマッチに火を付け、それを麻袋の上に投げて落とした。すると、マッチを中心として麻袋は燃え始め、その炎は次第に大きくなっていく。しかし、それだけでは袋は燃え切らず、ユーグは燃え残った部分へ新たに点火したマッチを落とした。
 
 袋が全て燃えた時、ユーグは疲れ切った様子で地面に座り込んだ。この時、穴の中には白や灰色をした欠片が沢山有り、その上に麻袋の燃え滓が残っている。ユーグが撒いた欠片は小石ほどの大きさで、尖ったものや丸いものなど様々な形が有った。
 その後、ユーグはそれが何であるかも気に留めず土を被せていった。その作業は、鋤の扱いに慣れてきた者には簡単なもので、ユーグは十分と経たずに土を掛け終える。
 
 作業を終えたユーグは穴の外側に鋤を突き刺し、疲れた様子で地面に座り込んだ。そして、何度かゆっくりとした呼吸を繰り返すと、寂しそうに目を細めて空を見上げる。
 ユーグが見上げる空には既に星が輝いており、頬を撫でる風は涼しくなっていた。そのせいか、ユーグは体を小さく丸め、体をなるべく外気に触れさせまいとする。
 
 それから程なくして、ユーグの名を呼ぶ声がした。名を呼ぶものは、その身長と同じくらいの高さを持つ苗木を抱えており、ユーグが顔を上げた時にはその根を掘られた穴へと入れている。
 ユーグが穴の方を見やると、そこには苗木を支えるシュバルツの姿が在った。シュバルツの存在に気付いた者はゆっくり立ち上がり、小さく首を傾げて口を開く。
 
「え、何で」
「ほらほら、埋めて埋めて。早く帰りたいでしょ?」
 青年は、そう言うと地面に刺さっている鋤を見つめた。すると、ユーグは鋤を手に取って土を掬い、苗木の根の周りを埋めていく。
 
 ユーグが苗木の周りに土を盛り終えた時、青年は土を踏み固めるよう指示を出した。シュバルツの指示を受けた者は渋々ながらもそれに従い、丁寧に苗木の周りを踏み固めていく。シュバルツは、土がしっかりと踏み固められたところで苗木から手を離し、手に付いた汚れを払ってからユーグの目を見つめた。
 
「さ、やることはやったし帰ろうか。もう、すっかり暗くなったし疲れたでしょ?」
 青年の台詞を聞いた者は小さく頷き、その仕草を見たシュバルツはユーグの持つ鋤を取り上げた。その後、二人は足元に気を付けながら山を下り、ディックが居るだろう小屋の前に到着する。
 
 下山を終えたばかりのシュバルツは、鋤をドアの横に立て掛け小屋のドアを叩いた。そして、青年はユーグに目配せをすると歩き始め、小屋の中からはディックと思しき手が鋤を掴んで引き入れる。
 ユーグと言えば、戸惑いを見せながらもシュバルツの後を追い、二人は徐々に山から遠ざかっていった。その後、シュバルツは無言のまま歩き、白い湯気の出ている場所を見つけるなり笑顔を浮かべる。そして、彼はゆっくり息を吸い込むと、笑顔を浮かべたままユーグの方を振り返った。
 
「ね、ユーグ。帰る前に汚れを落としておく?」
 青年の問いを聞いた者は、その意味が分からないといった様子で瞬きの回数を増やした。一方、その様なユーグの様子を見たシュバルツは微苦笑し、湯気の立っている方を指差して説明を始める。
 
「あそこ、温かい水が湧き出ている場所が有るんだよ。で、そこなら土汚れも落とせるから、どうかなって」
 シュバルツの話を聞いたユーグは小さく首を傾げ、そのまま青年の話を聞き続ける。
「温かい水なら夜でも寒くないし、汚れも落ちやすい。まあ、ユーグが汚れたまま家に帰るって言うなら止めないけど」
 そう言って、シュバルツは湯気の出ている方へ進み始めた。一方、ユーグは怪訝そうに目を細めつつも青年の後を追う。その後、二人は湯気の立つ水源に到着し、シュバルツは汚れた手を温い水で素早く濯いだ。
 
「ユーグも、手ぐらい洗っておきなよ。ちょっとした食べ物を持ってきたけど、お腹を壊したらなんだし」
 青年は、そう言うと濡れた両手を上下に振った。一方、ユーグは小さく息を吐き出し、シュバルツの目を見つめて話し始める。
 
「別に、食べなくていい。姉さん、料理」
 そこまで話したところでユーグの腹が鳴り、それを聞いた青年は声を殺して笑った。この時、ユーグは笑われたことに気付くも表情は崩さず、そのまま話を続けていく。
「作って待って、るかも……だし」
 ユーグは、そこまで言ったところで溜め息を吐き、それから湧水で手を洗った。
 
「かも、だけど……ちょっとだけなら」
 その言葉を聞いた青年は柔らかな笑みを浮かべ、ボトムスのポケットから小さなタオルを取り出した。
「ま、移動するのにも時間が掛かるし。ここに来てから何も食べていないだろうから大丈夫だって」
 そう伝えると、シュバルツは取り出したタオルをユーグに手渡す。
 
「ま、遅めのおやつって思えば良いじゃん?」
 青年は、そこまで話したところで歩き始め、ユーグは手を拭きながら後を追った。その後、二人は会話もせずに黒い車に乗り込み、シュバルツは助手席に座る者へ小さな箱を差し出す。
 
「途中で買って来たサンドイッチ。結構ハムが厚くて、美味しいと思うよ?」
 シュバルツの説明を聞いたユーグは箱を開け、その中に入っているものを確認する。すると、箱の中には青年の言った通りのものが複数入れられていた。それは、四角く切り揃えられたパンにハムを挟んだ料理で、それぞれにたっぷりのバターが使われている。
 
 ユーグが箱の中を見ている時、青年はダッシュボードに手を伸ばしていた。ダッシュボードの上にはアルミ製の水筒が置かれており、シュバルツはそれを掴むとユーグの目の前にそっと差し出す。
「はい、飲み物。喉も乾いているでしょ?」
 シュバルツの問いにユーグは頷き、無言でそれを受け取った。そして、水筒に入れられた紅茶を飲むと、どこか満足した様子で目を細める。
 
「到着まで時間があるし、ゆっくり食べてね」
 そう伝えると、青年は車のエンジンを掛けてアクセルを踏み込んだ。一方、ユーグはサンドイッチの一つに手を伸ばし、それを静かに口へと運ぶ。
 それから程なくして、ユーグは箱に入れられた食物を食べ終えた。食事を終えた者は空になった箱を閉め、ゆっくりと紅茶を口に含む。その後、ユーグは水筒に入った紅茶を飲み干すと、満足そうに目を細めて息を吐き出した。
 
「ね、ユーグ。今日の仕事はどうだった? まあ、好意的な答えは期待してないけど」
 ユーグが一息ついたことに気付いたのか、シュバルツはそう問い掛けると助手席に座る者を一瞥する。対するユーグは首を傾げ、それから質問に対する答えを話し始めた。
 
「訳、分かんない。いきなり、掘れ、とか」
 ユーグの話を聞く青年は頷き、それを見た者は話を続ける。
「おじさん、怖いし。置いて、行かれるし」
 ユーグは、そこまで話したところで溜め息を吐き、シュバルツの横顔をじっと見つめる。
 
「説明しないで埋めろ、って言われるし」
 その一言を聞いた青年は苦笑し、気まずそうに頭を掻いた。一方、ユーグは青年の横顔を見つめ続け、数分が経ってもそれを止める様子は無い。
「あー……ごめん。俺も、ディックに指示されただけだからさ」
 シュバルツは、そう言うとゆっくり息を吐き出した。対するユーグは目線を前に向け、腕を組んで目を細める。
 
「昔からああなんだよ、あの人。人との関わりを極力避けてるって言うか」
 そう言うと、青年はどこか疲れた様子で欠伸をした。
「ま……逆に言えば、ディックから秘密が漏れる心配は低い。とも言えるんだけど」
 青年は、そこまで話したところでユーグを一瞥し、柔らかな笑顔を浮かべてみせる。
 
「他には? 俺に言いたいことが有るなら、今のうちだよ?」
 その問いにユーグは首を振り、それから気怠るそうに口を開いた。
「別に。楽じゃ、無かったけど。仕方ないし」
 ユーグは、そう返すと大きく息を吐き出した。そして、目を細めて欠伸をすると、低い声で言葉を発する。 
 
「眠い……し」
 ユーグは、そう言うと細めていた目を閉じてしまった。一方、それに気付いた青年は苦笑し、小さな声で言葉を発する。
「ま、一応合格……かな?」
 そう言うと、シュバルツはアクセルを踏み込んで車の速度を上げた。暫く車を走らせた後、シュバルツはユーグを呼び出した場所に車を停める。彼は、エンジンを切るとユーグを起こし、起こされた者は眠たそうに目を開いた。
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登場人物紹介

???
内容の都合上、名無し状態。

顔に火傷の痕があり、基本的に隠している&話し方に難有りでコミュニケーション力は残念め。
姉とは共依存状態。

シスターアンナ
主人公の姉。
ある事情から左足が悪い。
料理は上手いので飢えた子供を餌付け三昧。

トマス神父
年齢不詳の銀髪神父。
何を考えているのか分からない笑みを浮かべつつ教会のあれこれや孤児院のあれこれを仕切る。
優しそうでいて怒ると怖い系の人。

シュバルツ
主人公の緩い先輩。
本名は覚えていないので実質偽名。
見た目は華奢な青年だが、喧嘩するとそれなりに強い。
哀れな子羊を演じられる高遠系青年。

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