傷つけられない場所

文字数 4,143文字

 姉が目を覚ました時、彼女は病院の一室に居た。彼女の隣には妹が寝かされていたが、衰弱している為か眠ったままである。
 
 彼女が頭を擡げると、その左足にはギプスが嵌められ、左腕には点滴の針が刺さっていているのが見えた。姉は、必死に今の状況を判断しようと周囲を見回し、隣に見慣れた姿をみつけて一息つく。部屋には四つのベッドが置かれていたが、彼女の対面に在るベッドには誰も居らず、その部屋は姉妹の貸し切り状態とも言えた。室内は二人が寝ていた為か明かりは点いておらず、外から差し込む光が部屋を照らしていた。また、白で統一された室内はどこか寂しい雰囲気で、姉は気を落ちつけようと隣に居る妹の姿を見る。
 
 姉が妹の姿を見ていると、病室には一人の青年が入ってきた。青年は、黒い髪を肩まで伸ばしており、仕事帰りなのか黒いスーツを身に着けている。また、彼が履いている革靴も黒く、スーツから覗くシャツは藍色をしていた。青年の瞳は青色をしており、その目尻はやや釣り上がっている。また、彼の耳には羽根の飾りが付いた銀の装身具が嵌められ、左手の甲には刃物で切られたような古傷が有った。
 
 姉は、その姿を見るなり驚いたような表情を見せ、体を起こそうとする。しかし、緊張の為か上手く動けず、横たわったまま青年の顔を見つめていた。
 
「ごめんね。助けるのが遅くなって」
 青年は、そう言うと頭を下げ、それを見た姉は不思議そうに目を丸くする。その後、姉は青年の目を見つめると、恐る恐る口を開いた。
 
「あの、あなたは誰……ですか?」
 姉の問い掛けを受けた青年は顔を上げ、無表情のまま自らの胸に手を添える。
「俺の名前はシュバルツ。調子はどう?」
 シュバルツは、そう言うと姉の居る方へ進んでいった。対する姉は一瞬脅えた様子を見せるが、目を瞑って気持ちを落ち着けると、青年の瞳を真っ直ぐに見つめる。
 
「あの、大丈夫だと」
 姉の返事を聞いた青年は頷き、妹の姿を一瞥する。そして、病室の壁に寄りかかると、姉の顔を見下ろしながら口を開いた。
「本当? ここの医者から、怪我をしてから何日か経ってしまったって聞いたんだけど」
 青年は、そう言うと首を傾げ片目を瞑る。彼の話を聞いた姉は自らの脚を見やり、長く息を吐き出した。
 
「多分……えっと、ここってお医者さんなんですか?」
 姉の質問にシュバルツは頷き、壁に寄りかかったまま腕を組んだ。
「そ、ここは病院。虐待されていた君達を、手遅れになる前に連れてきたって訳」
 青年は、そう言うと天井を見上げ息を吐き出す。そして、顔を天井に向けたまま目を瞑ると、辛そうに言葉を発した。
 
「そんな怪我をさせる前に行ければ良かったんだけど」
 シュバルツは、そう言うと姉の顔を見つめて目を細める。
「本当、ごめんね」
 言って青年は頭を下げ、それを見た姉は首を横に振った。そして、両手を握り締めると、絞り出す様にして言葉を発する。
 
「あの、家からは出るつもりだったので。えっと、でも、その前に閉じ込められちゃって」
 姉は、そう言うと目を伏せ、彼女の話を聞いた青年は顔を上げた。
「だから、その……連れ出して貰えて良かったです」
 そう伝えると、姉は笑顔を作ってシュバルツの顔を見上げる。彼女の気丈な台詞を聞いた青年は口元を押さえ、強く目を瞑った。そして、うっすらと目を開けると、口に当てた手を離して息を吸い込む。
 
「そうか」
 それだけ言うと、青年は黙り込んでしまった。彼は、数分間そうした後で壁から背を離し、妹が寝ているベッドの横に移動する。この時、妹に起きる様子は無く、青年は姉の方に顔だけを向けた。
「君達の好きな食べ物って何?」
 シュバルツの問いを聞いた姉は大きな瞬きをし、少しの間を置いてから返答する。
 
「セーラ……えっと、妹は甘いお菓子なら何でも好きです」
 姉は、そう言うと青年の体越しに妹を見つめた。そして、ゆっくり息を吸い込むと、姉はどこか不思議そうにシュバルツの顔を見上げる。
 
「私は……その、苺とかオレンジとか」
 姉の話を聞いた青年は頷き、病室の出入り口の方へ向かった。その後、彼は病室を出る前に振り返り、左手を振りながら姉の目を見つめる。
 
「じゃ、お大事に。レイラちゃんにセーラちゃん」
 青年は、そう言うや否や病室を立ち去った。一方、不意に名を呼ばれた者は困惑した様子で頭を擡げ、シュバルツを呼びとめようとする。しかし、既にシュバルツは病室を離れており、レイラは不思議そうな表情を浮かべて溜め息を吐いた。

 シュバルツの訪問から数分後、薄い桃色の白衣を着た看護師が病室に現れる。彼女の白衣の袖は短く、ボトムスの裾には簡略化されたウサギの刺繍が施されていた。看護師は、胸にカルテと薄い冊子を抱えており、レイラの顔を見つめて笑顔を浮かべる。
 
「こんにちは」
 レイラは挨拶を返し、その後は簡単な問診が有った。看護師は、問診で得た情報をカルテに書きこんでいき、書き終えたところで寝たままのセーラの元へと向かう。
 
 看護師は、セーラの胸がゆっくりと規則的に動いているのを見つめ、それから少女の右手首をそっと掴んだ。そして、胸ポケットから懐中時計を取り出すと、セーラの脈を測り始める。看護師は、三十秒程そうした後で手を離し、時計を元の場所に戻した。そして、カルテに脈拍数を書きこむと、心配そうに小さな患者を見下ろす。
 
 その後、看護師はレイラの方に向き直り、所持していた冊子を手渡した。その冊子には、病院での生活に関する説明が書かれており、子供にも分かり易いよう可愛らしいイラストが入っている。看護師は、レイラの横でしゃがみ込むと、冊子を使って入院中の生活について簡単な説明をしていった。彼女は、全ての説明を終えたところで立ち上がり、何か質問はないかとレイラに尋ねる。この際、レイラは暫く考えた後で首を振り、それを見た看護師は病室を出た。
 
 レイラは、看護師が立ち去った後で妹の居る方へ目線を動かし、その状態を確かめようとする。姉は心配そうに妹を見つめるが、セーラは未だに起きる気配が無かった。この為、レイラは寂しそうに目を細め、悲しみを紛らわせようと強く目を瞑った。
 看護師が去ってから数十分後、レイラは眠りに落ちていた。彼女の表情は、良い夢を見ているのか綻び、血色も良くなっているようにも見える。しかし、急に苦しそうな声を漏らすと、レイラは脂汗を浮かべながら目を開いた。
 
「あ、ごめんね。起こしちゃったみたいで」
 レイラが声の方に顔を向けると、そこには先ほど訪れた看護師と白衣を着た医者の姿が在った。白衣を着た医者達は妹のベッドの横に立っており、医者がセーラの診察をしているようである。
 
「眠たかったら寝ていいのよ。今は体力を回復させないと」
 看護師は、そう伝えると微笑み、レイラの目を優しく見つめる。一方、レイラは妹の状態を確かめようと、顔をセーラの方へ向けた。すると、レイラの考えていることが分かったのか、看護師は首を傾げながら口を開く。
 
「セーラちゃんの目が覚めたの。それで、ちょっと診察をね」
 看護師の話を聞いたレイラは頭を擡げ、妹の姿を良く見ようとした。しかし、脚が固定されている為か、上体を起こすことは出来ない。
 
「あの、セーラは……妹は、大丈夫ですか?」
 レイラは、看護師の顔を見上げて質問すると、心配そうに目を細めた。それから、姉は顔を横に向け、何とかして妹の様子を窺おうとする。
「大丈夫よ。栄養状態は悪いけど、命に別条は無いから」
 そう返すと、看護師は人差し指を立てて唇に当てた。そして、軽く首を傾げると、レイラを安心させるべく笑顔を浮かべる。一方、彼女の言葉を聞いたレイラは天井を見上げ、目を瞑った。
 
「良かった。もし、セーラが居なくなったら私」
 レイラは、そう言うと涙を浮かべ、下唇を噛んだ。それを見た看護師はレイラの傍に行き、その頭を優しく撫でる。頭を撫でられた少女は細く目を開き、看護師の顔をぼんやりと見つめた。
「大丈夫。私達なら二人の治療をしてあげられるし、この病院は安全だから」
 看護師は、レイラから手を離して息を吸い込んだ。
 
「だから、今は自分の怪我を治すことだけ考えてね。夕方には食事が出るけど、嫌いな料理でも残しちゃ駄目よ」
 看護師は、そう言うと笑顔を浮かべ、セーラの方に向き直った。彼女の台詞を聞いたレイラは微苦笑し、頭を傾けて妹の様子を窺う。そして、姉は医師や看護師の背中越しに妹の姿を見やり、どこか安心した様子で息を吐き出した。
 
 暫くして、その部屋での仕事を終えた医師達は病室を出る。この時、レイラは再び眠りに落ちており、病室は静まりかえっていた。
 それからゆっくりと時間は過ぎていき、一時間程したところで看護師が部屋に入ってくる。看護師は患者の点滴を外すと部屋を出、目が覚めたレイラはセーラの方を見やった。しかし、妹は寝ているのか動く様子は無く、レイラは悲しそうに溜め息を吐く。そして、ぼんやりと天井を眺めると、そのまま目を細めていった。
 
 空が暗くなり始めた頃、看護師は二人分の食事をカートに乗せてやってきた。彼女は、食事を乗せたカートを姉妹のベッドの間に置き、レイラの目を見て微笑んだ。看護師は、レイラのベッドに簡易テーブルを設置すると、その上に金属製のプレートを置く。そのプレートの上には、オートミールやスプーンが置かれ、果物の汁が混ぜられたミルクも乗せられている。看護師は、レイラの体を起こしてからセーラの方に向き直ると、カートの上から擦り下ろされた果物の入った容器とスプーンを手に取った。彼女は、それらを持ったままセーラのベッドに腰掛け、擦り下ろされた果物をスプーンで掬う。彼女は、そのスプーンをセーラの口元に運び、それを見た少女は口を開いた。
 
 セーラは、スプーンに乗せられた食物をゆっくり飲みこみ、看護師はそれを見ながら新たに食物を掬う。そうして食事は進んでいき、レイラも妹の様子を横目で見ながら料理を口に運んでいった。
 二人の食事が終わった時、看護師は開いた食器をカートに乗せ去っていった。看護師が去ってから少しした時、レイラは妹の方に顔を向けて口を開く。
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登場人物紹介

???
内容の都合上、名無し状態。

顔に火傷の痕があり、基本的に隠している&話し方に難有りでコミュニケーション力は残念め。
姉とは共依存状態。

シスターアンナ
主人公の姉。
ある事情から左足が悪い。
料理は上手いので飢えた子供を餌付け三昧。

トマス神父
年齢不詳の銀髪神父。
何を考えているのか分からない笑みを浮かべつつ教会のあれこれや孤児院のあれこれを仕切る。
優しそうでいて怒ると怖い系の人。

シュバルツ
主人公の緩い先輩。
本名は覚えていないので実質偽名。
見た目は華奢な青年だが、喧嘩するとそれなりに強い。
哀れな子羊を演じられる高遠系青年。

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