第41話 襲撃

文字数 4,302文字

 傾き始めた太陽、どこかへ急ぐ子供達、段々と思い出してきたのはいつもと変わらぬ下校風景、だが今日は横にあいつらはいない。代わりに華奢で色の白い少女が弾けるような笑顔で俺を見る。

「嬉しいな〜ナオ君と帰れるの、いつも永瀬君たちと帰っちゃうもんね。」

「おお、そうだなぁ。」

 未来のはにかむ様子を見て俺は複雑な気持ちになる。あいつらは上手く渡を追跡できているだろうか、途中で見失ったりバレて計画がご破算になってしまったりしていないか。
 どうしても返事がぶっきら棒になってしまうが未来は俺と帰宅出来るのがよほど嬉しいのか特に気にする様子もない。男としてなんとも不甲斐なかった。

「ねぇ、いつもあの森の秘密基地でなにしてるの?今度未来も行ってもいい?」

 未来の無邪気な言葉に俺は慌てる。今は色々まずい、幾田も出入りしていると知られたらどうなるか。

「みんなでダラダラしてるだけ。やめといた方がいいよ、蚊とか多いしそれに未来の嫌いな工藤もいるんだよ?」

「えーじゃあ2人だけで行けばいいじゃん。それに未来、虫除けスプレー持ってるし大丈夫だよ?」

 なにかと理由をつけてあの場所から未来を遠ざけてきたが、いよいよ2人きりで炭焼き小屋に行こうと言われるとは面食らった。
 もしそれを実行してその事が仲間たちにバレたら、それはそれで奴らから袋叩きにあうだろう。
 中学生とは言え、1人の女性と付き合うと言うことはある種の板挟み状態に陥る場合があると身に染みて感じた。

「じゃあ〜また今度な。まぁゆくゆくは連れて行ってあげるから。」

「そればっかり言うよね、いつもそれで誤魔化されてるんだけど。それになに?そのバットは。私を仲間外れにしてやる野球は楽しいですか?」

「いやそんなこと…。」

 未来を怒らせてしまった。フン、とわざとらしい態度でそっぽ向く未来とは幾度と無くこのような馬鹿らしい理由で喧嘩になっている。俺も学習しないとならない、とにかくこう言う場合は謝罪が一番だ。

「ごめん、ほんとに。ねぇ、こっち向いてよ。謝るからこっち向いてってば。」
 歩きながら顔を背ける未来に精一杯頭を下げる。

「急いでるんでしょ、この後も遊びに行くの知ってるし。」

 不意にこちらに振り向いた未来が俺につっけんどんな態度でそう言った。
 怒りの表情の中に、大きな瞳だけは寂しそうに俺を見据えている。

「そうなんだよ。でも大丈夫だよ、少しくらい。」
 正直渡の尾行の方が気になっていたので、未来なりにこちらの時間を気にしてくれているのは少し嬉しかった。

「ううんいいよ、時間なくなるでしょ?近道通ろう。」

 未来は許してくれたのか、分からないがツンとした態度で一本の道を指差す。そこは盛り上がった陸橋の下に続く長く暗いトンネル。昼間でも人通りが少なく、ここで過去に引ったくりや通り魔事件も起きており、名実ともに最悪のトンネルであった。また治安の悪さを抜きにしてもちょっとした心霊スポットとしても有名であるため、余程の事がないと通りたくは無い。


「いいの?ここ通るのいつも嫌がるじゃん。」
 無論、俺もここを通ることを躊躇う。

「大丈夫だよ、さぁ行こ?」

 俺への当て付けなのか、こちらを置いて未来はスタスタとその中へ入っていく。確かにここを通れば未来の家へショートカットして向かうことができるが、普段はここは幽霊が出るから通りたく無いと未来自身が極力通過を避けていた。
 
 
 「おおい待ってよ。」
 すぐに俺もジメジメとしたトンネルに入る。久々にここへ来たが相変わらず日中でも気味の悪い場所だ、犯罪が多発していることも頷ける。細くて長いトンネルの少し先を俺の呼びかけを無視しながら未来が進む。

 信じてもらえないだろうしあまり人に話したことはないが俺は所謂霊感と言うものが強いらしく、幼い頃から人に見えないものや気配といった類の物を感じやすい。
 現にこのトンネルの内部には良くない負のエネルギーのような物が満ち溢れている気がしてどうも足が竦む。未来を追う足がなかなか動かない。

「えっ、あっ。あれって。」

 急にそう声をあげた未来が立ち止まる。ちょうどトンネルの半分まで差し掛かったあたりだろうか、未来の肩越し、ほんの少し先に誰かが立っているのが見える。
 
「あっ、ちょっ。」

 何かを言いかけた未来が突然、膝から崩れ落ち目の前に立っていた人影の全貌が明らかとなる。


 この世で最も遭遇したくない存在、大女だ。
また黒いワンピースを纏った巨大な女がその場に仁王立ちしている。

「未来っ!」
俺が呼びかけるが未来はその場に倒れ込み、苦しそうな表情をしている。すぐに駆けつけ体を揺するが、気を失っているのかこちらの呼びかけに応えない。

 俺は屈んで未来の身体を何度も叩きながら、およそ5メートル程の距離に佇む大女に大声で怒鳴る。

「くそっ、またお前か!?未来に何をした!?」

 四肢を放り出しぐったりとした未来の身体を持ち壁にもたれる姿勢を取らせ、立ち上がった俺は恐怖心を抑え震える身体から目一杯声を出す。

「ナンニモ。」

 それは女性とは思えないほど低く不気味な声だった。大女とは二度目の対峙、正確には三回目となるが奴と言葉を交わしたことはこれが初めてだった。いつも何か唸り声などを上げていたが意味のわかる会話はこれが初めてだ。それより狂気を含んだ人の声はここまで低くなるのかと怯む。

「ふざけんじゃねえ、なにかしただろ!?今すぐここから消えろ!」

助けを呼ぶよりまず先に大女を追い払おうと俺は立て続けに叫ぶ。だが大女は不敵な笑みを浮かべ大きく吊り上がった口から白い歯をチラつかせこちらを挑発しているような態度をとる。日没が訪れる前にこいつに会うのは初めてだがこんなに筋骨隆々だったのか、まともにやり合えば間違いなく殺される。

 未来が気絶している以上、俺一人でここから逃げるわけにはいかない。奴は俺がここを通過すると見越して待ち伏せしていたのか、はたまた偶々か、どちらにせよここを通りかかった人間を襲撃する算段だった事に変わりはないようだ。
 そして大女の本日の武器は手斧か、相変わらずリーチはないがこれまでより飛び抜けて殺傷能力が高い。そこから強烈な殺意が窺える。

「てめぇ、ふざけんな!」
 威勢よくそう叫んだが、それに反して体が竦む。奴の目をここまで至近距離で見たのは初めてだったが、そのあまりの異様さに圧倒された。
 真っ黒なアイラインを施しているのか、目尻まで黒々としていて、明かりが少ないこのトンネルの中でも奴の白い顔だとよく目立っていた。

 だがそれよりも俺が衝撃を受けたのは奴の瞳そのものだった。三白眼を通り越して目が異常なほど白い、というより最早肌色に近い。悪意と殺意を持った眼球と言うべきか、昨日追いかけられた時はとにかく黒いという印象だったが今日は見開いた眼光の鋭さが際立つ。

「うっ、なんだこれ?畜生!」

 大女と目が合い睨み合っていると突然立ち眩みが起こる。吐き気を伴い立っていられないほどの目眩がしてきた為、俺もその場に膝をつきそうになった。魅入られると言う言葉があるが、未来も奴の不気味な瞳を凝視してしまった為一種のショック症状を起こしたのか? とにかく奴の目をじっと見るのは危険だと体が理解する。
 冷静に分析していられないが、俺までここで倒れると奴に何をされるか分かったものじゃない。

 大女は獲物を目の前に余裕の表情なのかニヤつき、俺が弱るのを待つようにまだ動かない。おおよそ倒れたところを襲うつもりだろう。気を失いそうになるも背中に掛けていたバットケースを杖のように地面に突き立て、なんとか間一髪でバランスを取る。

 そうだ、この握ったバットは何の為だ。一気に全身に力が入る、大女が何をしたかは分からないが、どうやらこれは致命傷にはなっていないらしい。
 自分を奮い立たせる為に渾身の力を込めた声をあげる。

「おい、あんまり調子に乗るんじゃねえぞ!てめぇ来てみろ、ガチでブン殴るぞ?」

 ケースから抜刀するかの如くバットを抜く。そして竹刀を握る要領でバットを構え、その先端を大女に向ける。

 少年野球の練習中に友達とバットでチャンバラごっこをしていた時に、今は亡き恩師の細川コーチにこっ酷く叱られた事があったが今だけは許してくれ細川コーチと心の中で呟く。
 
「来てみろ!お見通しなんだよ、お前の襲撃も今日で終わりだ!」

 俺が威嚇すると、大女の方は変わらず何も言わずにじっと立ち尽くす。お互い睨み合いが続くがその間絶対に目を見続けないように努めた。
 誰か来てくれ、通りすがりの人でも何でもいい、とにかく助けが欲しかったが全く人が来ない。


 すると突然、大女の方が予想外の行動を起こす。
 手に持っていた斧をいきなり手放してニヤニヤと先ほど以上に不気味な笑みを浮かべた。それと同時にトンネル内に金属音が響き渡る。

「ハンデ。」

 大女は確かにそう言った。またもいったいどこから出しているのかわからない程の低い声が俺に十分な威圧をかける。
 ハンデだと?ふざけているのか、この状況で。理解が追いつかない。

「はぁ!?お前何言ってんだ?頭おかしいのか?」

 驚いて聞き返すと大女が突然体勢を変える。
肩幅より少し開いた両足、右が歩幅一歩分ほど少し前になっている。体を半身に捻り爪先が少し内側に向き、拳は両方顎の近くで構えている。
 俺はこの構えを知っている。

「空手か!?」

 それもサウスポーの構えだ。これが大女の思いつきの奇行とは思えない。全くぶれない上半身に加え流れるような作法は経験者のそれだった。
 素人にありがちな拳が下がるような下手くそなフォームではない。
 俺も空手をしていた頃は大人含めいろんな相手と組み手を何度もこなしてきたが、ここまでの巨体とはもちろんやった事が無い。ここは奴の意味も不明なハンデを受け取り、こちらは武器を使うのが賢いと瞬時に理解した。この女、めちゃくちゃに筋肉質な上に手足の長さもかなりの物だと改めて体格差を思い知る。

「この野郎、舐めやがって。未来に指一本触れてみろ!殺してやる!」

「ワタシガカッタラ、コロスネ?」


 俺の叫び声と大女の放ったその一言が試合開始のゴングのようになり、大女と俺が互いに飛びかかった。
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