第36話 不意
文字数 4,438文字
翌朝、バッドを持って何食わぬ顔で登校した俺たちに教師たちの風当たりは強かった。
校門を通り過ぎようとした瞬間に教師たちの質問責めが容赦なく降り注ぐ。
だが元野球部の俺たちは自主練の為という強引な主張で全てを押し通すことができた為、バットを取り上げられることなく教室に到着できた。
「危なかったな、親にもバットなんて必要ないでしょって言われて5分くらい口論になったんだよ。」
自分の机に伏せた片桐がやれやれとため息をつく。
「俺もだ。でも野球部でよかったわ。バット持ち込めるなんて役得だよほんと。」
俺はバットケースを摩りながら、横目で渡の席の方向を見る。今日もしっかりとその姿が確認できた。昨日と一昨日同様に、自分の机に座り静かに本を読んでいる。
こちらに何かアクションを仕掛けてくる様子は無い。昨日の事は無かったことになっているのか、というかはじめからこちらを全く気にしていないように見えた。
「おう、お前らちゃんとバット持ってきてるじゃん。」
片桐と話していると、上野が後ろから飄々とした雰囲気で姿を表す。
「校門にドルジがいたから危うく没収されかけたけど何とかなったよ。それよりあの二人はまだ来てないのか?」
俺は上野に工藤達がいないかを尋ねるが、上野はまだ来ていないと答える。
「あと俺もちゃんとパチンコ持ってきたぞ。庭で空き缶を打つ練習もしたからバッチリだ。8割は命中するようになった気がするな。」
「おお、お前すごいな。残りの2割も頼むよほんと。」
片桐がそういうと上野はまぁそれはと言って笑った。3人で談笑していると工藤と佐野が教室に入ってくる。佐野の手にはバットケースが握られていなことに首を傾げた。
「おはよう、あれ?佐野バットは?」
俺は工藤の後ろに気まずそうに隠れていた佐野の方を指差す。ギクリとしたような顔をして佐野は目線を背け何も言わない。
「はい皆さん聞いてください。佐野さん、バット忘れたそうです。」
工藤はもじもじとしていた佐野を俺たちの前に押し出しながら笑う。俺たちはえーっと驚愕の叫びを上げてしまった。片桐が笑みを浮かべながらも怒ったような口調で佐野に問う。
「お前マジか?昨日あんなに言っておいたのに忘れたの?」
「しょうがねぇだろ、朝急いでて忘れちまってたんだよ。」
「散々忘れるなって言ってたんだから前の晩に用意しとけよ。お前小学生かよ、なにやってんの?」
逆上気味にしょうがないと繰り返す佐野に思わず俺も苦言を呈するが、これでただでさえ低い戦力が大幅にダウンする事になる。
「どうすんだ。バットないならこいつ素手で戦わせようぜ。」
「いやもう佐野は都合が悪くなったら生贄にしよう。その間に俺らは逃げればいい。」
上野が笑ってそう言うと工藤も半笑いで佐野を犠牲にすることを提案する。実際、武器のない佐野が役に立つことと言えば囮くらいだろう。
とりあえず佐野は後ろから石でも投げておけと全員の意見が一致し、後方部隊へ回ることで話は決着がついたが、バットを持った俺を不審そうな目で見ながら幾田が現れる。
「おはようみんな。あれ、どうしたの?それバットだよね?」
「おはよ、バットは護身用だよ。」
幾田の問いに片桐が周りに聞こえないよう小声で答える。もう部活を引退した俺たちがバットを持ってきていることは誰の目にも怪しく映るようだ。
「あ、護身用…。」
何かを察したのか幾田は口籠る。護身用という言葉にすぐに大女対策であることを理解したようだ。
「ひぐらしのなく頃にってアニメ知ってるか?その主人公も身を守るためにバットを常に持ち歩いてんだよな確か。」
佐野がまたよく分からないことを言うと幾田の困惑の表情がさらに強張る様子を見せる。
「そ、そうなんだ。佐野君はバット持ってないけど。ていうか通り魔と戦うつもりなの?」
「いやいやそうじゃ無い。だから護身用なんだって、もし襲われたら応戦するために持ってるだけだからこっちから攻撃仕掛ける訳じゃ無いから。」
昨日の片桐よろしく、今日は工藤が必死に弁解し、大女と戦うわけでは無いということを何度も強調する。俺もあくまで戦わざるを得ない場合のみに使用することを幾田に説明する。
「そうそう、もし通り魔に出くわした時の為にな。襲われたら追い払うためにバット持ってんの。」
「えっ、危なくないの?色々やばくない?」
予想していた通りの反応をする幾田にまたいちいち説明するのは正直煩わしかった。昨日工藤たちを説得するだけでもかなり時間がかかったので、あまりことを荒立てて欲しくはなかった。
大女と交戦する事となればそれはもう最悪の事態であることはこちらも分かっている。
「まあまあまあ、別に俺らもさ?通り魔を殴りに行こうって訳じゃないんだよ。身を守る為に仕方なくこうやってバット持ってきてるんだよ。」
片桐がうまく幾田を言いくるめる。幾田も一応納得したのかそうなんだ、とうなずく様子を見せた。
「で、俺はパチンコが武器で工藤はエアガン。佐野さんは生贄係ってことになりました。」
上野が佐野の肩を掴み笑って見せると、一同が笑う。
「ふざけんな。俺逃げるからな絶対。」
佐野は照れ臭そうな表情で上野の手を払い除け、そう叫ぶ。そこからまたしばらく佐野がバットを持ってこなかったことに対し全員が酷い言葉で詰めかけていると、唐突に幾田が話の腰を折る。
「私最初さ、バットで渡さんを殴りに行くとか言い出すのかと思ってほんとにびっくりした。」
いきなり幾田がとんでもない発言をしたため、また一同が大笑いをしながらそれを否定する。
「そんなわけないじゃん。」
「この女発想が怖えよ。」
「俺らそこまで過激じゃないって。」
俺達がそういうと幾田も恥ずかしそうに笑いながら両手で紅潮した顔を覆って呟く。
「ごめんごめん、私なに言ってんだろうね。頭おかしくなっちゃってるね。」
「いくらなんでもその発想はヤバすぎるよ。辞めてくれよ、周りに怪しまれちゃうから。」
俺が笑って再度否定すると他のメンバーも和やかなムードに包まれた。
「おはよう、なんでバットなんて持ってるの?」
不意に俺たち以外の声が背後から聞こえる。その美しい声の持ち主を確認する為に一同が振り向く。
そしてそこに立っていた意外な人物に全員が驚きと衝撃を隠せない。
「あ、渡さん…。」
そう最初に呟いたのは片桐だった。なぜこのタイミングで渡がこちらに接触を試みたのか、首を傾げ微笑を浮かべる美少女から全く意図が読み取れない。いきなり現れた渡に誰もが驚きたじろぐ。
「えっと、これはその放課後みんなで野球しようと思ってて。そうだよな?みんな。」
俺はなるべく気が動転していないように取り繕うが、周りの仲間達は皆固まった表情をして動かない。
「ふーん、そうなんだ。でもバット二本もいるのかな?」
渡の勘ぐる様が俺たちの心を見透かしている。この女は、既に俺たちの思惑を知っているのではないかとさえ感じたが、とにかくこのバットの目的が正当であることを伝えようと何か言い訳を探した。
「えっと、予備のバットなんだよな?」
工藤は渡に目を合わさず、視線を空に向けながらそう答える。あまりにも不自然な工藤の返答だが、それよりも不自然なのはなぜこのタイミングで渡が俺たちに話しかけてきたのかということだった。
「へぇ、そうなんだ。私をどうのこうのって聞こえたから来たんだけど。」
渡が凍りついたような瞳を携え、やや上がった口角からそう言い放つ。どうやら幾田の失言が聞こえていたようだ。
「えっ、言ってないよ。聞き間違いだろ。なぁお前ら?」
と片桐が全員に、特に幾田に視線を向けながら答える。幾田は苦笑いを浮かべ、一歩身を引く。
「そうだよ、一組の渡邉も誘おうって言ってたからそれを聞き間違えたんじゃないかな〜?ハハハハ。」
これも妙な言い訳だったが上野が作ったような笑みを浮かべ口から出任せに適当な言葉を繋ぎ俺たちも頷いて見せる。
「そうなんだ。幾田さんも参加するの?」
また渡が何かに憑依されているかのように淡々と質問を投げかける。昨日屋上に呼び出した時よりも冷淡さが際立っており、その異様な雰囲気に息を飲むよりも呼吸自体が出来ないような胸の苦しさを覚えた。
「わ、私は関係ないよ。ちょっと話してただけだよ。」
「そっか、ふふ。そうだよね。女の子だもんね。」
またもや渡が静かに笑う、今日は一段と不気味なその様子に俺たちは知らないクラスメイトが一人増えていることの異常性を今一度実感した。
今普通に会話しているが、こんな女は見たこともない。
「でも今は寄り道なんてせず真っ直ぐ帰ったほうがいいよ。通り魔が捕まってないからね。」
全員が次の言葉を言いあぐねていると、渡が静かだがやや強い口調で俺達にそう言った。
「ああ。そうだよな。ご忠告どうもありがとう。」
少し間を置いて片桐がそう答える。俺は心を読まれているような気がして、なにも答えられなかったが辛うじて片桐が返答してくれたので俺も便乗するように相槌を打つ。
「うん、それじゃそろそろ授業が始まるから席に戻るね。」
渡はそう言い残してゆっくりと自分の机の方に戻って行った。残された俺たちはまだ現実と夢の狭間にいるような、そんな形容し難い奇妙な感覚に囚われっぱなしだった。
「いきなりなんだ?おい幾田、お前の声がデカいから怪しまれたんだろ。」
渡がこの場を去るとまず最初に佐野が声を上げる。
「えっ、なんかごめんね。それよりビックリしたね。」
「うん、ちょっといきなり過ぎたからな。」
幾田は謝るような仕草を見せ、俺がそれに答える。
全員で顔を見合わせるも渡のいる教室で今のはなんだと話せるはずもなく、重苦しい空気が流れる。
「おい、1時間目終わったらとりあえず屋上で集合しよう。一旦もう解散すんぞ。」
少し間を置いて、そう言ったのは意外にも工藤だった。何か今の会話の中にヒントを得たのか、わからないが目が座っており何か言いたげだった。
俺たちはそれ以上その場で何か話し合うこともせず、工藤が言うようにそれぞれが自分の席へと戻ることになった。
時刻は8時15分、まもなく授業が開始される時間となる。
渡霞、依然その意図は読めないがなぜあのタイミングで俺たちに忠告のようなことをしてきたのか。勿論、幾田の声が聞こえていたことはあり得る。だがそれにしても結構な距離が空いていたので相当な地獄耳でなければ聞き逃してしまうだろう。
考えれば考えるほど、どツボに嵌る逃げ場のない思考の沼に俺たちは両足ごとしっかりハマってしまっているようだった。