第45話 幻覚

文字数 4,539文字

 家に帰ったのは18時過ぎだった。タクシーで近くの公園の前で下ろしてもらったが、なんとか用意した金額で事足りたので一安心だった。仲間たちもそれぞれ、自宅付近で下車し一人一人降りてゆく中学生をみたドライバーは少し怪訝そうな顔をしていたが、何か深く聞かれることもなかった。

 自宅につき居間に入るなり、隠しきれない不安を察知したのか母が俺に俺に詰め寄る。

「仁、遅かったじゃない。あれほど言ってるのにまた遊んでたんじゃないでしょうね?」

「ただいま、違うよ。勉強してバッティングセンターで軽く運動してきてたから。最近全然バット振ってなかったから鈍っちゃってさ。」

結局この言い訳が嘘とバレることはなかったが、そんな事よりも襲われた片桐の心配と、消えた渡の行方が気になって仕方がなかった。

 夕食を食べている間も、何か連絡が来ていないか何度も携帯電話を確認してしまいまた母親から咎められてしまった。何にせよ、鍵を握る片桐からの連絡をひたすら待つしかない。

 警察へ行くと言っていたがそうなるとこちらへ連絡できるのはかなり後になるだろうか。俺達の目の前から渡が消えた事も話したかったし、今夜は眠れない夜になるだろう。

 襲われたと言っていたが、直接片桐の話を聞いたわけではない。こちらを驚かせようとしているとしたらタチが悪すぎる。そんなお世辞にも面白いと言えない冗談を片桐が言うとは到底思えないが、襲われた割には結構ピンピンとしているようなのでなんとも言えなかった。

 また、片桐が元気そうなのは電話越しに話をしていた工藤の主観である可能性も捨てきれない。パニックに陥った工藤がそう感じたのか、分からないが電話が可能な程には軽症であることは確かのようだ。

 そして気になる事がもう一つ、これは大女から片桐への襲撃とは直接関係はないことだが、190cm前後ある女の逮捕にどれだけ時間がかかっているのだという怒りにも似た感情が俺の中に生まれた。
 千葉のこの片田舎の街に、そこまで身長の高い女がいればすぐに捜査線上に浮上してもおかしくない。それが全く捕まらず我が物顔で犯行を繰り返していると言うことは、あの女はよほど世間から切り離された生活をしているのではないか。

 また、考えたくはない事ではあるが大女を野放しにしている理由として大女がなんらかの権力を持つ人物と近しい存在なのではないか。安っぽいドラマにありがちな設定なので自分でもこれは馬鹿馬鹿しいと感じるが、そう思ってしまうほどに大女が捕まる気配がない。
 
 色々勘ぐってしまうが、片桐は大女と直接対決の末に負傷したという事なのだろうか。ともかく今は連絡を待つしかない。
 
 それから夕食を終え部屋に向かうと携帯電話にいくつかメッセージが届いていた。それは片桐以外のメンバーからであり、誰もが落ち着かない様子であることが見て取れる内容のやり取りが行われている。俺自身も心臓を氷柱で突かれるような居心地の悪さをずっと感じながらただ片桐の帰りを待った。
 
 気を紛らわそうと勉強机に向かうも当然、何も手につく状況ではなく携帯電話の通知音を聞くたびに片桐か、と構えたが警察に行っていることもあってかなかなか肝心の本人からの連絡はない。

 時計の針が午後9時に迫った頃、とうとう片桐からの連絡が入った。携帯電話の液晶にかじりつくように画面を見ると、片桐からの全員に向けてのメッセージが入っていた。

『やっと帰ってこれた!お前ら今から電話できるか?』

『俺は行けるぞ。』

即座にそう返信すると、工藤と上野も俺に続き同じように片桐に答える。

『OK、あとは佐野だけか。全員揃ったら電話かける。』

片桐がそう言って5分ほど経ってから、佐野が遅れて俺たちのグループに返事をした。

『わり、ゲームしてて気付かなかった。』

『よし全員揃ったな。今からかける。』

 そう送るや否や片桐がグループ通話を開始した為、俺も急いで電話に出た。


「悪いな、警察で被害届出してたから結構遅くなっちゃったわ。」

「いや、それは良いんだけどお前怪我の方は大丈夫なのかよ?」

まずは当たり前ではあるが俺が片桐の身を案じ、怪我について尋ねると他のメンバーも同様に食い気味にその質問を繰り返した。

「そうだよ、病院にも行ってたんだろ?」

「大女に襲われたのに元気そうじゃねえか。」

工藤と上野も立て続けにまず片桐の怪我の程度を知るために冷静さを欠いた様子でそう聞いている。だが佐野だけはやや予想外の質問を片桐に投げかけた。

「お前の女も一緒に襲われたの?」


「まぁ、そうだよ。未来も無事だけどあれから寝込んでる。一つ一つ説明していくからみんな落ち着け。あとお前ら、渡の方がどうなったのかも逆に教えてくれよ。」

 その言葉を聞き、皆が少し静かになる。渡のことはすっかり忘れてしまっていたかのように上野が片桐に答えた。

「あー渡ね、そうそうそれもあるのよ。話したいことが。」

「消えたんだろ、工藤から一応連絡来てたけど。まぁそれは後で聞くよ。まず俺の話を聞いてくれ。」

片桐は諭すようにゆっくりと落ち着いた態度で話を続ける。それを聞いた上野はああすまん、とだけ呟いた。

 そこからは片桐少年による大女撃退劇場の一部始終を聞かされることになった。
 稲川と不気味なトンネルを通っていた最中に襲われたこと、大女の目を見つめるのは危険であること、奴は空手か何かしらの格闘技経験があること、それにバットで応戦したこと、目に毒霧を食らったこと、またも大女が逃走を図ったこと、渡と思しき人物に遭遇したこと等、どれもにわかには信じがたい情報の連続だった。

 そして通報による警察官の到着から病院での診察、交番での被害届の提出に至るまでの経過を俺たちの質問も交えながら事細かく片桐は説明してくれた。

「で、今さっき帰ってきたんだよ。ほんと疲れた。親もすげぇ心配してくれてるし学校の方にも連絡いってて明日は休校になるかも知れないらしい。」


片桐が話終わると誰もが絶句していた。正直、全部が全部真実だとは思えない内容だった為、何も言えない面も大きかったがとりあえずは片桐が軽症でよかったのではないか、ということで決着がついた。


「まぁでも良かったな、大女が本気で殺しにかかってきてたらお前は死んでたぞ。」

「あたりめえだろ、いや武器無しでも殺されかけたんだぞこっちは。」

 佐野の気の抜けた発言に皆が笑い、片桐だけは真剣な声でそう返した。武装が無意味だったとは俺は思わないが、俺たちは大女の戦闘力を侮っておりそれに加えバットを過信しすぎていたことは否めない。

「どうすんだ?今後もバット持ち歩くのか?」
俺は今後の武装の有無を片桐に尋ねる。

「バットはないよりはマシ、ほんとこれに尽きると思う。あとは奴の目をじっと見ないことだな。」

片桐の言う通り、訳の分からないまま襲われてそのままやられてしまうより、少しでも身を守るためにも必要なのだろう。ただ積極的に戦うのは賢い選択でないことがわかった。

「俺さ、いまだに大女を直で見たことないから分からないんだけどどんな感じなの?間近で見た感想とか教えてよ。」

「そうだよ、俺も森の中で見ただけでどんな奴だったか全然わかんないからさ。」

 そう言う工藤と上野は妙に気持ちが昂っているかのような声をあげた。佐野も姿は見ていないし、上野も遠巻きに見ただけで、追い回された俺と至近距離で戦った片桐のみがその姿に詳しい。

「そうだなぁ、まず特徴としてめちゃくちゃデカい。多分2メートルまでは行かないけど目の前で見たら圧倒されたよ。あと手足がめちゃくちゃ長い。」

 片桐の発言に皆が息を呑み聴き入る。

「それとこれはさっきも話したけどあいつ多分左利きだよ。構えがそうだった。武器を持つ手は日によって違うみたいだけど意図的にそうやってんのかな。」

「こんな田舎で190cm以上あって左利きの女がいたらすぐに足がつくと思うんだけどそれはどうなんだ?」

俺がそう言うと片桐も頷く。

「そうだね、あと声がびっくりするくらい低い。男かと思うぐらいにな。それなのに警察じゃまだ犯人の目星さえついてないんだとよ。」

また片桐が特徴を挙げるがそれに対して全員が警察に対して不信感を募らせていく。


「本当はもう犯人分かってるけどわざと野放しにしてるんじゃねえのか?色々怪しいな。」

 上野がそう言うと他の連中もそれを合図にするかのようにどんどんと珍説を唱えはじめた。

「警察は多女に弱みを握られてるに違いない。」

「いや、大女は警察サイドの人間なんだよ。」

「待て待て、お巡りさん達も結構頑張ってると思うよ、少なくとも俺はそう感じた。」

 そこからは片桐以外の半ば大喜利合戦のような状態になってしまい、事件の本筋から逸れた陰謀論のような話し合いが5分程度続いた。
 話の収拾がつかなくなってきたところで、急に佐野が大きな声をあげる。

「てか渡が出てきたって話はどうなったんだ?」

全員がふと我に帰る。渡の話は頭の埒外に言ってしまっていたが、佐野の言葉でもう一つ目を向けなくてはいけない問題を突きつけられる。ずっと引っかかっていたがすっかり忘れてしまっていた。


「あ!そうだ渡どうなったんだよお前ら。」

片桐の声に力がこもるのがわかる。

「途中まで尾行してたんだけどさ、あいつ森に入った途端消えたんだよ。」
工藤が申し訳なさそうに小声で答える。

「森ってのは小屋のある森か?」

「そうだよ。本当に忽然と消えたんだ。嘘じゃないぞ、俺ら全員が証人だから。」

 俺は嘘ではないと片桐に詮索させないように牽制の言葉を述べるが、更に質問は続く。

「それって何時ぐらいか分かるか?」

「多分4時過ぎとかぐらいじゃないかなぁ。学校から真っ直ぐに向かってたから。多分そのくらいだよな?」

 上野が渡の追跡を行っていた俺たち全員に確認するが、誰も正確な時間は覚えていなかった為おそらく、と答える。

「だとしたらあり得ない、俺が渡を見たのもそのくらいの時間だと思うから。」

「どう言うことだよ?」
上野が聞き返す。俺は片桐が何を言いたいかを理解し、全身の毛が逆立っていくのを感じた。

「だから大女が逃げだあと、俺が気を失う寸前に渡と会った時間を考えると、お前らが渡を見失った時間と合わないんだよ。」

 電話越しに奇妙な間が生まれる。どう言うことだ、また謎が謎を生む展開になってしまったが、今回ばかりは本当に説明がつかない。俺らが渡を見失ったほぼ同時刻に、片桐は全く別の場所にて彼女と遭遇していることになる。もちろん距離的にあり得ない。

「そんな訳ないだろ…片桐が見たのは幻覚だよ。」

工藤の声が震えている。本当に幻覚であればそれに越したことはないが、渡が瞬間的に姿を消したことは拭えない事実だった。








 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み