第30話 畏怖

文字数 5,216文字

 体育はソフトボールだった。久しぶりの球技に、心躍るよりも覚束ない手元に何度もエラーが目立つ。昼休みのことを考えるとどうしても心ここにあらずと言う面が際立った。

 同じ野球部だった片桐と佐野にもプレーに粗が目立ち業を煮やしたクラスメイト達から下手くそ、と何度もヤジが飛んだ。
 しばらく無心でプレイに没頭するが、俺たちの浮き足だった様は変わらなかった。

 体育の授業が終わり、鍵を任されていた工藤と共に一目散に教室へ帰る。

「はぁ、なんか全然楽しめなかったな。」
教室に着くなり、上野が溜息をつく。

「まぁしょうがないよ。それどころじゃないもん。それより飯食ったら分かってるだろ?スピード勝負だからな。」
 素早く制服に着替えながら工藤がそう促す。俺たちは昼の弁当を素早く食べ終え、運動場に遊びに行くフリをして階段に向かうと決めていた。

「とか言ってる工藤が一番食うの遅いんだよな、今日くらいは早く頼むぞ。」
 
「分かってるって、すぐ食うから急かすなよ。」
 笑ってそう言う片桐に工藤がバツが悪そうに答える。出来れば昼飯を食べながら渡が手紙を確認したかどうかも監視したかったが、あまり凝視しては怪しまれると言うことで弁当を食べ終えた者から速やかに作戦に移ることになっていた。

「まぁ今日は各自自分の席でさっさと飯食って動けばスムーズに行くだろ、くれぐれも怪しまれるような行動はNGだぞ。」
着替えを終えた俺はそう言って全員に確認する。
原則として昼食は教室を出なければ好きな場所でとっても良いとされていたが、今日に限っては固まって食事をすることは憚られた。各自でスピーディーに済まして約束の地に向かわなければならない。

 男子達が着替え終わると、ぞろぞろと女子生徒達が三組の教室に入ってくる。俺は自分の席に座りなんとなく渡の方に目をやるが、特に変わった様子もなくそのまま渡も自席に着席した。

 「また渡さんの方見てたの?」
 ハッとして前を見ると水間が自分の席に座りながら俺に好奇の目を向ける。その声は小さくギリギリ周りには聞こえないくらいの大きさだったが、俺を驚かせるのに十分な声量と内容だった。

「違うよ、窓の外の天気見てたんだよ。今日は晴れてるな〜って。」

「そうなんだ、体育の時に空を見忘れちゃったのかな?」
そう言って微笑む水間の顔が眩しい、渡を抜けばこのクラスでも3本の指に入る美少女だろう。
俺は水間から視線を逸らす。

「まぁ、そんなとこだよ。あんまり変なこと言うなよ。」
 俺がそう言って注意すると水間からそれ以上追求されることもなかった。あれほど気をつけようと思っていたのに、危ないところだった。

 程なくして、岸田が教室に現れ昼食の時間が始まった。いつもは炭焼き小屋のメンバーと固まっていたが、今日は一人でひたすらにスピードを上げ一心不乱に弁当を平らげる。
 空腹も相まって、3分もしないうちに半分を食べ終わっていた。時たま渡の席の方を確認するが、静かに一人昼食を取る様子は見えるも肝心の手紙に気づいたかどうかは分からなかった。
 
 それから2分ほどして、佐野が席を立ち上がり急ぎ足で教室を出てゆく。あまりの速さにクラスメイト達も呆気に取られていたがこちらもうかうかしていられない。俺が席を立つとほぼ同時に上野も弁当を食べ終え、席を離れた。

「あ、まって俺も行く。」
俺と上野が廊下に出ようとする寸前のところで片桐が俺たちを呼び止める。
一人残った工藤の方に視線をやると、嫌いな物が弁当に入っていたのか、死にそうな顔で何かを咀嚼する工藤が見えた。

「お前らグラウンド行くぞ!」
 三人で廊下に出るなり、おもむろに片桐が叫ぶ。昼休み、高確率で片桐に会いにくる稲川に対し、クラスメイト達にアリバイの実証をするために少しわざとっぽく声に出していたのだ。
 隣の四組の前は相変わらずわ急ぎ足で通り抜ける。今度も稲川に気づかれることなく駆け抜けることができた。

「よし、あとは天命を待つのみだ。」
階段を駆け上がりながら俺がそう言うと屋上の手前で先に待っていた佐野が、俺たちに気付く。

「まだ渡は来ないか?」

「さすがにそんなすぐには来ないと思うぞ。仮にも女子だしな。ゆっくり飯食ってたからな。」
 俺がそう答えるとすぐさま後ろから工藤の声が聞こえる。

「はぁ、お前ら食い終わるの早すぎ。急いで食べたから具合悪くなってきた。」
 ヨロヨロと頼りない足取りの工藤がそう言い終わる前に片桐が高らかに言い放つ。

「よし、全員揃ったな。ここからはもうみんな共犯だぞ。」

「おう、分かってるぜ。」
 そう言った上野の顔つきもいつになく真剣だった。不思議な一体感が辺りに満ちている。

「昨日みたいに俺に責任押し付けんなよ。」
佐野がぶっきらぼうな態度でそう言っているが、今回は綿密な打ち合わせをしておいたので、佐野の表情にも頼もしさが見える。

「分かってるって。全員死なば諸共だ。」
俺がそう言って一呼吸おく、果たして本当に渡りは現れるのか。心臓の鼓動が一層激しくなり、そのまま10分の時が流れた。
 だが、なかなか渡は姿を表さない。



「手紙、不発に終わったんじゃね?」
 なかなか現れない渡に対し、上野が不安そうな様子で問いかける。

「まぁ元から期待できる作戦じゃなかったからなぁ。」
工藤も半ば諦めムードになってきたのか、先ほどの張り詰めた空気が段々と作戦失敗への不安の色が濃くなっていくのを感じた。

「大丈夫だ、あんま心配するな。絶対大丈夫だ。」
無責任な発言だが俺自身、自らの言葉を信じるしかなかった。成功しても失敗しても、ここが分岐点だと言うことは間違いない。もし渡が現れなかったら、次の一手をまた思案する必要があった。

「もう来ないんじゃねえのか。それか手紙に気付いて無いかも知れないぞ。」
 工藤はこの状況に飽き始めているのか、ブラブラと階段を登ったり降りたりを繰り返している。
この作戦が成功することを絶対に信じたい。
 

「耐えるしか無いな。渡が来ることを信じて待つのみだよ。」
片桐が壁にもたれかかりながら腕を組み、じっと下を向きながらそう呟いた。その瞬間、誰かが階段を登ってくる気配を感じるた。
 

 「誰が来ることを信じてるって?」

 突然聞こえたその声は若く瑞々しい、そして落ち着いていた。全員の視線が階段の下の方向に集まる。
 唖然として誰も声を上げることができない。少女が一段一段、ゆっくりと階段を上る。
 渡霞はその美しい顔に携えた黒く澄んだ二つの眼で俺たちをしっかりと見据えている。
 その姿に一切の疑念や猜疑心は感じられず、落ち着き払っており、昨日教室で見せたか弱い様子も全く感じられなかった。
 そのあまりにも毅然とした態度に、畏怖の対象にすら感じられ完全に俺たちは凍りつき動けなくなる。

 「みんなどうしたの?呼び出しておいて、びっくりした顔してるけど。」
渡がクスリと笑う。完全にこちらの思惑を見透かされているように感じた。圧倒的な渡の威圧感に5人ともが動けなくなる。
「あ、あの。昨日はごめんな。」
やっと声を出すことができたのは片桐だった。
それに気づかされたように、佐野も慌てた様子で続く。

「ご、ごめんなさいでした。」
佐野が頭を下げるのを見て、昨日の件に直接関わっていなかった俺や工藤も含めそれを真似る。

「いいよ、全然気にしてないから。」
渡は余裕の表情でそう答える。また騒ぎになることを恐れていた俺はまずは一安心した、だが渡はこちらを全然不審がっていないように振る舞っているのはなぜか。昨日さめざめと泣いていた人物とは思えない気丈な様子に違和感を覚える。
 
 普通、自分が呼び出されてそこに何人もの男が待ち受けていたことに多少は動揺するはずだ。

「その、俺たち渡さんに聞きたいことがいくつかあってさ。」
神々しさすらも感じる渡の振る舞いに萎縮しそうになるが、俺が重い口を開く。思えば渡と言葉を交わすのはこれが初めてのような気がする。

「そうなんだよ、本当に悪いんだけど俺たち渡さんのことよく知らなくて。」
工藤がそう言って続くが、渡のペースに呑まれて少し噛みそうになっている。

「ふふ、いいよ。何が聞きたいの?」
依然全くこの現状に疑問がないのか、いきなり意味不明なことを言い始めるクラスメイトに対しても渡は冷静に答えた。

「じゃあ昨日の朝、学校の近くの交差点の横断歩道で俺と永瀬の方見て笑ってきたの覚えてる?」
片桐がまず慎重に尋ねる、初手は昨日の朝のことについての質問だった。不自然な質問にも少女は一切動じない。

「えっと、覚えてるけどそれがどうかしたの?」
渡は態度も表情も変えず、平然と返答する。

「あ、そのなんで笑ったのかな〜って気になってて。ちょっとその、笑った理由が知りたくて。」
俺はその空気に圧倒され、尻込みしながら補足をする。すると渡がまた微笑を浮かべ答える。

「ふふ、意味なんてないよ。」

「そ、そうか。ごめんな変なこと聞いて。」
意味がないと答えられた以上、さらに深掘りをすることは危険だった。あまりにあっさりとした渡の返答に、俺は恐怖すら覚える。

「その、渡さんってあの横断歩道通るってことは家あっちの方だったけ?ほら、駅とかある方向の。」
続いて比較的自然な流れで工藤が渡の自宅の在り処について尋ねる。

「ううん、違うよ。」

「そうか、違うか。ハハハ。」
 渡は表情と声色こそ柔らかかったが、目の奥はこちらの全てを洞観しているかのように見え、それに威圧感を感じたのか工藤もそれ以上何かを聞くことができないでいた。

 「あのさ。いきなりこんなこと聞いて悪いんだけどよ、俺らあんまり渡さんのこと知らなくてさ、渡さんっていつからこの学校に居たのかな〜なんて思ったりしちゃって。」

上野が言葉を選びながら恐る恐る核心に迫る質問を投げかける。打ち合わせ中に言っていた単刀直入さは無かったが、幾田含め全員が知りたかった事実に少しでも近づけるのか。
上野の表情には不安と焦りが同居していた。

「ずっと前から居たよ。」

渡が静かに答える。ずっと前から、その言葉に研ぎ澄まされたこの空間が永遠のように長く感じた。まだ夏の残り香がする九月初頭にもかかわらず、鳥肌と冷や汗が俺の肌着の下から湧き上がるのがしっかりと分かり身の毛がよだった。


「そうか、ごめんな。呼び出した挙句、大勢で取り囲んで色々意味のわからないことを聞いたりして。」
 これ以上続けても、何も得られない。俺はそう確信して、再び渡に謝る。他の連中も俺が頭を下げるの見て、次々に謝罪の言葉を口にする。
渡は口には出さないが深く聞かれてくないのか、こちらに対する圧が凄まじい。
 
「ううん、ほんとに気にしないで。他に何か聞きたいことはない?」

「あ、あの。最後にもうひとついいですか。」
 そう言ったのは佐野だった。嫌な予感が脳裏を駆け巡る。

「いいよ、何かな?」

「彼氏いますか?」
ここで聞くべきことではない事は明らかだったが、シュチュエーション的には最も適した質問だった。このまま告白でもすればある意味丸く収まる気もしなくはない。だが俺を含めた全員が呆れ返る。
 まさか本当に質問するとは思っていなかった。

「ふふ、いないよ。」
渡は不敵な笑みを浮かべ、そう短く答える。
この質問の意図は佐野にしかわからなかったが、佐野もふーん、と言ったような顔をする。

「おい佐野、何聞いてるんだよ。」

「いいだろうが何聞いたって。」
俺は佐野の場違いな質問に少し遅れ気味に叱責する。考えるまでもなく、非常識かつ無礼な質問であった。

「ふふ、大丈夫だよ。永瀬くんはリーダーだもんね。じゃあ私教室に戻るね。」

渡は確かにそう言った。急に夢の記憶が蘇り始める。その言葉も表情も、夢で見たものと全く同じだった。俺は金縛りにあったかのように驚きで身動きが取れなくなってしまった。

「ああ、色々ありがとうな。」

何も言えない俺の片桐が代わりにそう渡に言う。少女はこちらに会釈をし、軽い足取りで階段を降りて消えていく。
 わずか5分足らずで俺達の作戦は終わってしまった。皆がそれを見送るが俺は茫然自失と立ち竦んだ。

「おい、永瀬どうしたよ。急に固まっちまってよ。」
 気がつくと上野が俺の肩を叩き、心配そうな顔をして尋ねてきた。

「夢と同じだ。」

「は?何がよ。」
全員の訝しげな視線が俺の方に集まる。

「今の言葉、夢でも言われた。」

 
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