第25話 予感

文字数 6,151文字


 リビングに入ると、刺激的で食欲をそそる香りが台所から漂ってきた。

「おっ、今日はカレーか。」

「そうよ、勉強頑張ってたみたいだからお腹すいたでしょ?ご飯の量はどうする?」

「もちろん大盛りで。結構長いことやってたから疲れた。」
 俺がいうと母は上機嫌で皿に米を盛り付ける。
カレーライスは俺の大好物であったことと、疲労困憊だった俺はすぐさま出されたカレーライスに食いつく。藍はまだ帰ってきていないようだった。それについて母親が苦言を呈している。

「あの子、連絡もせずこんな時間までうろついて…。」

「まぁ心配ないだろ。それよりこのカレーうまいね。」

「あら良かった、頑張った後のご飯は余計美味しいでしょう。」

俺はウンウンと頷き一心不乱にカレーライスを頬張る。少し辛口だった為、額や鼻の頭が汗ばむ。

「そういえばあんた、久しぶりの学校はどうだった?友達はみんな元気そうだった?」
 母もカレーライスを食べながら俺に連続で質問を投げかける。学校に知らないクラスメイトが一人増えていたなんて言うと驚くだろう。

「楽しかったよ。みんなとも会えたし。」
 生返事ではあるが俺がそう返す。なにかあったのか聞かれるとボロが出ると感じた為普段通りに振る舞った。
 
 母もそれは良かった、と言ってそれ以上なにも聞いてこなかった。食事の大半を食べ終え、あと少しでご馳走様と言おうとした時、誰かが玄関を開けて入ってくる。

「ただいま、友達とカラオケに行ってたから遅くなっちゃった。」
 姉の藍が特に悪びれも無い様子でリビングのドアを開けて入ってくる。

「まぁ、あんた通り魔が逮捕されないうちはなるべく早く帰ってきなさいって言ってるでしょ。」

「大丈夫だよ。バス停からウチまで5分ぐらいだし、こんな住宅街でなにも心配することないって。」

「そんな問題じゃないでしょ、遅くなるなら連絡よこしなさいよ。事件に巻き込まれたんじゃないかって思っちゃうでしょ。」

 母は呆れた様子だったが、藍は笑ってごまかしている。高校生は中学生に比べ行動範囲も格段に拡がり、自由度も段違いだと言うことが兄や姉を見ていて分かった。だが姉は遊び人の気がある為、せっかく高校に入れても堕落した生活を送っていては意味がないなと反面教師のようにも思えた。

 「そう言えばさ、バスで津田病院の前あたり通った時、あそこら辺にいっぱい警察来て人だかりも出来てたな。バスの中からだからよく分からなかったけど。」

 姉が席についてカレーライスに手をつけながら、物騒な話を始める。津田病院は正式名称津田医院という町の総合病院であり、佐野と工藤が住むマンションの向かい側の通りに位置している地域住民には馴染みの病院であった。それを聞いた俺の心拍数が嫌な加速を始めた。

「そうなの、まさか通り魔が出たんじゃないでしょうね。やっぱり暗くなる前に絶対帰ってきなさいよ。」

「分かってるって、お母さんこそ戸締りちゃんとしとかなきゃだめだよ?玄関開きっぱなしだったから。」

 玄関の鍵を閉め忘れていたのはほぼ間違いなく俺だった、自分が帰ってきた時には閉まっていたので当然母が俺の方に鋭い目線を送る。

「仁、あんたまた鍵閉めてなかったでしょ。」

「ごめんごめん、つい忘れちゃうんだよね。」

「ダメじゃない!前から言ってるよね?」

 俺は慌てて言い訳をするも母に叱責されてしまった。それより気になるのは藍の話だ。警察が出動するほどの大事となるとやはり脳裏に大女の存在がチラつく。

「なぁ姉ちゃん、警察が来てたっていうけど誰か逮捕されてたりしたか?」

「うーん、それは見えなかったけどとにかくパトカーが止まってて人だかりができてて、それ以上の事は分かんなかった。バスの中から一瞬見えただけだったし。」

先ほど言ったこととほとんど大差のない情報しか藍の口からは得られなかったが、津田病院なら佐野の住んでいる棟のベランダからなら筒抜けで見えるはずだった。後で佐野に確認してみる必要がある。

「そうか、あの近くに友達住んでるから聞いてみるわ。」

「そっちの方がいいかもね。もしかしたら友達も野次馬の中に居たりして。」
面倒くさがりそうな佐野はまだしも、工藤なら様子を見に行きかねない。聞いてみる価値はあるが、嫌な予感がした。またあの女が現れたのか。
どちらにせよパトカーが出動する程、この街でまたなにか良からぬことが起きていることは藍の話から確定的に明らかであった。

「嫌ねぇ、空き巣でもあったのかしら。」
母の声と表情から不安が見え隠れしている。不謹慎だが、空き巣ならどれだけ良いか。

「ご馳走様。二階に行くわ。」
 俺は食器を片し、母にそう告げると一目散に階段を駆け上り自室に入る。胸騒ぎがするが、一旦心を落ち着け、ベッドの上に置きっぱなしにしていた自分の携帯電話を手に取る。

 画面を見てみると、またもや炭焼き小屋のsnsグループが騒がしい。だが今度はメッセージでのやりとりではなく、グループ通話が始まっていたようだった。俺以外のメンバーが全員通話に参加しており、俺もすぐにそれに参加する。

「おい、お前らどうした。何かあったか?」
 電話口に向かって俺がそう言うと、全員が落ち着かない様子で何かを喚いている。

「おお、永瀬か。あの大女がまた出たかもしれない。もう俺たちは終わりだ。」
 酷く速いテンポで工藤が答えたが、予想が不幸にも的中してしまった為俺は硬直する。
 恐れていた最悪の事態。

「おい、嘘だろ?」
 自分でも驚くほど低い声で聞き返す。続いて上野とか片桐がほぼ同じタイミングで答える。

「津田病院の近くで出たらしいぞ。」

「工藤達のマンションの近くの、津田病院の横で大女が出たらしい。」

 ああ、やっぱりそうだったんだ、と俺は力ない声で返答する。場所的にも藍が見たものと間違いなく同じだろう。恐怖がついに現実となった。これは俺たちの責任なのか、通報しなかったせいで誰かが傷つけられたのなら俺たちは一生重い十字架を背負うことになる。

「おい待てよ、大女が出たかどうかは分かんねえんだって。お前ら落ち着けよ。」
億劫そうな佐野の声がする。とても目の前のマンションに住んでいる人間とは思えない落ち着きぶりだった。

「永瀬にもちゃんと説明してやれよ。」
 事情を先に聞いていたであろう上野がそう促すと佐野が拙い言葉で話し始める。

「俺んちの外でパトカーの音が聞こえるからベランダから前の道を見たら病院のところにいっぱい人が来てんのよ。それを見てたら妹が部活から帰ってきて、不審者が出たらしいって言ってきたんだわ。妹が大女を見たわけじゃ無いらしいけど、野次馬の話ではそうなってたらしいぞ。」

「それ本当か?誰か襲われたのか?」
俺は食い入るように電話口に声を荒げると佐野がうーん、ええっととぎこちなく説明を続けようとしていたのを片桐が遮る。

「まて、佐野が言うにはだな、誰かが大女に襲われたとかって話は出てないらしい。救急車も来てなかったみたいだしな。ただ不審な人間を見た人が通報したっていう話になってる。」

どうやら、通り魔や大女かどうかはまだわからないらしい。片桐がそう説明すると上野が横槍を入れる。

「それって病院の横だから怪我しても救急車を呼ぶ必要がなかっただけなんじゃねえのか?」

「そうかもな、それより佐野と工藤は野次馬しに行かなかったの?」
 上野の言うことに俺が頷き、事件が起きた目と鼻の先住んでる二人に話を振る。

「俺はさっきの話し合いに夢中でそもそも騒ぎが起きてたことを知らなかったからな。佐野の家からじゃないと見えないよ。どっちにしろもうお終いだ。」
 工藤の声が震えているのがわかり、極度の恐怖状態に陥っているのが感じられる。

「まぁベランダから見えるしいいやって思って見にいかなかったんだよ。めんどくさいし。そんで落ち着いてお前らに電話しなきゃっと思って電話した。」

「そうか…なら仕方ないな。正しい情報はないわけか。」

 少し残念ではあるが、警察が来ていたという話は本当だったようである。しかし佐野の妹の話はかなり気がかりである、第二の犠牲者が出てしまったのであろうか。

「今のところ人が怪我したみたいな情報は一切ないし、誰が襲われたのかも良くわからんな。佐野の妹は他に何か言ってなかったか?」
 
 片桐が俺と同じくヤキモキした気持ちを隠せないように佐野に問いかける。

「いやだから妹もよく分かってねんだって。帰る途中に家の前でそこら辺にいた人の会話が聞こえた程度らしいからよ。それにもう人だかりもなくなってるしな。5時ぐらいかなぁ、外ですげぇ騒いでたけど。」

 5時ぐらいというとちょうど俺たちが活発にメッセージを送り合っていた時間帯だ。なるほどな、と思った。その時間帯、確かに佐野はほとんど会話に参加していなかった。

「おいおい、なんでその時言ってくれなかったんだよ。言ってくれたら現場を見に行けてたのに。」
上野がそういうが、果たして見に行くべきだったのであろうか。確かめに行くこともまた必要だったかもしれないが、それは危険を伴う行為でもある。

「携帯触る暇も無くずっと見てたからよ、まぁ仕方ねえだろ。忘れてたんだよ。」
佐野は何か自分に非があると、しきりに仕方ないというのが口癖だったが、今回は見に行くことが正しい選択とは言えなかった。

「見に行くのは危険じゃないか?まぁ分からないけどさ。」
 俺の言葉を聞いた上野がうーん、と考え込む。
渡の件だけでなく、こちらの姿を見られた可能性のある大女に対しても慎重に動かなければならない事ばかりだった。

「おい、お前らそれより分かってんのか?大女が俺たちの家の近くに現れてんだぞ?」

割り込んだ工藤の怯え方が尋常ではないことが伝わる。そこに一切の冷静さはない。

「まぁそうだけど、そこまでビビることでもないだろ。」
 片桐が宥めるも半ばパニックのような状態になっていて、工藤が止めどなく言葉を紡ぐ。

「バカ、分かんねえのか。最初の事件が起きた場所は校区の端っこあたりだったろ?八千代との境目のような場所だしここからちょっと遠い所だったんだよ。それが今回は家の前だぞ?落ち着いてられるか。」
 
 確かに、1件目の事件はギリギリ校区内というような場所であり、俺たちの行動範囲から少し外れたような場所であった。それが今回はいきなりメンバーの自宅の目の前で起きている。工藤が狼狽するのもしょうがなかった。

「あ、本当だ。いきなり近くなったな。」
 佐野は工藤と同じマンションのはずなのに、そこまで動揺しておらず、むしろ我関せずと言ったような口ぶりで答える。

「まぁ落ち着けよ、まだ大女が出たって決まったわけじゃないだろ?」

「その通りだ、ちょっと冷静になったほうがいいぞ。正しい情報が出るまで待てよ。」

 俺自身目の前に刃物を突き立てられたような緊張感に襲われていたが、自分に言い聞かすかのように片桐と共に工藤を取り鎮める。

「いや、もう俺らが見てたのバレてるんだって。絶対そうだよ、昨日奴は俺らをストーキングしてたに違いないし、俺たちを探しにやってきたんだ。ああもう全部通報しなかった俺らの責任だ。」
 工藤は胡散臭い陰謀論者のように次々に考えたくも無い話を連呼しており、こちらの話を聞く余裕は一切なかった。
 そして俺たちの責任、最も耳が痛くなる言葉が脳内を駆け巡る。
 
 その後も工藤は譫言を繰り返す。かなり支離滅裂だったが、言っていることも所々納得がいく内容だった。大女だとしたら、いきなり出現場所が近くなっていることはたまたまだといいが。

「とにかく落ち着けって。そして俺たちのせいでもなんでもねぇ。だからパニックになるな。」
 
 「そうだ、たとえ俺らが昨日通報してたとしても関係はねぇよ、とは言い切れないがあんまり騒ぐな。」
 片桐と上野も興奮しており、必死の言葉で説得するが、工藤は変わらずぶつぶつと懺悔の言葉のようなものを吐いており止まる様子がない。俺も何か言わなければ。とっ散らかった頭を整理しながら伝える。

「正しい情報がちゃんと入るまで狼狽えるな、大女が出たかどうかも本当か分からないのに。あと俺たちの責任とか言うのも無しだから。俺らがどうこうできる問題じゃない、つまり天に任せるしかないんだよ。」

咄嗟に出た言葉だったが、それが意外にも工藤に響いたのか急に静かになる。それから一呼吸置いて、工藤が話し始める。

「すまん、取り乱して。家の前で起きた事だから、つい俺らしくもない荒れっぷりを見せちまった。」

「いや、通常運転だな。それより永瀬の言う通りだ。本当にあの女が出たかどうかなんて定かじゃないんだから。そう悲観的になるなよ。それと俺たちのせいでもないぞ。」
 そう言って片桐が諭すと工藤がうん、分かってると相槌を打つ。今は不確かな情報しかなかったので、それでいちいち騒ぎ立てるのも馬鹿らしいと気づいたのか。

「まぁでもよ、大女が俺らを狙ってるなら全員が揃ってた炭焼き小屋を襲撃してくると思うんだよなぁ。それに何回も言うけど俺の妹も又聞きだから本当に大女が出たかどうか分からねえぞ。」
と今まで空気のように黙り込んでいた佐野が突然そう言ったので妙に納得してしまった。
 何も考えていないようで、こう言う違った角度から何かを考えているのが佐野という男だ。

「確かにそりゃそうだ。それか奴は俺らのアジトはまだバレてないんじゃないの?」
 上野がさらなる考察をする、どちらにせよ俺たちを襲うつもりならもっと他にやりようがあるのは確かだった。

「バレてないと思いたいけどな、あそこも絶対安全じゃないのがなぁ。でも俺らを狙うにしてもいきなり佐野と工藤のマンションを正面突破しようとか思うかな?」
片桐の言う通り、二人の住むマンションはオートロック式のエントランスがあり、難攻不落の警備体制が整っていた。

「ダメだやっぱ、考えても何もわからん。この後の夜のニュースとかで何か情報が出ないか見といた方がいいな。」
 と俺が言うと他のみんなもそうだな、と答える。誰もこれ以上考える余裕がない様子だった。

「悪い。俺、ちょっとめまいがしてきたからもう電話抜けるわ。お前らまじで戸締りだけは気を付けろよ。それじゃ。」
精神的にも参ってしまっていた工藤が一方的に通話を切る。残された俺たちも、これ以上話していても不確かな情報から互いに不安を煽るだけになると判断し、これ以上疲弊しないためにも通話を切ることになった。

 俺は電話を切りベッドに倒れ込むが、そこから起き上がれなかった。嫌な予感程当たる悪夢のような現実と、立て続けに起きる不気味な事件から勉強する気にもなれず、酷い睡魔に襲われ俺はそのまま眠りについてしまった。

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